彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都大学への国費留学生が初来日した—4回生たちへの卒業論文の指導もすることに‥‥

2022-10-12 09:10:38 | 滞在記

 日本政府が招聘(しょうへい)する超難関の国費留学試験に合格した呉文潤沢(ご・ぶんじゅんたく)君が、京都大学に1年間留学するために10月5日に初来日した。彼は現在、私が勤務する閩江大学の3回生だ。出身は、大学のある中国福建省福州市。私は、呉君とのオンラインを通じて、この3月~4月にかけて、日本政府の国費留学試験に向けて、研究計画書作成や面接試験対策などの指導を行っていた。そして、7月上旬に「先生、私は合格しました!」との喜びの連絡が入った。

 国費留学試験日を間近に控えていた今年の4月中旬、呉君の父親(まだ50歳前後)が突然の病(やまい)で亡くなっていた。夫に先立たれた母親としても、呉君の日本国費留学合格は、将来の息子への期待としての大きな喜びだろうかと思われる。呉君が2回生の時の9月~1月までの前期授業で、私は「日語会話3」の授業をオンラインで担当をしていた。だから、まだ、呉君とは直接に会ったことはなかった。

 京都大学の後期授業開始の10月3日(月)に間に合うように、9月下旬には来日予定だったが、日本政府の文科省の航空券手配の都合で、10月5日の来日となった。5日の夜7時過ぎに成田空港着、翌朝の6日に関西国際空港に到着し、京都大学には午前中に到着。その後、大学の案内で、京都大学の留学生寮に着いたのだそうだ。そして、7日(金)からは大学の授業に早くも参加していた。

 その呉君から、「先生、自転車ノートパソコンを買いたいので、案内してもらえませんか」との連絡が6日に入っていた。留学生寮のある修学院地区から京都大学までは、交通機関としてはバスか京福鉄道(叡山電車)になるが、日本の交通機関は、中国人にしてみればべらぼうに高い。例えば、京都市内バスは230円(11元)するが、中国の市内バスは1元(20円)と、日本の約10分の1なのだ。だから、早く自転車は欲しいだろう。「なぜ、パソコンが欲しいの?中国から持ってこなかったの?」と聞くと、「小さなタブレットは持っていたので、日本に持ってきましたが、やはり日本ではノートパソコンは必要です。今までは、家で父と母が共有で使っていたパソコンを、私も時々使っていたのです」とのことだった。

 10月8日(土)、私もこの日はオンライン授業はないので、この日の午後に呉君の留学生寮がある京都市左京区の修学院に車で向かい、午後2時に、寮のある「京都大学国際交流センター修学院本部」に到着した。ここは、京都大学に6〜7箇所ある留学生・留学研究者たちの寮の一つだ。初対面の「初めまして」と挨拶から始まった。そして、車に呉君を乗せ、京都大学近くにある吉田山山麓の吉田山荘真古館(喫茶店)に向かった。

 この喫茶店で30分余りを過ごし、いろいろな話や、今日のこれからのスケジュールを打ち合わせた。たまたま、隣の席にいた女性が、私たちに「こちらは留学生の方ですか」と話しかけてきた。彼女は今、京都市内にある「京都日本語教育センター・京都日本語学校」の講師をしているとのこと。しばらく、彼女を交えて話をした。その後、京都大学や同志社大学近くにある自転車店(中古自転車もある"エイリン")2軒を廻り、購入する中古自転車を決めることとなった。それから、京都駅周辺の中古パソコン店や大手家電販売店(ヨドバシカメラ)などでパソコンを見て回った。

 そして、午後5時半頃となり、夕暮れが近くなってきたので、同志社大学の近くにある自転車店に行き、中古自転車を購入。呉君は、その自転車に乗って日没となった道を修学院の寮まで戻ることとなった。パソコンの方は、よく考えて商品を選び、後日に購入することとなった。

 閩江大学での前期授業が9月上旬から始まり、1か月半が経過した。2回生の「日語会話3」、3回生の「日語講演と弁論」と「日本概況」、4回生の「日本文学作品選読」の4教科を、週4日間の時間割でオンライン授業をしている。授業準備などもふくめて、それだけでもけっこう多忙な日々だ。

 台湾海峡を挟んで台湾の首府「台北」まで約150kmほどの距離にある中国福建省福州市(省都)。沖縄県の那覇市と同じ緯度にある亜熱帯気候の福州市だが、5月上旬から10月下旬までの半年間は夏の気候。この10月中旬になっても、30度前後の気温で、日傘の花がいまも咲く。

 夏の亜熱帯地方の花である、ブーゲンビリア、ハイビスカス、デェイゴの花々が、広い大学構内に今も盛りと咲いている10月中旬。年に3度は実るバナナ、そして、マンゴーの実も大きくなり黄色く色付く。

 亜熱帯地方の気候は、1月から6月までは、日本の京都よりも約1か月余り早く季節が移ろい、7月から12月までは日本の京都よりも約1か月余り、季節が遅く移ろう。日本の京都では9月上旬から咲き始める「芙蓉(ふよう)」の花は、福州では1か月ほど遅く10月上旬から咲き始める。

 5日ほど前の10月9日、大学の日本語学科の主任教員から、「4回生の卒業論文の指導教員の一人になってほしい」との連絡が突然に入った。これまでに、何度も卒業論文の指導教員になったことはあったのだが‥。でも、今回は突然だった。今学期は、4教科の授業だけでもけっこう忙しい。現在、閩江大学の日本語学科には、10名余りの中国人教員がいて、日本人教員は私を含めて3名だ。結局、この指導教員の依頼を引き受けることにしたのだが、オンラインでの指導は、それはまた、苦労ではある。中国人教員6人と私の計7人で、4回生38名の指導を分担(5〜6名)あたることとなった。

 現在の4回生たちとは全員、直接の面識はない。彼等が2回生となった時(2020年9月)に、初めて日本からのオンライン授業での映像を通じて顔見知りとなった間柄(あいだがら)。それでも、オンラインを2年間以上続けている間柄となると、一人一人に親しみも感じる。今学期は、「日本文学作品選読」の授業で毎週オンライン上で会っている。4回生38人のうち、3人は現在、広島大学に交換留学生として来日してきている。この11月~12月には、彼には京都に来て、「初めまして、そして乾杯!」をすることになるかもと思う。

 

 


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