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武田薬品、創業家一族ら「反旗」 あす株主総会、外国人社長就任反対へ

2014-06-26 09:11:18 | ダイバーシティ
(以下、SankeiBizから転載)
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武田薬品、創業家一族ら「反旗」 あす株主総会、外国人社長就任反対へ
2014.6.26 06:56

武田薬品工業の株主総会前に株主が提出した質問状

 日本最大手の薬品メーカー、武田薬品工業が逆風にさらされている。OB株主や創業家一族の一部が、既に内定している外国人の社長就任に反対したほか、医師主導の臨床研究への組織的関与も明るみに出た。27日の株主総会後に長谷川閑史社長は退任するが、株主からの批判は必至で、大荒れの総会となりそうだ。

 武田の幹部OBによると、創業家一族やOBらが今年2月初めに「タケダの将来を憂う会」を結成。同月下旬、長谷川社長に面会を求めた。

 面会では、米ミレニアム・ファーマシューティカルズやスイスのナイコメッドなどのM&A(企業の合併・買収)が効果を上げていないなどと主張。

 長谷川社長を含む執行部の退陣や、グラクソ・スミスクライン出身のクリストフ・ウェバー氏の社長就任を見送り、日本人社長の選出を求めた。長谷川社長はその場で回答せず、幹部OBは「その後も面会を求めたが、実現しなかった」と話す。

 このため、4月に7項目からなる「定時株主総会の事前質問状」を112人の連名で提出した。ナイコメッドのM&Aの非合理性を突き、その失敗の責任を追及する内容だ。長谷川氏が進める国際化路線についても、「形の上からのみの実態を伴わないもの」と批判。創薬などにおける中核技術の海外流出を危惧している。

 提出者の持ち株は、創業家一族も関わるとはいえ全体の1~2%にすぎない。総会でウェバー氏の社長就任が覆る可能性は低いが、かつての身内が現経営陣に反旗を翻したことに社内の動揺は大きい。

 武田は本業でも社会的信用が損なわれつつある。第三者機関の法律事務所は今月20日、降圧剤ブロプレスを使った医師主導の臨床研究において、武田の不適切な組織的関与があったとの調査報告を発表した。

 長谷川社長は「製薬企業全体の信頼を失わせる行為で、真摯(しんし)に反省している」と謝罪したが、総会ではこの件でも経営責任を問う質問が予想される。

 また、武田は「月額4000万円以内」とする全取締役の報酬額について、「国内外を問わず世界でもトップレベルの人材を確保するため」として、9000万円以内へと改定する議案を出した。

 武田の最終利益は、売れ筋の新薬開発が進まず、主力商品の特許切れなどもあって下降傾向にあり、一般株主にも同社への不満が広がる可能性も出ている。

職場うつを防ぐレジリエンス

2014-06-26 09:10:10 | ダイバーシティ
(以下、WEDGE Infinityから転載)
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職場うつを防ぐレジリエンス
企業の構造的課題を補う対応策
HRビジネスパートナー 舞田竜宣社長に聞く
2014年06月25日(Wed)  海部隆太郎 (ジャーナリスト)


レジリエンスという言葉(行動)に注目したい。直訳すれば回復力、復元力などを意味し、日本では企業システムやハード面で予期せぬ事象への対応などに使われることが一般的という。だが、大事なのは取り換えができるシステムやハード対応ではない。人である。社員が挫折や困難な状況に打ち勝つ「変化に強い心」を養える取り組みこそ、本来的なレジリエンスと捉えるべきではないか。これがうつ症状への予防につながる。気が付かないうちに忍び寄る状況にも、気づきを与える効果があるように思える。そこで、人事・組織マネジメント分野で活躍するHRビジネスパートナーの舞田竜宣社長に企業が直面する問題とレジリエンスについて聞いた。

