彦四郎の中国生活

中国滞在記

丹波・近江の古刹❷―湖東の「永源寺」(近江)と永源寺町

2017-09-11 06:35:30 | 滞在記

 滋賀県湖東地方の「西明寺」、「金剛輪寺」、「百済寺(ひゃくさいじ)」の三つの古刹は「湖東三山」と呼ばれる天台宗派の寺院。琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置し、百済寺の南東に位置する「永源寺」と共に湖東の紅葉の名所とされる。

 8月27日(日)、娘の婿さん(夫)の実家を妻と共に初めて訪れた。この秋にこの家の3男さんが結婚式を予定しているので、そのお祝い訪問である。「お祝の口上」を述べた後、永源寺町を案内してもらった。鈴鹿山系から流れ出す「愛知川(えちがわ)」に沿った永源寺町だった。昼食に「養魚場・渓流館」で、アマゴやイワナの料理をいただいた。食後、山中にある「池田牧場」というところに案内された。たくさんの人が ここの「ジェラード」を食べに来ていた。牧場直営の店には40種類あまりの「ジェラード」があったので食べてみた。「こんなに美味しいジェラードがあるのか」と感心した。

 愛知川の橋を渡って「永源寺」を案内してもらう。初めて訪れる寺院だった。門をくぐると石垣と青モミジが美しい光景が広がった。なるほど、見事な風情のある参道だ。大きな「山門」が見えてきた。モミジの大木が門にかかっている。

 この「永源寺」は、1361年当時の近江守護「佐々木六角氏」の勅願で創建されたとある。臨済宗永源寺派の総本山と記されていた。臨済宗とは禅宗の一派だが、禅宗といえば曹洞宗(永平寺の「道元」が始祖)が有名だ。禅宗にはいくつかの宗派があるが、この2つの宗派が代表的なようだ。この「臨済宗」にはさらに15の派の総本山があるといわれる。(建仁寺派[京都]、南禅寺派[京都]、天龍寺派[京都]、妙心寺派[京都]、建長寺派[鎌倉]、円覚寺派[鎌倉]など)  こうみてくると、臨済宗は鎌倉時代以降、武士の中に帰依・浸透していったことがうかがえる。

 禅宗の代表的な「曹洞宗」と「臨済宗」。その違いは、「曹洞宗」が「座禅」を通して「自己の内面」を見つめることを重視しているのに対し、「臨済宗」は「禅問答」を通して「自己とそのの外面」を重視しているとされている。

 本堂に入る。境内にはモミジの大木がいたるところに見える。秋は紅葉がさぞかし見事になるだろう趣のある寺院であった。ここで「禅問答」などが日常的に行われているのだろうか。ちなみにこの寺は、彦根藩井伊家の第4代と第7代の藩主の墓所もあるらしい。

 ここ永源寺町は、この寺に起原をもつ「永源寺コンニャク」、「政所茶」などの名産があった。また、奥永源寺の山間部の集落は「木地師(きじし)」発祥の地と言われている。ここの木地師が全国に広がっていったと言われる。

 京都の自宅に戻る道は、永源寺町から「水口町」、「信楽町」、そして京都府の「宇治田原町」を経由して帰ることとした。途中、「水口岡山城跡(山城)」(1585年築城)に立ち寄った。6年前に訪れた時は、整備がされていたが、今は人の高さと同じくらいの高さの草ぼうぼうの状態であった。見事な石垣が長く続く大規模な山城なのだが途中で断念した。

◆滋賀県の紅葉で見事だと思った寺に、湖北(長浜市木ノ本町)の「石道寺」がある。山麓の自然と調和したモミジが見事だった。近くには、まだ行ったことがないが、「鶏足寺(けいそくじ)」がある。ここのモミジの紅葉は、滋賀県モミジ紅葉の人気(ランキング)第一位に選ばれることが多い。ちなみに、第二位は「永源寺」となるようだ。

◆「百済寺(天台宗)」は、戦国時代の時期には「僧兵」がいたようで、比叡山と同じように織田信長の軍勢の攻撃を受けている。参道などは「見事!」な風情のある寺院。石垣の他に土塁の跡も残る、「城郭」でもあった。「永源寺」に僧兵がいたかどうかは知らないが、山を背後に、愛知川という天然の要害・断崖の上に立ち並ぶ伽藍は、仏敵の侵入を阻む城郭のようでもあった。

 

 

 

 


コメントを投稿