彦四郎の中国生活

中国滞在記

途方に暮れた出来事―もうこの身一つで、なにもかも置いて、すぐ日本に戻りたくなった❶

2017-09-18 05:55:05 | 滞在記

 9月8日(金)、関西国際空港・午後7時25分発の厦門航空便・中国福州行はほぼ定刻通りに出発し、中国時間午後9時半ころ(日本時間10時半)に福州の空港に到着した。ほぼ3時間のフライト時間である。2カ月間あまり留守にしていた福州市内にあるアパートには午後12時ころに着いた。

 13種類あった鉢植えの植物は、1鉢を除いて全て枯れていた。日本は、日中もかなり涼しくなってきていたが、ここ福州は熱帯夜の世界だった。アパート室内の気温計を見ると33度となっていた。すぐにクーラーをつけた。クーラーは旧くて弱いながら、動くことができたので一安心する。トイレに行き水を流してみる。流れた。汗びっしょりだったので、シャワーを浴びる。シャワーも温水が出る。これも一安心。冷蔵庫も動いていた。部屋のライフラインがどうなっているか不安があったが、「まずまずのスタートだな」と思い台所に行く。ところが、「台所の水が出ない!!どうしたんだろう?困ったぞ!!」いろいろ試してみたがやはり出ない。この夜は疲れていたのでとりあえず眠りについた。

 翌日9日(土)の早朝に、大学外事課の鄭さんに中国に戻った挨拶と「台所の水事情」について連絡をする。彼はアパートの管理会社(不動産店)に連絡をしてくれた。その日の午後には修理に来てくれると鄭さんから連絡があった。台所廻りのことは、トイレにある洗面台の水道で賄いながら修理の人を午後12時からひたすら待った。夜8時を過ぎても修理屋さんはこない。「今日はもうこないな」と思い、9時前にベットで眠りにつこうとおもってウトウトし始めたら、「ドンドンドン」とドアを叩く音がした。「修理屋さんだ」と気が付き、ドアを開ける。

 若い修理屋さんだった。台所の「蛇口(じゃぐち)」が腐食して壊れていたのが原因のようだった。蛇口を新しいものに交換したら水が出るようになった。通常はその日のうちに修理に来てくれるのはまれなので、とても助かり感謝した。中国の水道の水は、日本のように「そのまま生では飲めない」。これは、世界のほぼどの国でもそうだ。中国の水道を10日間あまり使わないで、水道の蛇口を回して久しぶりに使うと、必ず「赤茶色」の水がゴボゴボという音をたてながら最初に出始める。30秒ほどそのまま出し続けると透明な水道水となる。

 水道水に鉄錆(てつさび)が多く含まれているためである。例えば、1年間使っている「電気ポット」は、写真のように数か月で底に鉄錆が付着して、銀色から赤茶色になる。水道の蛇口の下も、赤茶色に変色している。したがって、蛇口も鉄錆が付着して、腐食するため折れてしまうのだ。1年前の2016年の8月下旬、このアパートで初めて暮らし始めた時、数日後に蛇口が腐ってボキッと自然に折れたので、新しい蛇口に変えてから1年後、また蛇口が使えなくなっていたということがわかった。なにはともあれ、台所の水が使えるようになり、とても嬉しかった。これで、ご飯も作れる。

 翌日の10日(日)の午前10時頃、閩江大学の学生がアパートに来てくれた。パソコンのインターネット関連に問題があるので、新たに設定をやり直してもらうためだった。6月28日に日本に帰国する2週間前の6月中旬ころから日本のテレビ番組などを見ることができなくなっていた。いままでの2年間、閩江大学の楊君という学生に、インターネット関連のことは頼ってきたが、彼は卒業後の6月中旬より広東省の深圳にある日本系企業(松下―ナショナル系列)に就職が決まりそちらの方に行ってしまっているので、あまりに遠方のため頼むことができなくなっていた。

 1時間あまりで新しいインターネット設定が完了した。中国再赴任に関して、このインターネットのことが一番の心配事だったので、「やった!!」と歓喜の声をあげた。昨年8月下旬にこの民間アパートに住み始め、「水道・洗濯機・電気」などのライフラインの修理や整備にまるまる9月いっぱいを要した。まともに住めるために1か月間を要したことになる。また、インターネットに至っては、3カ月半後の12月10日になってようやく普通に使えるようになった。中国でインターネットが使えないということは、日本で携帯電話が全て使えないということ以上にとても深刻な事態となることを意味するのだった。

 昨年の、「もう中国に住みたくない!」というアパート生活の苦労から比べたら、再赴任後のわずか3日間でライフラインとインターネットがまともに使えるようになったのだから、「うわ!!これは素晴らしい。去年に比べたら月とスッポン、地獄と天国の違いだ」と思った。喜びを噛みしめて、その夜は眠りについた。

 しかし、中国生活では そうは簡単に問屋がおろしてくれなかった。中国に来て最も深刻な非常事態の一つが2日後の深夜に勃発してしまったのだ。まったくの想定外の出来事だった。初めて、「この身一つで、なにもかも置き捨てて、日本にすぐに戻りたい」という思いを持つ出来事だった。

 

 

 


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