舞田竜宣(まいた・たつのぶ)
グロービス経営大学院教授、多摩大学大学院(MBAコース)客員教授。東京大学経済学部卒。外資系人事コンサルティング会社の日本法人社長を経て、HRビジネスパートナーを設立。リーダー育成、M&A、グローバル経営、事業再生などの人事・組織マネジメントを手掛ける。日本行動分析学会会員、国際行動分析学会会員。主な著書に『24時間の使い方で人生は決まる』(ファーストプレス)『社員が惚れる会社の作り方』(日本実業出版社)『10年後の人事』(日本経団連出版)など多数。

組織の強者に広がるメンタル不調

―― グローバル化とダイバーシティへの対応は、日本企業にとって必携とも言うべきキーワードになっています。まだ、一部企業の話なのかもしれませんが、企業環境は確実に変化しています。その状況では、働く人のメンタルにも変化が生じると思いますが、客観的に企業を見ている立場でどのような感じ方をされていますか。


HRビジネスパートナー 舞田竜宣社長
舞田:日本企業の生きる道は、国内に踏みとどまることではなく海外に活路を見出すこと。問題なのは、この流れに組織が対応しきれていないことがあげられます。乱暴な表現になりますが、以前であれば職場うつなどメンタル問題は、組織内の弱者に多く見られた現象ですが、今は強者といわれてきた人たちの問題にまで広がっているように見えます。グローバル対応や新規事業開発などに携わる人材たち、言い換えると企業の競争力の源泉とも言える人たちが、強度のストレスにさらされている。それも昔なら一部の人たちだけが関わる仕事であったものが、今は多くの人が関わるようになってきた。例えば、心の準備もないままに新興国への赴任が決まったり、新規事業の最先端を担うようになったり、とミッションを抱え込んでいます。大企業だけのことではないとみています。

 景気上昇時ならば企業も余裕があり、その中で展開する海外進出、新規事業開発でしたが、今はそのような状況ではありません。人は増やさず、生産性、効率性が求められるような背水の陣ともいえる中で、ギリギリのサポートしかなく、能力、心の準備も整っていない。これで最前線へ飛び込むのですから、どこかで無理が生じてしまう。セーフティネットがないのに綱渡りをさせられるのでは、メンタル不調者が出てしまうのも必然と思えてきます。時代の変化に企業が対応しきれていない構造的な問題だと感じています。

レジリエンスは落ち込むことが前提になる

―― 企業はどのような対応をしていけばいいのですか。産業医によるカウンセリングなどが受けられる企業は多いと思いますが、これだけでは不十分でしょうか。

舞田:メンタル不調者への対応は多くの企業で実施されています。それでも不調者は減らないし、広がりをみせている。社員がうつ病を発症し、休職、復職となると本人も会社も負担が大きいし、最前線で働く社員であれば戦力ダウンは企業の命運にも関わってしまう。うつ予防とケアをしているから安心というわけではなく、さらに予防の充実が必要だと思います。簡単には心が折れない、何かあっても回復できる力を養うなどレジリエンスを人財育成のプログラムに組み入れていくことが、グローバル化にさらされる企業にとって、自己防衛であり競争力の強化につながるはずです。

―― レジリエンスとは、具体的にどのような概念ですか。

舞田:平たく言えば精神力です。ただ、根性とか曖昧なことではなく学術的な要素が加わります。習得することで鉄の心を持つようなことではありません。相手を跳ね返すのではなく、むしろ壁にぶつかった時にへこんでしまうことを前提にするのです。与えられたミッションを遂行する途中で、何らかの形でぶつかる相手は巨大です。これには勝てるわけがない。だから一度はへこんでしまい落ち込むのですが、そのまま抑うつ状態のようになるのではなく、回復していく力といえます。竹は折れにくく曲げてもしなるだけで元に戻ります。このイメージでとらえると分かりやすい。職場で落ち込む要因は多様ですが、回復する力をもつことで折れない心を自身でつくりあげていくことができます。

