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災害に強い町づくりを、過疎の町と障害者たちに学ぶ

2011-11-17 13:19:43 | ダイバーシティ
(以下、DAIMONDonlineから転載)
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掛け声は「4分で10メートル!」
障害者たちが巨大津波から全員無事に避難完了
“地震慣れした過疎の町”北海道浦河町の教訓
災害に強い町づくりを、過疎の町と障害者たちに学ぶ

2011年3月11日、
精神障害者たちの完璧な津波避難

 北海道日高支庁、襟裳岬の北西に位置する「浦河」という町をご存知だろうか?

 面積は約700平方キロメートル。東京都区部(約620平方キロメートル)より若干広い程度である。東京都区部には約900万人が在住しているが、浦河町の人口は約1万4000人。年々、過疎化と高齢化が進む、地方の典型的な小規模自治体である。産業は、主に農業・漁業・農産物や漁獲物の加工と販売で成立している。「サラブレッドと日高昆布の産地」といえば納得される方も多いであろう。

 浦河の市街地は、海に迫った丘陵と海の間を走る浦河街道に沿って東西に延びる集落と小さな商店街、丘陵の中腹に点在する集落で出来ている。もし防潮堤を越えて津波が押し寄せたら、市街地の重要な部分はほとんど被災してしまう。

 2011年3月11日、東日本大震災の際、浦河町は震度4の地震とともに、高さ2.7メートルの津波に襲われた。浦河町の市街地を守る防潮堤の高さは4メートルあったため、市街地は津波被災を免れたが、船舶・港湾施設は被災した(「広報うらかわ」(浦河町)2011年4月号)。

 このとき、浦河町で、大震災発生直後に「完璧」というべき津波避難をやり遂げた人々がいる。浦河の市街地に住んでいる精神障害者たちである。

浦河べてるの家。精神障害者の地域生活に関する独自の取り組みは、世界中から注目され、視察のために国内外から年間約3000人が訪れるほどだ。

 浦河町には「浦河べてるの家(以下「べてるの家」)」がある。「べてるの家」は、精神障害者たちの生活共同体・働く場としての共同体・ケアの共同体という3つの性格を持ち、精神障害者グループホーム・作業所・喫茶店・地域特産物の販売・出版など多様な事業を手がけている。「べてるの家」のグループホームを中心に集い住む100名以上の精神障害者たちは、時に差別を受けたりトラブルを起こしたりもしながら、浦河の町に根付いて生活している。メンバーには長期入院を経験した重度の精神障害者も少なくないが、施設に閉じ込められるのではなく、浦河の町の中で地域生活を営んでいる。

 精神障害者の地域生活に関する「べてるの家」の独自の取り組みは、世界中から注目されている。「べてるの家」視察のために、国内外から年間約3000人が浦河町を訪れる。浦河町にとって、「べてるの家」は貴重な観光資源でもある。

 今回の東日本大震災に際しては、津波が浦河町に到達するよりも早く、「べてるの家」のメンバーのうち海の近くに住む約60名全員が、かねてからの訓練に基づき、「4分で10メートル」の掛け声のもと、高台への避難を終えていた。「4分で10メートル」とは、「津波は地震から最短5分でやってくるから、地震後4分で高さ10メートル分の避難ができれば助かる」ということである。この訓練は国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所(当時。現在は国立障害者リハビリテーションセンター研究所。以下、国リハ研究所)のプロジェクトの一環として、平成16年~平成18年の3年間にわたって行われ、その後も独自に継続されていたのだが、極めて有効であると実証された形となった。

完璧な津波避難の背後には「反省」も

べてるまつり客席 精神障害者らによる発表あり、プロ歌手やパフォーマーによる歌やコントありのイベント「べてるまつり」の客席の様子。700人を収容できるホールの客席がほぼ満席。九州・関西・関東など遠隔地からの客も多いが、客席を埋めている人々の多くは浦河町近辺の住民。

