tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

土曜のジャガイモ(3)

2011-12-17 22:03:08 | 料理のサイエンス

 

「禁断の果実」。そそのかしたのは蛇。 好奇心に負けたのは女。誘惑に負けたのは男。 “知ってしまった” 男と女は 楽園を追い出されると知りつつも、抜け出せない甘い罠に堕ち込んでゆく・・・。
っつうと、「なにエロ小説を書いてんだ、このボケ!」と思われるかもしれないが、ジャガイモはひと頃、「お上の禁制品」として扱われていたのだ。・・・しかも野菜ではなく果実!。
・・・フランスではじゃがいものことを「ポム・ド・テール(大地のリンゴ)」と呼ぶ。

1757年。モンキー・D・ルフィたちが活躍していた大航海時代の少し後のフランス。
農学者アントワーヌ・オーガスティンParmentierは、イギリス・ハノーヴァー朝(サクス=コーバーグ=ゴータ朝); の薬剤官として赴任し、そこで飢えた兵隊たちがジャガイモを食べるのを目撃する。
当時、ジャガイモは、ハンセン病を引き起こす有害な植物とされ、ジャガイモの耕作を禁止し、違反者には罰金を科すという禁止令が布告されていた。
ジャガイモは連作障害が発生しやすく、連作を行うと土壌のバランスが崩れ単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなることがその禁止令につながっているのかもしれない。
また、ジャガイモにはソラニンやチャコニ ンのようなグリコアルカロイドが 含まれている。
16世紀、スペイン人によりインカ帝国からヨーロッパにジャガイモがもたらされたとき、その運搬中の船内で芽が出たものを食べて、毒が当たったため「悪魔の植物」と呼ばれたこともその一因なのだろう。梅毒とともやってきた植物。アルカロイドは往々にして催淫作用をもたらす・・・。

さて、こうして忌み嫌われて豚のエサとしか見られていなかったジャガイモなのだが、前述の農学者アントワーヌ・オーガスティン・パルマンティエは、1969年の飢饒の時、ジャガイモを食べるよう論文を提出し、ブザンソン(Besançon)の科学文学芸アカデミーから賞を得る。
だが、ジャガイモに対する偏見を払拭するのは困難だった。そこでかれは一計を案じる。
1788年、ブローニュの森の北にあるグランアルシュ(新凱旋門)のあたりにジャガイモを植え、武装した兵隊に畑を監視させた。ただし、夜は兵隊をひきあげさせて警戒を解いたのだ。

ものものしい警戒に農民や好奇心を示す。無人となった夜中にジャガイモをこっそり掘り出して盗んでいき、自分たちで栽培しはじめる。

なんだか、個人主義のフランス人の性格を考えるとうそみたい話なのだが、ジャガイモはパルマンティエの策略によりフランス中に広がり広く食べられるようになった。こうして、スペイン人によりインカ帝国からもたらされたジャガイモはフランスでも飢饉を救う食物として活躍することになる。
なお、このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、牛挽肉とマッシュポテトで作るキャセロール「アッシ・パルマンティエ(Hachis Parmentier)」が有名だ。


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