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彦四郎の中国生活

中国滞在記

街道を行く❶—"栃ノ木峠越え"の「北国街道」を行く―近江国:柳ヶ瀬➡栃ノ木峠➡越前国:板取宿

2019-07-31 09:35:31 | 滞在記

 7月15・16日と7月28・29日に福井県南越前町の故郷に家に帰省する際、さまざまな道(街道)を通った。28日に京都から南越前町に行く際に通った道が、滋賀県の湖北地方「木ノ本」から「柳ヶ瀬」を経て、県境の「栃ノ木峠」を越えて福井県に至るルート(北国街道)。

 「柳ヶ瀬」は、昔は小さな宿場町だった。この町からは、越前国に入る二つの峠越えの街道があった。一つは、「刀根坂(倉坂峠)越え」を経て、越前(福井県)の疋田、敦賀に至る歴史的な街道(古道)、もう一つは「椿坂峠」と「栃ノ木峠」を越えて、越前(福井県)の板取宿を経て今庄の宿場町に至る街道。この二つの街道の分岐路があったのが柳ヶ瀬だ。柳ヶ瀬の小さな集落には水路があり、「柳ヶ瀬関所跡」がある。夏のこの季節、青や白の桔梗(ききょう)が美しく咲いていた。

 明治11年(1879年)、ここに明治天皇が宿泊をしたという屋敷があった。明治維新から10年後のこの年、「天皇」の存在を世に知らしめるための全国行幸の一環として、ここから北陸路を目指した道中だった。この柳ヶ瀬から刀根坂を越えて、疋田や敦賀に入ったのだろう。刀根坂をやくする中尾山が見える。この山には、かって1580年ころに柴田勝家が築かせた「玄蕃尾城」の跡がある。

 刀根越えの入り口付近を歩いて行く。山道に歩いて入ってしばらくすると「➡刀根坂・玄蕃尾城址」の白い看板が見える。車に戻り、2つの街道の分岐点近くまで車をすすめると、玄蕃尾城のあった中尾山が目の前にそびえる。玄蕃尾城は2つの街道をやくするところに築かれていたことがわかる。

 椿坂の集落を過ぎると椿坂峠がある。最近にこの峠の下にトンネルができたのだが、それまではけっこうな峠道を越えたものだった。さらに進むと「栃ノ木峠(標高537m)」、福井県と滋賀県の県境(国境)に着く。名前の由来となった「栃ノ木」の大木が峠にある。樹齢500年以上、樹周りは27mもある大木だ。この峠越えの街道は、578年に柴田勝家が 越前・府中(武生)と近江を結ぶ最短ルートとしての新しい道として完成させたものだ。

 峠を下って行くと、南越前町の「板取宿」の跡がある。ここは今は誰も住んでいないが、宿場の門や石畳の道、かやぶきの家などが残っている。江戸時代末期までは、53戸の家屋があり、そのうち 7軒の旅籠と3軒の茶屋があったとされる。今は、誰も住んでいないので家屋の崩壊が進んでいる家もある。

 当時からの石畳と甲造り型や妻入り型のわらぶきの建物が3軒残されている。この3軒のかやぶきの家は、この地方に住む人たちがNPO法人を立ち上げて、建物の維持管理をやっていて歴史的保存に勤めている。その中心となっている人が、今庄に在住の赤星さんという人のようだ。この板取宿を北に進むと大宿場町・今庄に至る。

 

 


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