彦四郎の中国生活

中国滞在記

光る君へ―紫式部の越前から京への旅路をたどって、今庄宿・木ノ芽峠・敦賀・深坂越えから琵琶湖西岸へ

2024-02-18 11:37:34 | 滞在記

 「越前から始まる恋物語」と題したイベントが3月16日(土)に、越前たけふ市の文化センターで開催される。イベントの内容は、日舞・お芝居・バレエ・紙芝居・剣詩舞・吟詠・民謡・茶会などなど。この日は、北陸新幹線の金沢―敦賀間の延伸ルートの開業日で、この越前市の新幹線駅名は「越前たけふ駅」となっている。(※平成の市町村合併により、「武生(たけふ)市」という地名から「越前市」に変更された。歴史ある「武生」という名前への愛着は地元ではとても強く、新幹線駅名は「越前たけふ駅」となったようだ。)   2月23日には「紫ゆかりの館」だけでなく、「大河ドラマ館」も越前市にオープンする予定だ。

 11日(日)、紫式部公園や紫ゆかりの館を訪れたあと、午後5時から市内のコメダ珈琲館にて友人の山本君、彼の知り合いの藤木さんと1時間余り会って話した。午後6時に藤木さんに別れを告げて、山本君とともに市内の「ろくべえ」という居酒屋にて友人の松本君と合流。乾杯のあと、2時間ほどお互いの近況などのいろいな話をした。そして、私は武生駅前のビジネスホテルに戻った。この夜、少し雪が降り始めてきていた。

 「越前市グルメMAP」には、平安時代の衣装を着た男女たち(紫式部・藤原道長・清少納言・藤原彰子・安倍晴明)
のイラストが描かれていた。武生(越前市)名物の「越前おろしそば」の28店舗、「ボルガライス」の11店舗などが紹介されている。「越前へ通じる道」と題された企画展(1/26~3/24)が越前市武生公会堂記念館で開催されていた。これは、紫式部・源氏物語関連企画展。この企画展について、「越前市で北陸道の歴史企画展」と題して、テレビで報道がされていた。

 1996年に行った紫式部たちの越前下向のようすについての写真も展示されているようだ。この日、京都に戻る道すがら、1000年以上前に式部たちがたどった越前―京の都への道や場所にも立ち止まりながら行くことにしようと思った。

■「紫式部・安倍晴明 ゆかりの地 ふくい平安めぐり」と題されたパンフレットには、安倍晴明ゆかりの地のことも書かれている。私も、福井県南越前町の実家から京都に戻るときに、たまに通る道である「敦賀➡若狭の小浜市から➡京都府と福井県の県境にある堀越峠越え」。この堀越峠の若狭側の麓にある名田庄村が晴明ゆかりの地だ。そこには、晴明を始祖とする土御門家の子孫や系譜の人たちが、今も陰陽道の数々の儀式を脈々と受け継いでいて、「暦会館」もある。集落の高いところにある「天社土御門神道 天社宮」は安倍晴明を祀る本殿や土御門(安倍)家墓所や安倍晴明の墓と伝えられる墓もある。(土御門家一族は、1467年から11年間も続いた京都での「応仁の乱」の戦乱を避けるため、京都から周山街道を通り、ここに一族が移り住み定住したとされている。)

  2月12日(月)午前10時頃、JR武生駅前のビジネスホテルを出て、越前武生から日野川沿いに南越前町南条地区を進む。中国に戻る前に故郷の海をもう一度見ておきたかったので、ホノケ山トンネルから南越前町河野地区にある「道の駅 河野」へ。眼下に敦賀湾、そして若狭湾から丹後半島や鳥取県の但馬海岸あたりまでが遠望できた。ここから北方の方角には、ロシアのウラジオストックがある。

 再びホノケ山トンネルから南条地区に戻る。紫式部一行も通ったとされる湯尾峠がある。奈良時代から北陸道の峠としてあった標高は低い峠。かってここには、交通の要衝地でもあったので山城が築かれていた(湯尾城) し、日野川対岸の杣山(そまやま)には、南北朝(室町時代初期)の戦いの舞台の一つともなった険峻な山城、杣山城もある。

 昨夜に降った雪は、南越前町今庄地区まで行くと、かなりの降雪量となっていた。江戸時代に特に発展した今庄宿は、今もその伝統的な家屋が多く残る歴史的保存地区だ。(源平合戦の時代から築かれた山城である燧ケ城がある。)ここも式部一行は通っている。日野川沿いに北陸路最大の難所の一つとされる「木ノ芽峠」(標高628m)に向かう。(もう一つの北陸路の難所は、富山[越中]と新潟[越後]の国境にある"親知らず子知らず") 

 木ノ芽峠の麓にある板取宿は白雪に覆われていた。この宿は江戸時代にできた宿で、式部一行がここを通った時には宿はなかった。

 木ノ芽峠の麓周辺から、昨夜に降った積雪がまだ融けず道路もかなりの雪が残る。昨夜の雪は想定していなかったので、ノーマルタイヤでの運転なので慎重にゆっくりと走る。峠の途中まで来ると、石川県と岐阜県にまたがる霊峰・白山(2702m)が神々しいまでの白い嶺となって遠望できた。式部も越前国府からこの光景を見たのだろう。

