震災から半年。
被災し、家族を亡くした方、家を失った方のことを思うと心が痛む。
津波の被害が大きかった釜石から参加した桜舞太鼓。天も感涙したのか、本降りの雨。
だが、彼らは負けない。きっと、天にも太鼓の響きが届いたはず。
掛け声、声援、大きな拍手が鳴りやまない。
「来年も来いよー!!!」
・・・もう来年も遠野へ来るしかないっすね。。
被災地の人々は、立ち上がってきた。
先の見えない不安の中で互いを支え合い、前を向いて歩んでいる。
想像を絶する辛苦の中で、他者を気遣う北の地の人々の優しさに、今一度、感動した。
もうすでに菅直人前首相が宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の一節を引用しているので、二番煎じになるのだが、宮沢賢治も被災地の子だった。
彼が生まれた1896年は、三陸地震津波と陸羽地震があった年で、彼の生まれた花巻にも甚大な被害があったという。
人の幸せを願った彼の出発点は、そういうところにあったのかもしれない。
「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいはいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一 諸に進んで行かう」
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
本当のさいわい。
幸せな時が流れるところに、人は集まる。
2年前(2009)の動画です。
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