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韓国カトリックでのベネディクト十六世の自発使徒書簡Summorum Pontificumは?

2007年08月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 韓国でのベネディクト十六世の自発使徒書簡Summorum Pontificum

 兄弟姉妹の皆様、韓国ではベネディクト十六世の今年の7月7日の自発書簡がどのように受け入れられているかをご紹介します。

● 例えば、韓国では天主教大田教区庁、あるいは天主教仁川教区庁などがベネディクト十六世の自発使徒書簡(韓国語で「自意教書」)の韓国語訳とそれに伴う司教たちへの書簡を公示事項として発表しています。

● 韓国人司祭も自分のブログに自発使徒書簡と司教たちへの書簡をアップしています。たとえばオ・ヨアン神父のブログなど。
1970년 개혁 이전의 로마 전례 사용에 관한 「교황들」(Summorum Pontificum)

● 大田教区は、アレアハングル形式の添付ファイルで自発書簡の韓国語訳をアップしています。

 日本の司教さまたちは今後も無視をし続けるのでしょうか?

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성 비오 10세회
トリエント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

【参考資料】
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
1970년 개혁 이전의 로마 전례 사용에 관한 베네딕토 16세 교황 성하의 자의 교서 「교황들」(Summorum Pontificum)
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』

「キリストにならいて」の「平和を求めることと、奮発心に進むことについて」

2007年08月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 多数の兄弟姉妹の皆様が「キリストにならいて」の引用を喜んで下さり、私も大変うれしく思います。

 そこで今日は次の11章の黙想を提案します。

11 平和を求めることと、奮発心に進むことについて
Cap. 11. De pace quærenda, et zelo proficiendi.

1. 私たちが、他人の言葉やおこない、また自分にかかわりないことに、気をつかわないなら、私たちはふかい平和を知るだろう。他人の問題にかかわりあい、外からの気晴しを求め、自分の内に心をひそめることが、ごくまれか、あるいはごく少ない人が、どうして、長く平和に生きられよう?単純な人々は、さいわいである。かれらは、ゆたかに平和をうけるからである。
1. Multam possumus pacem habere, si volumus nos cum aliorum dictis et factis quæ ad nostram curam non spectant non occupare. Quomodo potest ille in pace die permanere, qui alienis curis se intermiscet, qui occasiones forinsecus quærit, qui parum vel raro se intrinsecur colligit? Beati simplices, quoniam multam pacem habebunt.

2. どうして聖人たちは、あれほど完全になり、あれほど、観想にふけることができたのだろうか?それは、かれらが、地上的なのぞみを、全くおさえようと努めたからである。そうしたから、かれらは、全心をあげて、天主に一致し、自分の内心のことに、自由にたずさわれるようになった。私たちは、自分の欲望にしばられすぎ、世俗のはかないことに、気をつかいすぎる。私たちは、一つの悪にさえ、なかなか勝てない。そして、日々完徳に進もうという確たる決心がないので、いつも冷たく生ぬるい。
2. Quare quidam Sanctorum tam perfecti et contemplativi fuerunt? quia mortificari omnino ab omnibus terrenis desideriis studuerunt, et ideo totis medullis cordis Deo inhærere, atque sibi libere vacare potuerunt. Nos nimium propriis occupamur passionibus, et de transitoriis nimis sollicitamur. Raro nam vitium unum perfecte vincimus, et ad quotidianum profectum non attendimus, ideo frigidi et tepidi remanemus.

3. 私たちが、自分自身を全くぬぎすて、内部的などんな束縛も切りすてるなら、そのときには、天主のこともいくらか理解でき、天主の観想を味わうこともできるだろう。唯一最大のさまたげは、欲望と世俗的な望みとから脱けきれず、聖人の完全な道に入ろうと、努力しないことである。ちょっとした障害にあうと、私たちはもろくも落胆し、人間からの慰めを求めてしまう。
3. Si essemus nobismetipsis perfecte intenti, et exterius minime implicati, tunc possemus etiam divina sapere, et de cælesti contemplatione aliquid experiri. Totum et maximum impedimentum est, quia non sumus a passionibus, et concupiscentiis liberi, nec perfectam viam Sanctorum conamur ingredi. Quando etiam modicum adversitatis occurit, nimis cito dijicimur, et ad humanas consolationes convertimur.

4. 勇士のように戦おうと努力すれば、天から、主の助けがきっとくる。私たちに勝利をえさせるために、戦いの機会を与えたお方は、その恵みによりたのんで戦う者を、助けようと常にまちかまえておられる。私たちが、宗教上の義務を、表面だけ守って、しかもそこから利益を受けようと思うなら、その信心は長つづきしないだろう。悪の根元に斧をうちこもう。そうすれば欲望から解き放たれ、完全な心の平和を味わえよう。
4. Si niteremur sicut viri fortes stare in proelio, profecto auxilium Dominii super nos videremus de cælo. Ipse nam certantes, et de sua gratia sperantes paratus est adjuvare, qui nobis certandi occasiones procurat, ut vincamus. Si tantum in istis exterioribus observantiis profectum religionis ponimus, cito finem habebit devotio nostra. Sed ad radicem securim ponamus, ut purgati a passionibus pacificam mentem possideamus.