「べてるの家」は、毎年「べてるまつり」を開催している。そこでは、精神障害者であるメンバーたちにより、日常の生活や、日常の生活が含んでいるさまざまな困難、精神障害による困難との取り組みの様子が披露される。「べてるまつり」は、町の内外から多くの観客が訪れる楽しいイベントとして、浦河町に定着している。

 今年8月の「べてるまつり」では、「べてる防災チーム」のメンバーが、ユーモアをもって震災時の避難の様子を披露した。

 そこで披露されたのは自慢話ばかりではない。メンバーたちは一晩を避難所で過ごしたのだが、避難所に集まった住民は「べてるの家」に馴染みのある人々ばかりではなかったため、避難所で極度の緊張や苦痛を感じるメンバーもいたそうだ。心身の緊張状態は、ほぐそうとして簡単にほぐせるものではない。「リラクゼーションを学んで身につけておかなくては」という反省が語られた。

防災訓練前の様子 「べてる防災チーム」による、防災訓練前の自分たち自身の様子。震災に対して何をすればよいか分からない。幻聴に「逃げるな」と言われて身動きが取れなくなる人もいる。

防災訓練の様子 同じく、防災訓練時の自分たちの様子。ダンボールで作った「津波」「建物」「幻聴」に対してどうするかを考え、そのとおりに出来るよう訓練する。幻聴に「逃げるな」と言われたら、「幻聴さんも連れて逃げる」という対処をする。

 持病である精神疾患のコントロールに必須の常用薬を持たずに避難したメンバーもいた。震災後、精神疾患を悪化させて入院したメンバーも4人いたという。「地域とのお付き合いや病気とのお付き合いを、ふだんからもっと大切にしなくては」という反省も語られた。それらの反省も含めて、「べてる防災チーム」の発表は、観客の笑いと共感と大きな拍手を誘った。

 本記事では、「べてるの家」の精神障害者たちの完璧な津波避難がどのように可能になったのかを多面的に検討する。事前に予測することが困難で、万全の備えが可能とは限らない大災害に対し、どのように考え、どのように備えれば良いのだろうか。

「べてるの家」の場合、鍵は情報提供にあった。しかし、情報は「提供されればそれでよし」というわけではない。「べてるの家」のメンバーには、重度の精神障害者が数多く含まれているからだ。「情報が提供される」と「情報が利用できる」の間には、健常者に対する以上に、大きな溝がある。
誰もが理解できて行動に結びつく
災害時に必要な「情報提供」とは?

 完璧な津波避難で「自助」を示した「べてるの家」のメンバーは、どのように情報を提供され、どのように訓練を行ったのか。当時、国リハ研究所でプロジェクトの遂行にあたった河村宏氏(現・DAISYコンソーシアム会長)は、プロジェクトが始動した事情をこのように語る。

「もともと、障害のある人に、災害についてどういう情報提供をすればよいのかと考えていました。災害時の犠牲者には、認知症の方・知的障害者・精神障害者が非常に多いのです」

 健常者に対しても「早期に正確な情報を伝える」は重要であるが、障害者の場合には「どうすれば情報を伝えられ、行動に結び付けられるか」という課題が発生する。ある人は、視覚障害や聴覚障害などにより、情報に接することができないかもしれない。ある人は、幻聴に「逃げるな」と命じられるゆえに逃げられないかもしれない。ある人は、情報を得て「逃げなくちゃ」と思ったけれども、その思いを「逃げる」という行動に結び付けられないかもしれない。ある人は、情報を得ても行動に結びつけるための知識を持っていないため、津波の時に浜辺の避難所に避難しようとしてしまうかもしれない。

 阪神淡路大震災での犠牲者の検死結果では、犠牲者のほとんどが地震発生後30分以内に亡くなっていたという。逆に言えば、生き延びられるかどうかは発災後30分の勝負ということだ。だからこそ、タイミングを逃さない緊急情報の提供が必要なのである。しかし、緊急情報をタイミングよく得られたとしても、それを生存のために生かせるかどうかは、判断のよりどころとなる知識・選択する行動によって大きく左右される。では、知識と行動はどのように提供できるのか。

