トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

甘え

2006-03-28 18:45:30 | 
子供達が春休みになった
お兄ちゃんが朝からいるから娘も大喜び

春休みになるといつも実家に帰る
明日から行こうと予定を立てていたので母に電話した

「明日から行こうと思ってるけど」
「あー。今、予定立たないんだよね。ほら弟の所の子供が鼻水でたって電話来てたから熱が出たら見に行かなきゃいけないし・・・」

「ふーん。そうか。じゃあいいわ」そう言って電話をちょっと乱暴に切った
ムッとしていた。
予定はもうずっと前から伝えてあった。
子供達も楽しみにしていたのに・・・

弟の下の子供が生まれてから母は週に1度は手伝いに行っている
下の子ももう八ヶ月近くになるが上の子も2才と年子で生まれたため
なかなか大変なのだろう
熱が出た。ぐずって仕方がない。
そう言っては呼び出され「大変だ。大変だ」と言って出かけていく

週末は必ず遊びに来てご飯を食べさせ、買い物をして持たせてあげているらしい
これも「大変だ。大変だ」と私に愚痴る

私も年子は大変だから手伝えるならそれもいいと思う
お嫁さんと仲良く行かない姑が多い中
「お義母さん。お義母さん」と慕ってくれるお嫁さんはありがたいと思う

でもなぜか「また。弟なの」と心の中で思ってしまった
みるみる子供の時代に引き戻されていく

3人兄弟の1番末の弟はとにかく母に可愛がられていた
母はいつもとても忙しくて、姉にも私にも振り向く暇もない感じだったが
いつも店から帰ってくると弟を一番先に抱きしめた

姉と私は「ただいま」すら言って貰えなかった
弟は高校卒業と共に10年位引き篭もっていた
その時もいつも「弟を。」「弟を」だった

自分の中でみっともないと言う感情が渦巻く
40も過ぎて何が母だとも思う
なんとか感情を持ち直そうと過去を切ろうと努力するが
ふつふつと湧き上がる怒りは収まらない

30分もしないうちに母から電話が来た
「お母さんだけど・・・」遠慮がちに言う

「何?どうしたの」いつものいい子の私に戻る
「いや。掃除終わったから。お兄ちゃん春休みになったんだね」

「そうだよ。言ってあったでしょ。でも忙しいなら良いよ。
あっちの方が大変なんだから、気にしなくて良いよ」

「そうかい。なんだかまだあっちは小さいから放っておけなくてさ」と必死に機嫌を伺うように言い訳をする

祖母が亡くなって私との関係が変わってから母は私の顔色を見るようになった
私が乱暴に電話を切ったから気にしたのだろう

白髪の増えた母が目に浮かんだ
「いいって。いいって。また予定立ったら行くから。気にしないで」
明るく言って電話を切る

切なくて涙が出そうになる
こうやって甘える事がいつもできない

子供の頃も甘えられなかったけれど、今はもっと甘えられない

甘え方を知らずに育った大人は力以上の事をしてしまって、失敗したり引き篭もってしまったりするのだと斉藤先生のブログに書いてあった

私も甘え方を知らない。
本当は母に「子供と一緒に帰るから、その日ぐらい空けてよ」と言いたかったのだ
でも言えなかった

そして落ち込んでいるのだ

仕方がない
自分で自分を甘やかしてあげることにした
自分に何がしたい?と問う

甘いものが食べたいなと心がつぶやく

そうか甘えたい私は甘いものが食べたいんだな。
よし食べさせてあげよう。

子供達と自転車を漕いでちょっと遠いスーパーへ行った

風が気持ちよくて何を買おうかなと自分に聞き続ける

私は滅多に自分にご褒美をあげない
自分のためにチョコレート1つ買うのに戸惑ってしまうのだ

あんなに思い立って買い物に来たのにいざとなるとやっぱり
決まらない

ケーキを買おう。美味しい菓子パンを買おう。
そう思うってコーナーへ行くけれど籠の中に入れられない

子供達が「あれ食べたい。これ食べたい」と言ってくる
子供達の好きなものが籠に入ったが自分の好きな物が入らない

うーん。困ったな。
いやいや。欲しい。と心が言っている
ふっと見ると特売コーナーに串団子が売っていた

子供の頃熱がでた時だけ店の母から電話が掛かってきた
「何か食べたいものはない?」と言われ私は必ず「串団子」と答えた

これにしよう。
子供達も食べたい。食べたいとはしゃいでいる
それを買って家に帰った

これでよし!自分の中の子供さん。
甘いものですよ

さあ。元気を出して次いってみよう!