長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

へうげもの 400周忌

2014-10-03 08:42:43 | Weblog

モーニングという雑誌に連載されているらしい。

先日いった美濃の「大織部展」に並んでいるのを見て初めて知った。

なにせ、マンガは「あしたのジョー」以外は読んだことがない。でも「へいげもの」

が連載されるなんて、なんとなく時代の振り子が降りだしにもどるみたいで気持ちがいい。

桃山時代の茶陶や朝鮮の焼き物たちが、全国から集まっていたけど、よくよく

考えてみたら、それらの作家たちは「無名の陶工」たちだ。まさかそれらが、国と国が争う

血なまぐさい道具になったり、国宝なんかになったりすることを知らない。知らないから、いい。作為も気負いも、時代

やお客におもねる「いやらしさ」も微塵もない。古色こそついているものの、すがすがしい清さみたいな

ものに満ち満ちている。李朝の白磁の美しさみたいなものだ。その美を完成させるものは、それを使う人たちだ。

どうも最近は「でしゃばり」とか「でたがり」が多すぎる。料理をひきたたせるのが、陶芸家の仕事だと思うけど、

作品そのものが目立っているのが氾濫している。料理でいうと「創作料理」といって、あたかも自分が編みだしたんだボリボリ

みたいな料理人とか、「料理研究家」とか「そばりえ」とかなんとかとか・・・言ったものがちみたいなことを自慰している

輩もなんだか「?」な感じがする。

「人知らずしてうらみず」という孔子さんの言葉ではないけど、人が見ていようがなかろうが、評価されようがなかろうが、

毎日を淡々と自然に生き、その生きざまみたいなものが作品にでているようなものがいい。

そういう意味では、今月炎色野で陶展をやる久保忠廣さんの器は、桃山時代の陶工たちの魂を受け継いだ

ような気骨と風合いがあっていい。今回は新しい「土」をこねて、桃山時代の波動により近い「土味」がする。

今日は「ねんどの会」  無名のつくりてたちが、こねるのまいかさんといっしょにねんどをこねる日。

明日の夜は「コマチ」たちのコンサートがあるので、16時閉店。19時開場 4000円(蕎麦会付き)