MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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訃報ひとつ

2010年09月17日 | 雑想

 

8月末に東京裁判の通訳をつとめた島田正一さんが亡くなられた。享年97歳。島田正一さんは古野ゆりさんの御尊父で、東京裁判では島内俊郎氏に次ぐ回数の通訳を行った。武田さんの『東京裁判における通訳』(みすず書房)にも記述がある(59-60ページ)。また『大東フォーラム』第13号 (2000春)に、「ブースの中の伊丹明-東京裁判通訳者・島田正一氏に聞く-(聞き手:近藤正臣、渡部富栄)」というインタビューがある。翻訳も残しており、『ニュールンベルグ国際軍事裁判判決記録』(昭和22年東雲堂新装社)の表紙には、「東京裁判法廷通訳 島田正一・桝谷秀夫・巌本荘民 共訳」と記載されている。『バウンティ号の叛乱 下巻』(昭和25年岡倉書房)もそうだと思う。(表紙には英文タイトルしかないので、これは扉。)上巻は高柳春之助訳になっている。

年次大会が無事終わり、やや気力が抜けた感じがする。ただぶらりと参加する側に早くなりたいものだ。(来年の大会は神戸です。)雨が降り、少し涼しくなったかと思うと、今日はまた暑さがぶり返し、体調も若干不調か。本郷は今日になってもまだ蝉の声がする。


English Express 300号

2010年07月09日 | 雑想
朝日出版社から出ている雑誌English Expressが300号を迎えたという。1987年5月号が創刊号だから、もう24年続いていることになる。『時事英語研究』(Current English)や『英語青年』のような雑誌が消えていく中で、またいろいろな英語学習の競合誌が登場する中で、ほとんどCNNに特化した趣の雑誌として持続しているのはちょっと驚異的だ。この雑誌には創刊号からお世話になっている。初期には掲載するCNNニュースの翻訳をしたり、文法解説の記事を連載したり、その他いくつか記事を書かせてもらった。バックナンバーはたぶんすべて揃っていると思う。最近はいただくばかりで、どうもありがとうございます。

今月はEnglish Journalもいただいた。特集記事の監修をしている小坂さんが送ってくれたものだ。小坂さん、ありがとうございました。こちらは1975年の創刊なので、35年続いていることになる。購読を始めたのは通訳の勉強を始めた1982年ごろだと思うが、今は定期購読はしていない。初期は横長の小さな判型で、数十頁のものだったようだ。一連の『通訳事典』を別冊として刊行した功績は大きいと思う。EJも『Business View』や『商業英語』、『工業英語』などが消えていく中で生き残ってきた。

通訳打ち合わせ

2010年06月04日 | 雑想
明日の公開講演会の通訳のため立教大学でAnthony Pymさんと打ち合わせ。演題は暫定的に著書のタイトルと同じ「翻訳理論の探求」になっていたが、Translation theory as problem-solvingになります。一応24枚のパワーポイントを用意しているが、これをもとにいろんなことを話すことになるでしょう。会場では『翻訳理論の探求』(みすず書房)の販売も行います。明日3時からです。お忘れなきよう。事前登録不要、入場無料です。場所など詳しくはこちら

大正時代の通訳者

2010年05月09日 | 雑想

連休とか関係ない身分になったのだが、いまだに9日までは休みと思い込んでいて困ったものである。そうはいっても息子が帰省してきたり、田舎に帰ったりで結構忙しい。

これ、上海万博に本当に出展されたのだろうか。かつての先行者といい、中国は面白い。

5月22日の例会で前座で発表するので、その準備をしていたら、浦口文治(1927)『グループ メソッド』の中に、通訳者についての記述を発見した。例会では使わないので心覚えを兼ねて以下に掲載しておきます。昭和2年の本ですが、大正時代の話と見ていいでしょう。(以下の文章を読んでいて違和感を覚えるとするなら、その感覚は正しい。浦口は英→日の翻訳に「グループ・メソッド」なるものを適用したため、自分が書く日本語も、「…なのは、…だ」のパターンに汚染されてしまったようなのである。)

「私の一友に博学多才の人がある。外人演説の通訳者として名をなした彼の率直な告白として伝へられた言葉に曰く、「諸君或は余の通訳振りを云々されるであらうが、演者と倶に登壇して満堂の聴衆に面しながら、わが右手の外人が流暢に弁じ去る處を聞取りて、しかも之を忘れないやうに勉めつつ、同時に之を邦語に飜やすべき工夫を重ねながら、一段一段之を片付けて行かねばならぬ其時の心の忙しさを察し得るもの果して幾人あるであらうか。自家の快弁に乗じて弁者が得意になる時、はた其言説に共鳴して聴衆が喝采し来る時、愈よ加はつて来るのは通訳者胸中の苦心である。かくて一席の役目漸く終るとともに、彼の覚ゆるのは人にしられぬ疲労である」と。約三十年前のこと、私もまた少しく積ませられたのは通訳者としての経験であった。それに照らして衷心より同情させられるのは此言である。其才至つて敏活なまた其学かなりに該博な彼にしてなほかつ此仕事の忙しさに辟易させられたとするならば、其力量尋常な語学者がかやうな飛まはり兼逆戻りの訳し方を急速に課せられる時、推察するに余りあるのはいかばかりの心力消費を必要とするかであらう。

(中略)