―― 何事もうまく行かないのが当然だと考えると、何かあっても気持ちをとり直せるような気がしますが、積極性がなくなるような気もします。

舞田:ぶつかって突き抜けられなければ腹を切るというのが日本人の発想にあります。そうではなく弾き飛ばされてもへこんでも、もう一度立ち上がっていかなければいけない再起の力と考えてください。行動しなければへこまないという消極的な考え方とは基本的に違う。レジリエンスは精神力の持ち方ですが、これを伝えていくのは難しい。数種類のトレーニングを組み合わせ、多様な角度から取り組むことで折れない心を作り上げていきます。私の研究では、6つのトレーニングを通して総合的にレジリエンスを身に付けて行く技法が最適だと考えています。

折れない心を築く6つのトレーニング

―― 具体的に教えてください。

舞田:1番目は自分の軸をもつこと。軸とは、しっかりとした自分の行動、方向性を判断する価値観といえます。日本人は、とかく評判や他人の顔色を伺う傾向にあり、他人軸に振り回されてしまいます。これだと未知の局面や否定された時に太刀打ちできない。自分の価値観を自覚できているかどうかレジリエンスにつながります。2番目は人とのつながりです。自分軸を持ちつつ、人が支えてくれたことを振り返ってみる。そうすると人に与えたことよりも人から受けたことの方が多いはず。これに感謝し、人に尽くすことを行動に出せば、良好な人間関係を構築できます。行き詰まったとき、何で誰も助けてくれないのかと思うのか、人に尽くしていないからと思うのかでは大きな差になります。

 3番目は柔軟な考え方です。認知行動療法にも取り入れられていますが、認知の考え方を変えること。コップに水が半分しかないと嘆くのか、まだ半分あると希望をもつのか、ポジティブにみる姿勢です。4番目はアクションを組み立てるための力です。心の持ち方などを変えるだけでなく具体的なアクションを起こす力がなければいけません。何を目指すのか長期的な目的に向って構造、課題、アクションをシンプルに分け遂行する力です。

 5番目は自己コントロール。自分の精神状態を安定させるためのトレーニングです。事象を見てすぐに判断しない。驚かない、動揺しないように訓練をします。瞑想などで動じない心をもつことは回復力のベースになります。最後の6番目が良い習慣です。心身の状態をキープするには、生活が乱れていてはできません。睡眠、適度な運動、バランス良い食生活などを心がける健康の基本です。

 簡単に説明しましたが、この6つのトレーニングを実践していくことで、折れない心を築いていくことができます。

―― 自分軸をもつことは、日本の社会で重視される協調性を失うことにつながりませんか。

舞田:例えば武士道をみると、自分の道を究め、それを相手に押し付けないことを重視していました。和を尊ぶことを表面上のみとらえ自己表現しないこととする考え方が蔓延していますが、それは違う。自分の考え価値観をもつことと、我を通すことを混同してはいけないでしょう。言い換えるとレジリエンスの実践は、古き良き日本人らしさへ回帰する方法ともいえるかもしれません。

―― レジリエンスは健康な状態の時に行う自己啓発とみていいのでしょうか。

舞田:メンタル不調時にトレーニングをやれといっても無理があるでしょう。どちらかといえばケアでありません。ただ、今は実践できなくても知識として知っておくことは無駄ではないでしょう。冒頭に話しましたように企業内の人材育成として取り入れるパターンが多いと思います。もちろん、うつ病を予防する効果も大きい。

乙武洋匡さんが描く東京五輪

2014-06-23 11:48:44 | ダイバーシティ
(以下、WEDGE Infinityから転載)
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乙武洋匡さんが描く東京五輪
激しい都市間競争を勝ち抜け 「TOKYO」アジアNo.1都市へ
2014年06月23日(Mon)  WEDGE編集部

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世界が注目する6年後の祭典で、東京は何を伝えるべきなのか。作家の乙武洋匡さんに聞いた。

 パラリンピックをなくしたいと思っています。障害のあるアスリートが活躍できる舞台をなくすべきと言っているのではなく、オリンピックとパラリンピックを一つの大会として開催できたらいいという考えです。


