多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

親を孤立させない環境に

2015-03-11 20:15:53 | 多文化共生
(以下、富山新聞から転載)
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親を孤立させない環境に

寄稿 桜井千恵子(大阪大谷大教授)

 川崎市の中1殺害事件は、なぜこのような事態になったのか重い問いを投げ掛ける。事件の背景にある子どもや家庭を取り巻く厳しい社会状況について、大阪大谷大の桜井千恵子教授(教育学)に寄稿してもらった。

 思春期の子どもの暮らしはストレスが高い。友人関係や学力など気になることが年々増える。かつては村や街が共に子どもを育ててきた。歴史上初めて親だけで子育てを行う時代に、家庭は孤軍奮闘させられている。
 子どもはどうか。
 「面白くないときは無理に笑わなくていい」。新入生に最初に伝えることだ。若者は仲間がいると必死で盛り上がろうと頑張る。「ノリよく明るくテンポよく」の八方美人だらけ。彼らの協調過剰は痛々しい。若者が過剰になると自ら止めることは難しく、やんわり止めるのは大人の仕事だ。

 「大ごとにしないで」

 子どもの個別救済に関わる経験から、問題に出あったほとんどの子どもは「大ごとにしないで」と言う。自立圧力が高くなっているからだ。SOSを出すなど人として許されない。一方で常につながっていたい。ハズされると「自分で」緊張を高める。お風呂でもスマートフォンを手放せない。メッセージを読んだと相手に分かるのに返信しない「既読スルー」は仲間内では命取りと思っている。
 積極的に責任を一人で引き受け、自己を監視する状況がある。社会学研究では、少年事件は被害側だけでなく加害側も自分で自分を追い詰めていたと実証されている。
 近年、社会は「依存」という人として基本的な行為の価値をおとしめてきた。政府の経済的事情から発した「自立支援」が急激に広がり、「自立するなら支援する」と、弱音を吐くなど許さない雰囲気に満ちている。責任を一人で引き受け、自分で自分を監視するからこそ過剰になり、うつになる。本当は、日本社会がSOSを出している。
 親はどうすればいいか。できるのは、大人が共に過ごしつつ子どもの気持ちを受け取る「時間」を持つことだ。ただそれだけのことが難問なのだ。

 SOS分かっても

 子どものSOSに、親は多かれ少なかれ気づいている。事件が起きると「なぜうまく対処できなかったか」と親は責められる。親は不器用だ。だから親だけで子育てさせてはいけない。経済的に困窮している家庭は、SOSが分かっていても臨機応変に対応する時間や気力を奪われている。
 20世紀の英国で精神分析を応用した小児科医ウィニコットは、子どもが社会に適応していく条件を明らかにした。「誰かと一緒のときにひとりになれる」。人は気遣いしてもらえると確信することで自分が自分でよいのだと分かり、社会とやっていけるようになる。
 子どもが自分自身を認める状態を、どう社会的に構想していけるかが教育や子育ての基本だ。そこを社会は見くびり、学力向上に走っている。
 親が生活に困窮しない状況を社会が確保し、親だけで子育てを頑張り過ぎないというまなざしを市民が共有できれば、子どもは必ず生き延びる。