 プロジェクトの目標は、障害ある人が必要な知識を学習できるようにすること、行動に活かせるようにすること、その結果としての防災力の向上を実証することに置かれた。

 知識や情報を伝える上で最も困難なのが、重度精神障害者である。しかし精神障害者への情報支援については、過去に研究情報が存在しなかった。

 河村氏らは、「べてるの家」に注目した。「べてるの家」のメンバーである精神障害者たちの中には、数多くの重度精神障害者が含まれている。「べてるの家」のメンバーたちは隔離されることなく、町の中に住んでいる。だから、町ぐるみの取り組みができる。「べてるの家」のある浦河は、地震の多い日本の中でも特に多くの頻度で地震を経験してきた地域である。記録に残っている大津波はチリ地震津波(2.1メートル)だけであるが、記録に残っていないだけで、大津波は過去にあったのかもしれない。だから、いつか来る津波に備えた実証実験には大いに意味がありそうだと考えられた。

「べてるの家」のメンバーにも、災害に備えたいというニーズがあった。「べてるの家 防災チーム」の中心的存在となっている清水里香氏は、

「地震の時に自分がパニックになったらどうしよう」

 と心配していた。

 津波が来たら逃げなくてはならないということは理解できる。しかし、その時にパニックになったら逃げられなくなる。津波が来てパニックになる自分について考えていると夜も眠れない。そこで、自分が安心するために、知識と方法を身につけ、勉強と訓練をしたいと考えた。清水氏が、自分の住んでいるグループホームの他のメンバーにその思いを語ってみたところ、グループホームのメンバー全員が必要性と意味を理解した。そこで生まれた「防災学習会」が、現在の「防災チーム」へとつながっている。

 河村氏らは、「べてるの家」のメンバーのために避難マニュアルを開発する一方で、浦河町と共同で避難ルートの整備と確保を行った。「べてるの家」のメンバーには、向精神薬の副作用である過食・肥満から糖尿病となり低血糖症予防などの疾病管理が必要な人・高齢化に伴って歩行が困難になった人・精神障害者ではないが車椅子を利用している人も多く含まれている。このため、階段のないルートも確保する必要があった。このようにして確保された避難ルートは、「べてるの家」とは別に、歩行に困難を抱える人や車椅子利用者にも役立つことになる。

浦河町の道路沿いには、津波避難場所を示す看板が数多く設置されている。しかし、看板があれば緊急時に避難できるわけではない。

 避難にあたっては、「どれだけ避難すれば充分なのか」を知っておくことが必要だ。コンピュータシミュレーションによれば、浦河町を襲う可能性のある最大の津波の高さは6メートルであった。だから、海抜10メートル以上のところに避難すれば充分ということである。津波は、最速で地震から5分以内で到達する。だから、4分間で10メートルの高さだけ避難できればよい。

 読んで理解でき、「読んだ」「理解した」だけではなく「そうしなくては」という行動に結びつくマニュアルを作成することは、実はまったく容易ではない。対象が精神障害者であればなおさらである。しばしば持続しない関心を持続させるために、河村氏らは心理学とテクノロジーを駆使し、精神障害者たちの心理の偏りに寄り添ったマルチメディアのマニュアルをDAISY形式で作成した。長さは7分。飽きることなく最後まで視聴できることに配慮した長さである。五感を活用して印象づけられるように、「べてるの家」のメンバーたちを登場させた。文章は肯定文とし、否定文は用いなかった。否定文は分かりやすさを損ねるからである。そして、短い言葉で本質を語るようにした。

災害時には強者も弱者もない
隣近所とのチームワークこそ生き残る道

 マニュアルが理解されたら、次はマニュアルに沿った訓練である。「べてるの家」ではミーティングを非常に大切にしており、1日に何度ものミーティングを行う習慣がある。その中にはSST(Social Skills Training:社会技能訓練)も含まれている。

 河村氏らと「べてるの家」のメンバーは、まず、SSTの中に避難訓練を位置づけることにした。そうすると、地震の翌日のSSTで「昨日どうだった?」と尋ねるところから、自然に「災害時にはどうすればよいか」という話ができる。

