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彦四郎の中国生活

中国滞在記

講義「日本概況」➂―[日本の伝統芸術]生け花(花道)と作庭の世界―日中、自然観の違いを感じる―

2014-12-16 08:42:54 | 滞在記

 左「日本の吉野山と桜」右「中国の風景画」
  「日本人が好む風景と中国人が好む風景に多少の違いがある。そして、共通性もある。」と、このごろ思うようになった。共通性とは、「山紫水明」や「花鳥風月」が好きだということだ。この「山紫水明」と「花鳥風月」の世界を、人々の生活に身近に置こうとする時、「絵画」に描いたり「庭」を作ったり、「花」を活けたりする。そして、日本人と中国人では、この「自然」というものとの付き合い方、接し方、考え方などが多少違うようだ。日中の「自然観の違いというものがある。」と思うようにもなってきた。
 「日本の伝統芸術」といえば、「花道(華道)」・「茶道(茶の湯)」・「日本画」、そして「作庭」。(※「書道」もあるが、これは中国の伝統芸術だと思う。現在でも日常的に「書」がとても盛ん。)
 「日本概況」の授業に於いて、この「好む風景の共通性や違い、自然観や自然に対する接し方の違い。」ということを、学生達とともに考え合うことをテーマとしたいと思いながら授業を行った。90分間の授業(講座)の前半は①「作庭」②「生け花」➂「自然観の違い」、後半は、「茶道」の世界である。

 中国の人々にとって、「山水画」の世界に描かれた風景が理想郷の一つだと思う。巨大な岩山と森の間から流れ落ちる大きな滝と渓流。そして周辺の小さな家と渓流にかかる小橋。中国の庭を見ると、この風景を再現しようとしているものが多く見られる。そして、庭に使われる岩は、穴が開いたものなどの「奇岩」が多い。公園にもよく「岩石」が置かれている。大学の正門にも巨大な岩石に大学名を書いている所が多い。また、「橋」も重要なようだ。しかし、日本の「庭」のような背後の「借景」というものに あまりこだわりを持っていない。庭そのものだけで「自己完結」された自然観を表現している。そして、そこに暮らす。「自然は自然、人は人。」「人が暮らす家屋の庭は理想的な自然郷をまねたものを人工的に造ったものだ。それでいい。それに、岩石は珍しい奇岩がいい。」という感じを受ける。

 次のような水郷地方の風景も好まれている(※日本人も同じだが)

上記の写真:左から3番目「日本の家屋の窓と庭」、左から4番目「中国、閩江大学の建物の窓」

 一方、中国文化の影響を多大に受けながらも、「日本人は独自の自然観」を育み、芸術を生み出してきた。「自然に包まれていたい。」というような感性や欲求があるるような自然観。家屋の窓には、すぐに間近にせまっている自然の樹木がみられる。そして、庭の背後には借景としての山林や山や森。あたかも、自然の中に生きている感への欲求。(※中国の禅宗仏教の影響が強く感じる竜安寺の石庭にしても、背後に森の借景がある。)  家屋と庭をつなぐ「縁側」の存在。

 だから日本人は、「自然にある草花を居住空間に持ち込みたい。」「室内でも愛でたい。」と考える精神構造の感性があるため、「生け花」という世界が生まれ、現代でも続いているのだろう。実は、私は「生け花」が好きで、長い年月 趣味の一つになっている。日本に居た時は、「生け花」がないと気持ちが落ち着かなくなる。一時は、華道「勅使河原流」の一派「千陽流(野草生け花を主流とする流派)」(恵千会)の臼井順子家元の追っかけをしていた時期もあった。彼女の「個展」があると知ると行ったりしていた。
 「雪中花」(雪の中の生け花)などは、居住空間と庭と自然の区別がつかなくなる世界でもある。自然を生活空間に取り入れて暮らしたいという「自然観」は、「母に甘える子供のように、自然に甘えたい日本人の感性と自然観があるように思える。

 茶道もそうだが、生け花も花道(華道)として「道」の世界を作りだしたのも日本人らしいといわれるところである。華道には、「三才型」といわれる基本の活け方がある。一番高い枝は「天や宇宙」、一番低い枝は「地」を、中間の枝は「人」を表す。この世の「宇宙観」を生け花の世界で表現する「道」。日本の「花屋」さんは、多種多様な花を扱っている。
 私は、野に咲いている「花」や「野草」を手折ってきて、時々 中国でも生け花をしている。

 中国人は「生け花」をほとんどしないと思われる。するとしても、「パーティ」などの際に豪華に見える花を飾る程度かな。最初 中国に来た時驚いたのは、どこの花屋に行っても決まった種類の花しかないことだった。その花とは、「バラ・ヒマワリ・グラジオラス・菊・百合、そしてカーネーション」の6種類だ。そして、「造花店」に行くと、絢爛豪華な造花が溢れている。大きなホテルなどの玄関内などにあるのも造花である。つまり、中国の人にとって、室内に花を飾るとは、室内を豪華な雰囲気にするためのものという感がする。自然を室内にまで取り込みたいという自然観はまったく見られない。
 中国人も花が大好きだ。特に愛されている花は「蓮・桃・梅・牡丹」の4種類だ。そして中国人は、決して花を手折ったりはしない。「自然のものは、自然の中で、自然のままで。」という感性だと思われる。

  建物の庭や周辺にあるものは、「盆栽」や「鉢植え」である。盆栽は大きくて見事な物が多く見られる。中国は「生け花文化」ではなく「盆栽文化」なのだ。盆栽は、自然とよく似ている存在という感覚があるのだろうか。

 中国人は石がとても大好きな国民である。私の住むアパートの近くにある地区には、土曜日・日曜日になると多くの「骨董・古道具・古書・石・食品」などの露店が出現する。「石」の露店だけでも500あまり。中国人は、「金・銀・石」をこよなく愛しているようだ。金・銀・石を身に付ける。特に、銀を身に付けることで健康状態を知ることができるため、赤ん坊の時代から身に付ける習慣がある。いろいろな種類の石が売られている。少し大きめの石には彫刻が施されている。山紫水明の風景なども硬い石に、見事に表現される。日本の繊細な欄間よりさらに繊細な芸術だ。それを室内に飾って観賞し、愛でる世界が中国だ。中国茶を延々と飲みながら、それらを愛でて、時には知人たちに自慢もする。

 日本人は「桜」が好きだ。こよなく「愛する」という感がある。この花を手折ることを、日本人はあまりしない。神聖な感さえもっている特別な花なのだろう。そして、「パッと咲き、パッと散る。」風情と、来年もまた咲くことを楽しみにして、しばらくの別れをつげて1年という時間を生き続けてきた国民だ。
 「日本概況」のこの授業では、学生達一人一人に生け花をしてもらおうと考えていた。学生数分の「紙コップ」を持参して、この容器に大学構内にある草花を手折ってもらい活けてもらうことを当初計画していた。研究室から教室までの10分間、「活けさせるかやめるか。?」迷ったが、結局「止めた。」中国人にとって「花を手折る」自然観や習慣はないのだから。そして、授業開始の冒頭に、私だけが「紙コップ」に手折って来た草花を活けた。学生たちからの「ウオー---。」という静かな歓声が一斉に聞こえてきた。何か珍しいもの(出来事)を見た時によく発せられる歓声だった。
 授業後、「自然と人間社会」のことをテーマの一つとしている「宮崎駿のアニメの世界について取り上げればよかったなぁ----。」と思った。彼の作品について話すことにより、よりこの授業内容が中国の学生たちに伝わったかもしれないと思う。20才前後の彼らは、宮崎アニメが大好きな世代なのだ。















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