5. 一年に、一つずつの悪でも断ち切れたら、すみやかに完徳の道を進むだろう。それなのに、何年もの修道生活を経た今よりも、改心した当時の方が、まだしも清くて善良だった、と気がつく。私たちの熱心と進歩とは、毎日増さねばならないはずだが、かつての熱心さを、いくぶんでもまだ保っているのさえも、大したことのように思われる。自分自身に対して、始めにさからえば、後には、どんなこともやさしく、喜ばしくおこなうことができる。
5. Si omni anno unum vitium extirparemus, cito viri perfecti efficeremur. Sed modo contrario sæpe sentimus ut meliores, et puriores in initio conversionis nos fuisse inveniamus quam post multos annos prosessionis. Fervor et profectus noster quotidie deberet crescere, sed nunc pro magno videtur si quis primi fervoris partem possit retinere. Si modicam violentiam faceremus in principio, tunc omnia possemus facere cum levitate et gaudio.

6. 悪い習慣を断つ事は、つらいことだが、自分自身の意志に、たえずさからうのは、それよりさらにつらいことである。しかし、小さな困難に勝てなくて、それよりも困難なことにどうして勝てよう。あなたの欠点に、はじめから逆らい、手がつけられぬようにならない先に、悪い習慣を、早く除き去れ。生活を自分で良くみちびけば、どれほどの平和があり、かたわらの人々を、どんなに喜ばせるかをあなたが知っていたら、ああ、あなたは、霊的完徳にすすむために、もっともっと一心になったはずだ、と私は思う。
6. Grave est assueta dimittere, et gravius est contra propriam voluntatem ire. Sed si non vincis parva et levia, quando superabis difficiliora? Resiste in principio inclinatini tuæ, et malum defere consuetudinem, ne forte paulatim ad majorem te ducat difficultatem. O si adverteres quantum tibi pacem et aliis lætitiam faceres, temetipsum bene habendo, puto quod sollicitior esses ad spiritualem profectum.

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第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務 Notre charge apostolique』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日
【参考資料】
トリエント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』

コプト正教会の日本人司祭にさいたま教区(谷大二司教)が教区事務所の一室を毎週貸す

2007年08月10日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

【参考資料】カトリック新聞 2007年8月12日付(3919号)より

====引用開始====

 エキュメニズムに一役
 教区事務所でコプトのミサ
 さいたま教区、一室貸す

 毎日曜日のミサの場所を探していたコプト正教会の日本人司祭に、さいたま教区(谷大二司教)が教区事務所の一室を貸すことになり、七月二十二日から毎日曜朝、ミサがささげられている。これもひとつのエキュメニズム(教会一致運動)の形。

 場所を探していたのはトーマス金崎司祭=写真。金崎司祭によると、エジプトが中心のコプト正教会には隣国のスーダンやエチオピアにも信者がいる。シリア、エチオピア、アルメニア正教会が兄弟教会で、ロシアなどの東方正教会とはまったく交流がない。日本にはエジプト人留学生などがいるほか、エチオピアからの難民の信者が多いという。そうした人々を司牧するため、二○○四年、日本に派遣された。
 何カ所かの教会を当たったがどこも貸せる状況になかった。「日曜日の午前中だからどこもミサにぶつかるから」(谷司教)。そこで、週末は空いていることの多い教区事務所の会議室を、ということに。
 関東圏にはある程度の数の信者がいると見られる。「探せば五十人くらい。エチオピア人を大切にしています。帰る当てがないので大事にしないと」と金崎司祭は使命を語る。

 アルフショコラン!
 会社勤めをしていた時にエジプトを旅行した金崎司祭は、紅海岸のイスマイリヤを訪れ、コプト正教会の人と知り合い、家に招かれ教会に一緒に行くようになった。「それから毎年エジプトに行くようになりました」
 会社を辞め、一年働いては一カ月エジプトという生活。それが二カ月、三カ月となり、「もう見切りをつけよう」と一九九六年にカイロの神学校に入った。「教会では聖歌隊に入り、児童養護施設の手伝いにも行っていて」
 オーストラリアのダニエル・アントニオス主教に招かれ○三年にシドニー教区に異動、翌年叙階され、その年七月から日本で働いている。この三年間、神戸、鹿児島、東京と司牧を続け、適当な場所を探していた。「カトリックがなければまだミサを始められませんでした。アルフショコラン(千回ありがとう)!」

====引用終了====

 コプト正教会とローマ公教会との間には、キリスト論、終末論、教皇の裁治権・教導権上の首位に関する点に相違がある。
 コプト正教会は、第四公会議(カルケドン会議)によって否定された「キリストには一性しかなく、その人性は神性に吸収されて人間の肉体はない」とする、キリスト単性異端説を継承している。

【単純な疑問】
 もしもカトリック司祭が、ベネディクト十六世教皇のモートゥー・プロプリオ『スンモールム・ポンティフィクム』により聖伝のミサを捧げたい、聖伝のミサを望む信徒の方々も、関東圏にはある程度の数の信者がいるから、そういった信徒の方々を大切にしていきたい、としたら、そのような司祭はどのような待遇を受けるのだろうか?
 もしもカトリック信徒の方々が、御聖体を大切にして口で跪いて拝領したい、とお願いしたら、どのような待遇を受けるのだろうか?

 このような待遇を谷司教様がなさっていることを取り上げているカトリック新聞に私たちもアラビア語で、シュークラン(ありがとう)!

 またこの記事のことを教えて下さったマキシミリアノさんにもグラチアス(ありがとう)!

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성 비오 10세회
トリエント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

【参考資料】
【参考資料】ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡 Motu Proprio 『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳
【参考資料】교황 베네딕토 16세의 자의교서 Motu Proprio 『SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式韓国語訳
【参考資料】第二バチカン公会議宣言『信教の自由に関する宣言』


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】