政権ポイッ
1年前も現在も参議院の与野党逆転状態は変わらない。姫井先生のどたばたがあっても、基本的な状況は変わらない。政策実現に時間がかかると福田(康夫)内閣総理大臣は、いわゆる、「国会のねじれ状態」「ねじれ国会」を嘆いた。そして、状況打破のため自らは身を引くとして辞任を選んだ。でも、ちょっと待ってもらいたい。
誰がねじれ国会にしたのか。
外国がそうしたわけではない。アメリカがそうしたわけでも、ロシアがそうしたわけでも、中国がそうしたわけではない。日本国の主権者たる選挙権のある日本国民が、休みの日にわざわざ投票所まで行き、選挙区・比例区で候補者、政党名を記名し選んだのである。権利を行使したのである。
僕たち国民がねじれ国会にしたのである。
国民が選んだ人間たちの集団が現在の参議院を構成している。それに対して文句を言っては、結局国民の選択に対して文句を言っていることになる。主権者の選択に対して、異議を唱える。これは憲法の精神に反することであり、議会制民主主義を国是とする国家の代表者は、死んでも言ってはいけないことだ。自分に都合のいいときだけ、主権者のご意志でございますというような考えなのが、うすうす感じられる、透けて見えるのは今も昔も変わらないにしても、政治家はそれをおくびにも出してはいけないのだ。それくらいの腹芸が、できない。そんな政治家が二人続けて内閣総理大臣になっている。ねじれていようが、なんだろうが、政策・行政に遅滞をもたらさないように、何とかする。manageするのが政治家の能力である。こんなことを言っていては、総裁選挙で麻生太郎幹事長を後継者に選ぶことになっても、予備選で女性候補その他が出て”華やか”に選挙戦を行い、野党第一党民主党の小澤一郎代表の代表選挙のインパクトを消そう、そして少しでも自民党の支持率下落に反転攻勢をかけようと焦っても、おそらくあまり状況は変わらない。
ねじれ、ねじれと言ってはいけない。人のせいにしてはいけない。これがvox populiであり、その中で何とかしなければいけない。泣き言はいけないだろう。
人のせいにしない。政権ポイッはだめである。