 木ノ芽峠の中腹から再び山麓に戻り、木ノ芽トンネルを通り敦賀に向かう。(※式部たちが京都と越前を行き来した996年当時、敦賀から越前国府のある越前武生に至るには二つのルートがあった。一つはこの木ノ芽峠越え、そしてもうひとつは、より海岸線のルートをとる奈良時代からある山中峠越えである。式部一行がどちらのルートをとったのかはあきらかになっていないようだ。)

 平安時代には、日本海を航海してきた中国人(宋人)たちの公館があった敦賀。この敦賀の港町は、日本からヨーロッパに行く時の日本の出発点となった町で、例えば夏目漱石などもイギリスのロンドンに留学する際に、この港からロシアのウラジオストックに船で渡り、大陸横断シベリア鉄道経由でヨーロッパに向かった。そして、第二次世界大戦中は、ナチスドイツの迫害を逃れた約6000人のユダヤ人たちが、この敦賀に大陸経由で到着している。このように、古代・中世・近世・近代まで、日本海ルートでの重要な港町だったのが敦賀という町だった。

 この敦賀から、滋賀県(近江)と福井県(越前)の国境には、二つのルートがあった。一つは西近江路と呼ばれる山中峠越えルート、そしてもう一つは大浦・塩津路とも呼ばれる深坂峠越えだ。いずれも、このルートは、越前敦賀の疋田という交通の要衝地で合流する。(疋田にはたびたびの落城悲話ののこる疋壇城の古城がある。)  式部一行は深坂峠越えを通ったことがわかっている。

■今回、ちょっと寄り道して、滋賀県の高島市マキノ町の方に行ってみた。この辺りの周囲の山々も積雪で白く輝いていた。

■マキノ町のメタセコイヤ並木と周囲の冠雪した山々の光景。

■996年に、越前国の国主となった父・藤原為時に同行し、越前国府のあった越前市(武生)に下向した紫式部。父の藤原為時は漢学者として著名であり、そのことも、越前国内の敦賀に大使館(宋人館)をもつ彼らとの折衝に必要な人材とされたのも一つの理由だったようだ。

 京の都から越前国府までの道のりは、京都➡(逢坂峠)➡大津(打出浜)➡[船にて分乗し琵琶湖西岸沿いに航行]➡(途中に寄港/三尾崎にて上陸し宿泊など)➡再び船に分乗し琵琶湖北岸の塩津に上陸➡5里半越えといわれる、けっこう厳しい山道の深坂(みさか)峠を越えて越前国の疋田に至る。そして、敦賀➡(「木ノ芽峠」越え又は「山中峠」越え)➡今庄➡湯尾峠➡南条➡越前国府。この京都から越前までの下向の日数は5日間を要しているようだ。50人余りの一行は、歓待なども受けながら途中4泊をして越前国府に到着したと考えられている。この下向は996年の夏の季節だった。

 紫式部は、結婚のために1年余りの越前での生活を終えて、京都に戻ることとなるのだが、この時の越前国府➡京都のでの旅の日数は4日間とされている。

 この2月18日付の京都民報紙には、「后の私設秘書 紫式部―沈思する月―④越前への赴任/心は都に残したまま琵琶湖を渡る」と題された記事(野口孝子筆)が掲載されていた。 その記事の中で、「‥‥‥式部は、"三尾の海に 綱引く民の 手間もなく 立ち居につけて 都恋しも"と一首詠んだ。三尾の浜辺で、網を引く漁師たちの見慣れぬ立ち居を見ていると、都が恋しくなる、というもの。‥‥(中略)‥‥深坂峠で一行の荷を運ぶ人夫たちが"いつも通っている山道だがやっぱりきついなあ」と、ぼそぼそと愚痴をこぼしている。それを聞いた式部は、"知りぬらむ 往来(いきき)に慣らす 塩津山 世に経る道は からきものぞと」と詠んだ。人夫さん、人生と言うものはこの峠のように本当につらい(=からい)ものだと知っているでしょう。私の人生もつらいものです、と。身分の差を越えて、人のつらさに寄り添う式部の感性が感じられる。‥‥(中略)‥‥。」と書かれていた。

 その三尾の崎付近には、近江(滋賀)最古の神社とされる「白髭(しらひげ)神社」(865年創建とされる)がある。その三尾の崎付近からさらに北に行くところにある三尾の浜には見事な松並木が延々と続く。式部たちはここに下船し一泊し、再び船に乗り竹生島を眺めながら塩津の浜にて船を降りたのだろう。その三尾の浜は、昨夜の積雪で白くなっていた。はるか向こうに竹生島も見える。

 琵琶湖西岸の道路を大津に向かう湖西道路を行く。大津から琵琶湖の水が流れ出る瀬田川(宇治川になる)のそばに、紫式部が『源氏物語』の着想を得たと伝わる石山寺がある。

■2月16日から、京阪電車の坂本―石山線で、「光る君へ」ラッピング列車の運行が開始された。(2025年1月まで)  また、福井鉄道の武生―福井線でも2月10日から「光る君へ」のラッピング電車運行が開始されている。(NHK大河ドラマ「麒麟がくる」2020年度[明智光秀の生涯を描く]でも、この坂本―石山線でラッピング電車が運行された。)



 

 

 

 

 

 


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