 実際に避難所に避難して宿泊してみる訓練も行った。マルチメディアのマニュアルを視聴して、そのとおりに行動してみて、反省点を次回にフィードバックする。この訓練は現在も毎年、夏と冬、昼夜1回ずつ、合計4回行われている。冬の夜、明かりのない中で凍りついた道を避難する訓練は、それは辛いものであったそうだ。訓練は、ときどき浦河町役場と合同で行われた。

 このような訓練のプロセスの中で、近隣住民たちとの交流が芽生えた。「べてるの家」のメンバーは、近隣から「べてるの人」とみなされていたが、「里香さん」「美枝子さん」「潔さん」と固有名詞で認識されての付き合いが出来るようになった。そして3月11日の大震災の際、「べてるの家」のメンバーは「4分で10メートル」という掛け声のもと、完璧な津波避難を行った。いつしか「べてるの家」は、町に貢献する姿勢を持つ人々の集まりとして認識されはじめた。

 河村氏は語る。

障害者の一部は、独自に防災活動を展開している。その一例である防災ハンドブック「こんなん ええやん!」。阪神淡路大震災後、災害時障害者支援のために設立されたNPO法人「ゆめ風基金」が編集・発行。

「災害時に死なないようにするには、1人ひとりが周囲・隣の人と助け合うしかないんです。1人で逃げられないなら誰かと逃げるしかない。隣近所で助けあうチームワークを作るしかない。1人だけ助かるなんて無理です」

 でも、そこにいる全員が、自分の持っている何かを出しあって助けあわなくてはならない場面で、何も持たない人々はどうすればいいのだろう? 全身が動かない重度身体障害者は? 「ふつう」のコミュニケーションが難しい知的障害者は?

「何も持たないということはありませんよ。たとえばALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんたちは、大変な情報・知識持ちです。知的障害者は、教えられたことを確実にそのとおりにすることができるし、体力もあります」(河村氏)

 情報弱者だから助からないとも限らない。

「阪神・淡路大震災の時、20代の若い人がたくさん亡くなっているんです。学生で、お金がないから古い木造アパートに住んでいて、建物に潰されたんです。強者も弱者もないのが災害時です」

(ライター みわよしこ)

外国人3万5000世帯が生活保護受ける

2011-11-17 13:14:41 | 多文化共生
在留資格から考えると2.9%というのは、とても高い比率だろう。
永住、定住、日本人の配偶者の人数は、日本の人口の1.1%程度。
つまり、日本人の2.6倍もの高い割合で生活保護を受けていることになる。

(以下、日刊スポーツから転載)
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外国人3万5000世帯が生活保護受ける

 生活保護を受ける外国人は2009年に約3万5000世帯に上り、全受給世帯の2・9%になる。難民やドメスティックバイオレンス(DV)の被害者のほか、08年のリーマン・ショック以降は失業した人たちが保護を受けるケースも増えた。

 厚生労働省によると、保護を受けている外国人は永住や定住、日本人の配偶者の在留資格を持つ人が中心で、09年のデータでは韓国・北朝鮮、フィリピン、中国の順に多い。厚労省は「人道上の観点から保護を行っている」としている。

 熊本市の外国人支援団体「コムスタカ(外国人と共に生きる会)」などによると、保護を受けることが多いのは、病気や障害で働けなくなった場合のほか、日本人の夫との間に子どもがいるのに離婚を迫られ養育費が得られなかったり、夫からDVを受けて母子寮に避難したりした母親のケースがあるという。

 生活保護支援九州ネットワーク顧問の吉永純花園大教授(公的扶助論)は「外国人は生活困窮者の割合が多く、保護の必要性は高い。判決が国に法的保護の義務があると明言したのは画期的で、行政に丁寧な事実認定を求めている。ただ、要件が緩和されたわけではないので、保護を受ける外国人が増えることにはつながらない」と話している。(共同)

 [2011年11月15日20時19分]