上に掲げた某友のやうな上手の場合は別として、通訳を通じての演述は聴衆にとつて一般に屡々不得要領に終りやすいとされて居る。加ふるに通訳者心力の失費の甚しい事一般聴衆に知られないにかかはらず事実上述のやうであるならば、問題は通訳者個人別の力量如何といふよりも寧ろ目下普通に慣用されて居る通訳の仕方の可否如何といふ点に自然に移りゆくであらう。初めて日本人通訳者を通じて語る外人弁士等が往々怪ませられるのは演述中自己も用ふる時間と通訳者の要する處のそれとの間に大な差のある事である。彼等が屡々さしはさむ頓智的の戯談に曰く、「此等の通訳者はinterpreters(中だちの通弁)でなくて、寧ろinterrupters(中しきりの邪魔者)であるまいか」と。現在行はれて居る外国語研究法の最高成績の一として何人も公然屈指するを憚らない通訳とは其実かやうなもので、しかもこれ式の力をすら授けられて居る人数が極めて少いとすれば、私等の疑はずに居られないのは現行メソッドの適否如何という点であらう。(中略)愈々明らかになつて来るのは外国語学の研究上何かの新方式が速に案出されなければならぬといふ必要であらう。」(p.23-27)


早期英語教育@朝日新聞

2010年04月09日 | 雑想
昨日の朝日新聞夕刊に巨大な「ドラゴン桜」が登場した。画像はここで見ることができる。朝日と「モーニング」のコラボだそうだ。今回のテーマは早期英語教育。大西泰斗、成毛眞、そして鳥飼さんが寄稿している。大西の論は日本語を重視せよというものだが、ちっとも理論的ではない。成毛は実務からの視点で、英語が必要な職種は1割にすぎないのだから、英語教育を変える必要はないというもの。翻訳と通訳の存在も指摘している。鳥飼さんはまじめに答えている。次は英語教育に何が必要かというテーマでやってもらいたい。

四国旅行

2010年04月06日 | 雑想
 
母親が骨折で入院したり、四国に旅行したりで久しぶりの更新です。写真は四万十川と桂浜の龍馬像。隣に櫓を建てて、龍馬の視線で太平洋を見るという企画なのであった。初日の金比羅様は雨がぱらついていたが、その後は天気も回復し、四国の桜を満喫する。

通詞カリヤシン

2010年03月26日 | 雑想

北海道開拓使『蝦夷風俗彙纂前編四』という、明治15年の本に「通詞カリヤシン」という項目を設けて短い記述がある。

「唐太嶋の夷人ども山丹オロツコ人へ対し辞は皆々は通せず。中には通ずるものあるよし。宗谷は夷人カリヤシンというふもの。山丹に行。年々山丹人に従ひ唐太へ来り。通辞をするよし。当時は右カリヤシンは山丹の人になれるよし。」

言葉の解説が必要だろう。唐太嶋は樺太のこと。夷人は未開人や野蛮人、または外国人のこと。山丹は山丹人(沿海州の民族)。明治初年に開拓使が調査したのであろう。言葉がなかなか通じなかったが、そこにカリヤシンという通訳者がいたというだけの話であるが、北辺の地にも当然異文化接触はあり、その媒介者もいたわけだ。江戸時代から山丹人(沿海州の民族)とアイヌとの樺太(サハリン)での交易は行われていたようだ。引用した文章は変体仮名で書かれていて、解読に30分を要したのであった

明日は翻訳研究分科会です。詳しくはこちら


日本初の女性通訳者?

2010年03月19日 | 雑想
明日は親戚の法事があり、日帰りの予定で会津若松へ。

日本初の女性通訳者という人の本がある。古屋登世子 (1962) 『女の肖像』(アサヒ芸能出版)。古書価がえらく高い。波瀾万丈の人生だったようで、父は結城無二三(ゆうきむにぞう)という新撰組で近藤勇の客分になった人らしい。古屋英語学園(あるいは古屋女子英語塾とも)を設立したが、親戚に乗っ取られたあげく精神病院に入れられ、後に霊能者として活躍したという。わずかにライオンズ伝というサイトに紹介されているのみ。

翻訳者 古井由吉

2010年03月12日 | 雑想

古井由吉の作品は初期からずっと読んでいたのだが、いつの頃からか、忙しさにかまけて読まなくなって久しい。(「杳子」とか「先導獣の話」とか、実によかった。)読まないくせにぽつぽつと新刊を買っては積ん読状態が続いている。ところで古井は翻訳者でもあった。ロベルト・ムージルの『静かなヴェロニカの誘惑』、『愛の完成』 、ヘルマン・ブロッホの『誘惑者』などを訳している。そしてエッセイで翻訳について何度か書いている。作家が翻訳をすることは珍しいことでもなく、作家による翻訳論(エッセイ)も多いのだが、古井のそれはひと味違うような気がする。わかりやすい所を引用すると、たとえば、

「一頁ごとに、一文章ごとに、いや、ほとんど一言一句に追いつめられ、立往生させられたものだ。訳文の体に格別の注文があったわけではない。入り組んだ原文を、日本語としてどうにか読者の忍耐に範囲内で読みたどれるよう、束ね直すことだけで精一杯になる。とにかく伝わるか、まるで伝わらぬか、そのどちらかであって中間はないという隘路ものべつ渡らされた。それを理不尽として憤る、これこそ理不尽な反応もしばしば起ったが、辛抱するうちに、それでも、物を書くことについて多少悟らされるところはあった。できるかぎり訳文の平明さをこころがけるうちに、複雑な事柄に関する平明さはそれ自体が相応の複雑さをあらわす、でなければ紛い物になる、また、拡散してしまった平明さは平明にもならない、というようなことを。」(「中間報告ひとつ」)

こういうところに翻訳プロセスについてのすぐれた内省がある。「日本翻訳論アンソロジー」の現代編を仮に作るとすれば是非とも収録したい著者だ。しかし解題は書けそうにない。