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tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ヒットラー最後の12日間

2008-01-08 20:23:12 | cinema

これまでの戦争によって苦しんだ各時代の罪なき人々を追悼したい。

「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」- あまりにも有名なチャールズ・チャップリンの言葉だ。この言葉は正確には原子爆弾を落としたアメリカを皮肉ってのもので、ある意味で戦争の一面を良く現している。ただし、敵の非戦闘員を1人でも殺せばそれは犯罪である上に、結果として勝利がなければ戦争犯罪人としての重責を問われるのが現実。
ヒットラーは政権下のドイツ、および、その占領地域においてユダヤ人などに対して組織的に民族虐殺を行った上に、第2次世界大戦の敗戦直前に敵軍の砲撃に虚しく抵抗し、逃げ惑うベルリン市民を見捨てた。だから、ヒットラーが歴史的な戦争犯罪人であることは間違いない。だが、それにしても何故、ヒットラーは敗戦が決まるまでのドイツで英雄として君臨できたのであろうか。
この映画で描くように、ナチス自体は当時でさえも国民から敬遠され、その総統であるヒットラーの秘書になることは多くの親類が反対している。こうしたナチスに対する国民の声が明確な形とならなかったのは、ドイツ国民と反対勢力をほぼ完全に近い形で封殺するナチス親衛隊(SS)とゲシュタボ組織が徹底した弾圧を行っていたからである。ヒットラーはその方向性を間違えなければ、他人を成功に導くリーダーとして大なる素質を持っていた。熱意をもって独断的に方針を決め、決して諦めることなく周りを従えていく。そうした人物を総統に祭り上げたナチスだった。

ナチスの突撃隊(SA=Sturmabteilung)は、1921年、勢力拡大のため活発に街頭活動をしていたナチ党員を防衛する目的で結成された組織だ。SAは無制限に隊員の受け入れを行ない、最盛期には300万人にもなりドイツ国防軍(10万人)をしのぐ勢力に膨れ上がっていった。そのSAが天才扇動家であるヒトラーの政権獲得を推し進めた。ドイツ国防軍が、プロイセンのころから貴族出身の誇り高い職業軍人の集団だったのに対し、ヒットラーが伍長上がりだったこともSAがヒットラーを支持した理由のひとつである。ナチ首脳のゲッベルス、ボルマン、ヒムラーなどが、会計士、郵便局員、教育監督など小市民階級の出身者だったのとは非常に好対照だ。

だが、急拡大のSAと国防軍との摩擦が権力基盤に危機を招くと判断したヒトラーは、SAを党の統制下に置き暴走するSA分子を排除する。それが「血の粛清」である。
1934年6月30日、ヒトラーはレームらSA幹部らを急襲、逮捕、ただちに情け容赦なく処刑した。処刑には「国家緊急防衛措置」として裁判手続きが省かれた。処刑の対象はSAだけにとどまらず、反ナチの保守派、党内の左派勢力など合わせて数百人が殺害されたようだ。「長いナイフの夜」と呼ばれるこの「レーム事件」は、評判の悪かったSA幹部を粛清したことで市民には好感をもって受け入れられた。そして、この事件から国民のヒトラー崇拝がはじまった。レーム事件は大量殺人であったにもかかわらず、ドイツ国民はヒトラーの断固たる措置を歓迎し、ヒトラーの威信は高まることになる。ナチ組織の腐敗、幹部の目にあまる増長ぶりに、国民はヒトラーがナチスを抑圧してくれることを期待したのだ。また、宣伝相ゲッベルスはヒトラーを清潔な政治家、党利党略をこえて国民全体のことを考える人物として演出した。だが、ヒトラーの人気はそうした演出によるものだけではない。人々は、清潔なヒトラーを支持することで、腐敗したナチス幹部を批判したのだ。

ヒトラーは政治的天才であったが、決して英雄ではなかった。また、戦況を冷静にかつ的確に把握する能力に欠いていた。理想だけで突っ走るヒットラーの独裁政治に終焉が来るのは当然のことだった。それでもなお、ヒットラーを崇拝し続けた人々は、戦争の狂気に駆られていたとしか言いようがない。ヒトラーは「ドイツ民族のためのドイツ」をその政治目標にした。当時のドイツは第一次大戦の敗北によりすべてを失った上にユダヤ資本に支配され、1929年の世界大恐慌によるマルク大暴落とそれによる再起不能なほどの超インフレが国内を襲っていた。ドイツの民族利益をユダヤから守り、旧ドイツ帝国の領土を奪回しようとする狂気がたやすく支配しがちな背景があったのだ。

平和な時に「戦争反対」を叫ぶものは星の数よりも多い。しかし、自分の命をも狙われるようなこのような状況下でも「平和」を訴えられるのだろうか。第2次世界大戦の戦時下、当時の日本のマスコミは「大政翼賛会」への全面的な支援をはじめ、こぞって「戦争賛美」を行い、民衆を悲惨な戦争へと扇動したことは歴史が明白に物語る。その同じ時代にチャールズ・チャップリンは、自らの身の危険も顧みず「反戦」を訴えた。台頭するナチスの恐怖の中、「独裁者」を製作。恐怖によって世界を征服しようと企む「独裁者」を容赦なく「滑稽な愚人」として描き笑い飛ばしている。当時、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していたヒトラーは、この映画を知り激怒。ナチス全軍にチャップリンの殺害を命令したという。

若くしてヒットラーの秘書となった女性が当時を振り返り、状況に流されるままにナチスに加担したことを深く後悔して言う。「(状況がよくわからなかった。でも)若いことは理由にはならない。しっかりと目を見開いていれば・・・・・・」
ナチスとは全く無関係な市井の若き女性まで、戦後数十年たった今も深い慙愧の念を覚えさせる戦争というものに恐怖を覚える。映画の最後、登場する人物たちの現在の状況が略歴となってスクリーンに流れるが、どうにか生き延びた人々の名前が出るたびに心を打つ。がんばって生き抜いたんだねと。それと同時に、生きる権利を否定されて殺害されたすべての人々に対し追悼の気持ちがこみ上げてきてならない。