一般に、在住ブラジル人は、日本での自己実現へと至るヒーロー像が描けないと言われている。ブラジル国内には「ジャパンドリーム」があっても、実際に日本で暮らす在住ブラジル人の子どもらには将来の夢が描けない、つまり、日本社会で成功したブラジル人の具体的な人物がいないということを示している。このことが、彼らに学習意欲を持たせることができないネガティブな理由のひとつであるとも言われている。
日本で生まれ、日本に育ったブラジル人の子ども達の中から、ワールドカップで活躍するようなサッカー選手が出現するようになれば、彼らの住む世界も、また変わるだろう。そして、記事中にもあるが、子どもの交流から親同士への交流が始まることも期待したい。
(以下、読売新聞から転載)
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国内にあるブラジル人学校で初めて学校法人の認可を受けた大垣市の「HIRO(ヒロ)学園」が、2月の新学期から、初のクラブ活動として「フットサルクラブ」を発足させることになった。川瀬充弘理事長(52)は、「サッカー王国ブラジルの子供たちなのでレベルは高い。全国大会を目指すことで、子供たちに自信を持たせたい」と意気込んでいる。
同学園は、日本語になじめないブラジル人の子供の教育のため、2000年4月に開校した。帰国する子供たちのために母国語のポルトガル語教育を中心に日本語にも力を入れているのが特徴だ。
ブラジル政府の認可を受けて、同学園を卒業すれば本国の大学受験資格を得ることができるようになっている。このため、大垣市のほか、愛知県など県外から通う子供も多く、幼児科から高等科3年生まで約300人が学んでいる。
同学園には運動場がなく、初等科1年生から高等科3年生までの体育の授業は、大垣市の施設を借りている。正規の授業をするのがやっとで、とてもクラブ活動にまで手が回らなかった。
しかし、川瀬理事長が「学校法人化から1年が過ぎて、何か子供たちが喜ぶことをしてあげたい」と、子供たちの要望を聞き、本国でも人気のあるフットサルをクラブ活動に取り入れることにした。
フットサルクラブは、中等科2年から高等科3年までの希望者を募り、2月に発足させる予定だ。今のところ、男子20人ぐらいが参加しそうだ。当面、民間が運営する大垣市興福地町のフットサル場をホームグラウンドにし、川瀬理事長自らがJR大垣駅から送り迎えする。
川瀬理事長は、「生徒の父親たちに指導者になってもらい、親同士の交流も図りたい。いずれは全国大会にも出場して、日本で良き思い出を作ってもらいたい」と話している。
(2008年1月19日 読売新聞)
日本で生まれ、日本に育ったブラジル人の子ども達の中から、ワールドカップで活躍するようなサッカー選手が出現するようになれば、彼らの住む世界も、また変わるだろう。そして、記事中にもあるが、子どもの交流から親同士への交流が始まることも期待したい。
(以下、読売新聞から転載)
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国内にあるブラジル人学校で初めて学校法人の認可を受けた大垣市の「HIRO(ヒロ)学園」が、2月の新学期から、初のクラブ活動として「フットサルクラブ」を発足させることになった。川瀬充弘理事長(52)は、「サッカー王国ブラジルの子供たちなのでレベルは高い。全国大会を目指すことで、子供たちに自信を持たせたい」と意気込んでいる。
同学園は、日本語になじめないブラジル人の子供の教育のため、2000年4月に開校した。帰国する子供たちのために母国語のポルトガル語教育を中心に日本語にも力を入れているのが特徴だ。
ブラジル政府の認可を受けて、同学園を卒業すれば本国の大学受験資格を得ることができるようになっている。このため、大垣市のほか、愛知県など県外から通う子供も多く、幼児科から高等科3年生まで約300人が学んでいる。
同学園には運動場がなく、初等科1年生から高等科3年生までの体育の授業は、大垣市の施設を借りている。正規の授業をするのがやっとで、とてもクラブ活動にまで手が回らなかった。
しかし、川瀬理事長が「学校法人化から1年が過ぎて、何か子供たちが喜ぶことをしてあげたい」と、子供たちの要望を聞き、本国でも人気のあるフットサルをクラブ活動に取り入れることにした。
フットサルクラブは、中等科2年から高等科3年までの希望者を募り、2月に発足させる予定だ。今のところ、男子20人ぐらいが参加しそうだ。当面、民間が運営する大垣市興福地町のフットサル場をホームグラウンドにし、川瀬理事長自らがJR大垣駅から送り迎えする。
川瀬理事長は、「生徒の父親たちに指導者になってもらい、親同士の交流も図りたい。いずれは全国大会にも出場して、日本で良き思い出を作ってもらいたい」と話している。
(2008年1月19日 読売新聞)