乙武洋匡さん
 現状を考えると、荒唐無稽だと言う人もいるでしょうが、そこまで無理な話だとは思っていません。例えば、柔道が体重別に階級が分けられているのは、体重差というハンディキャップをなくすため。それと同じで、身体障害や視覚障害などの身体機能ごとに階級を分けて競技すればいい。今すぐに実現するとは思いませんが、少なくとも6年後の東京では何ができるのか模索することは大切です。

 東京は、戦後復興から世界4位の都市になりました。今後、都市間競争の時代に何に価値を置いて都市の魅力を高めていくのか。これまでは、経済力に価値を置いてきましたが、そこは維持しつつも、別の魅力を高める努力をしなければならないと思います。

 その一つが「ダイバーシティ(多様性)」です。ほかの都市と比べて、東京はこれが決定的に足りていないと感じています。

ーーでは、乙武さんにとって、多様性のある都市とは。

 僕が好きな都市の一つに、タイのバンコクがあります。確かに、バリアフリーの整備は遅れていて、車椅子ユーザーの私にとって便利な都市では決してありません。でも、居心地の良さを感じました。

 例えば、バンコクではLGBT(レズビアン、ゲイ、バイ・セクシャル、トランスジェンダー)の方々への寛容さがあります。ニューヨークやシンガポールのような多国籍都市ではないけれども、障害者や外国人を含めて、いろんな違いを持った人たちも受け入れる懐の深さ、安心感がバンコクにはありました。

ーー2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、世界中から多くの人たちが東京に集まる。東京が世界に伝えるべきメッセージとは。

 例えば、オリンピックとパラリンピックの開会式と閉会式を同時に開催する、マラソンだけ同一競技にするなど世界に向けてアドバルーンを揚げることは大切です。

 ただ、本当の意味での多様性を持った都市にするには、障害者や外国人、同性愛者などマイノリティを受け入れる制度、環境づくりが求められます。どう整えていくのか、それがこの6年間の課題になるでしょう。

ーー特に、オリンピックでは、過度な商業主義的な方向性が指摘される。これからのオリンピックやパラリンピックが歩むべき姿とは。

 成熟型が期待されたロンドンは、英国が重ねてきた歴史と伝統を見せつけた大会でした。2016年のブラジル・リオデジャネイロは、経済成長を証明する大会にするそうです。でも、東京は1964年に達成していて、その段階にありません。ならば、日本は何を示す大会とするのか。

 批判を浴びることを承知の上でのアイデアですが、開会式を数十年前のオリンピックのように、入場行進と聖火台点火、開会宣言に限るシンプルな形に戻すのもコンセプトの一つだと思います。超高齢化、人口減少という課題を抱える先進国は、先を行く日本に注目しています。そこで「スケールダウンする覚悟」を見せる。結果、小さな国も開催国として立候補しやすくなるでしょう。

 東京が勇気を持って新しいオリンピックの姿を示せれば、50年後や100年後に「東京での開催がオリンピックの分水嶺だった」「東京、グッドジョブだ」と言われるようになるかもしれません。

あさイチ本気 驚きの視聴率上昇

2014-06-17 15:24:22 | ダイバーシティ
(以下、livedoorNEWSから転載)
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あさイチ本気 驚きの視聴率上昇

東洋経済オンライン 2014年06月12日08時00分
″NHK顔″の勝利? 「あさイチ」独走のワケ 視聴率3倍増の背景に、ダイバーシティ戦略
視聴率3倍、女性に大人気の「あさイチ」

5月26日(月)14.5%

5月13日(火)15.6%

5月 9日(金)13.4%

4月30日(水)14.7%

これはビデオリサーチが発表した過去1カ月の「あさイチ」(NHK)の週間最高視聴率です。「週間高世帯視聴率番組10」の教育・教養・実用【関東地区】部門で「あさイチ」は1位を独走中で、ほかの朝番組の追随を許しません。

