MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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大正時代の通訳者

2010年05月09日 | 雑想

連休とか関係ない身分になったのだが、いまだに9日までは休みと思い込んでいて困ったものである。そうはいっても息子が帰省してきたり、田舎に帰ったりで結構忙しい。

これ、上海万博に本当に出展されたのだろうか。かつての先行者といい、中国は面白い。

5月22日の例会で前座で発表するので、その準備をしていたら、浦口文治(1927)『グループ メソッド』の中に、通訳者についての記述を発見した。例会では使わないので心覚えを兼ねて以下に掲載しておきます。昭和2年の本ですが、大正時代の話と見ていいでしょう。(以下の文章を読んでいて違和感を覚えるとするなら、その感覚は正しい。浦口は英→日の翻訳に「グループ・メソッド」なるものを適用したため、自分が書く日本語も、「…なのは、…だ」のパターンに汚染されてしまったようなのである。)

「私の一友に博学多才の人がある。外人演説の通訳者として名をなした彼の率直な告白として伝へられた言葉に曰く、「諸君或は余の通訳振りを云々されるであらうが、演者と倶に登壇して満堂の聴衆に面しながら、わが右手の外人が流暢に弁じ去る處を聞取りて、しかも之を忘れないやうに勉めつつ、同時に之を邦語に飜やすべき工夫を重ねながら、一段一段之を片付けて行かねばならぬ其時の心の忙しさを察し得るもの果して幾人あるであらうか。自家の快弁に乗じて弁者が得意になる時、はた其言説に共鳴して聴衆が喝采し来る時、愈よ加はつて来るのは通訳者胸中の苦心である。かくて一席の役目漸く終るとともに、彼の覚ゆるのは人にしられぬ疲労である」と。約三十年前のこと、私もまた少しく積ませられたのは通訳者としての経験であった。それに照らして衷心より同情させられるのは此言である。其才至つて敏活なまた其学かなりに該博な彼にしてなほかつ此仕事の忙しさに辟易させられたとするならば、其力量尋常な語学者がかやうな飛まはり兼逆戻りの訳し方を急速に課せられる時、推察するに余りあるのはいかばかりの心力消費を必要とするかであらう。

(中略)

上に掲げた某友のやうな上手の場合は別として、通訳を通じての演述は聴衆にとつて一般に屡々不得要領に終りやすいとされて居る。加ふるに通訳者心力の失費の甚しい事一般聴衆に知られないにかかはらず事実上述のやうであるならば、問題は通訳者個人別の力量如何といふよりも寧ろ目下普通に慣用されて居る通訳の仕方の可否如何といふ点に自然に移りゆくであらう。初めて日本人通訳者を通じて語る外人弁士等が往々怪ませられるのは演述中自己も用ふる時間と通訳者の要する處のそれとの間に大な差のある事である。彼等が屡々さしはさむ頓智的の戯談に曰く、「此等の通訳者はinterpreters(中だちの通弁)でなくて、寧ろinterrupters(中しきりの邪魔者)であるまいか」と。現在行はれて居る外国語研究法の最高成績の一として何人も公然屈指するを憚らない通訳とは其実かやうなもので、しかもこれ式の力をすら授けられて居る人数が極めて少いとすれば、私等の疑はずに居られないのは現行メソッドの適否如何という点であらう。(中略)愈々明らかになつて来るのは外国語学の研究上何かの新方式が速に案出されなければならぬといふ必要であらう。」(p.23-27)