筆者が在籍していた頃のNHKでは、「朝ドラの後に視聴率が大きく下がるのは仕方がない」というのが不文律のようになっていました。民放の朝の情報番組はどれも強力でしたし、どんな上質な生活情報番組を制作しても、「事件・事故・芸能ゴシップ」にはかなわないだろうと。

ところが、この枠が不死鳥のようによみがえったのですから驚きです。前の「生活ほっとモーニング」の視聴率が4~5%で推移していたことを考えると、10%も視聴率をアップさせたことになります。

■本気で視聴率を取りに行き始めたNHK
なぜ「あさイチ」は成功しているのでしょうか? それは、NHKが本気で視聴率を取りにいっているからです。

かつてのNHKは「視聴率を気にせず上質な番組を制作する」という姿勢を貫いていましたし、私たちもそう教えられました。低視聴率でも局内のキーパーソンに「上質だ」と認められればディレクターの評価は上がったのです。今でももちろん「上質な番組作り」への姿勢は変わりませんが、ここ数年で「視聴率を気にせず」という部分が大きく変化したように思います。

「あさイチ」成功の立役者であるNHK制作局の井上勝弘チーフプロデューサーは、日経ビジネスアソシエ(2013年3月号)のインタビューで、「『誰もテレビを見なくなるかも』という危機感が独自色を追求する原動力となった」と語っています。

受信料によって支えられているNHKにとって、視聴者の高齢化は大きな課題です。制作側の論理だけで制作して「さあ、いい番組を制作しました。見てください」と一方的に放送しても、スマホや民放番組の刺激になれた若い視聴者には見てもらえません。

NHKの「あさイチ」から見てとれるのは、徹底した「顧客主義」です。ターゲットを主婦、それもNHK離れが進んでいた40代女性に絞ったと言います。この層に絞ってどんな戦略を立てたのか。分析してみます。

■「あさイチ」が受ける3つの理由
まずひとつめは、「美人すぎないキャスティング」です。

この枠は長らく、美人女性アナウンサーが司会を務めていました。(男性アナウンサーは美男から美男すぎない人まではさまざま?でした)。ところが女性は美人には厳しいのです。しかも朝の連続テレビ小説で堀北真希さんや仲間由紀恵さんなど美人女優を見た後に、美人アナウンサーが出てくると若干お腹いっぱいになります。

そこで「美人すぎない」有働由美子アナウンサーと井ノ原快彦さん(V6)が起用されたのではないかと筆者は推測しています。2人とも何となく顔のつくりは似ているし、NHK顔。

筆者が考えるNHK顔とは、黒木メイサさんや阿部寛さんのようなエキゾティックな顔とは逆の「和風な顔立ち」のことです。親近感がもてて、なおかつ顔が主張しすぎないので番組やニュースの「コンテンツ」を邪魔しない……。そういうイメージです。NHKの看板アナウンサーである有働アナウンサーはその象徴ですし、井ノ原快彦さんについては、ジャニーズのアーティストの中でもトップランクのNHK顔なので、局のアナウンス室に座っていても何の違和感もありません。

とはいうものの、いくらNHKの視聴者に愛されるとはいえ、総合テレビの帯番組の司会に局のアナウンサーではない井ノ原快彦さんを選んだのは英断だったと、局内の人たちから聞いています。NHKには全国に数多くの優秀なアナウンサーがいるわけですから、タレントをキャスティングするのは、それ相応の論理が必要です。この壁を打破するのは、とても大変だったそうです。おそらく、番組を立ち上げたスタッフが「この枠を変えるのだ」という決意の象徴として起用したのではないかと思います。

2つ目は「朝の連続テレビ小説との徹底した連動」です。この連載の第1回でもお伝えしたテレビ朝日の「相棒視聴者を逃さない戦略」と同じです。朝ドラの内容を受けて番組が始まるのは恒例となりましたし、朝ドラ出演者をバンバン、ゲストに呼びますから、朝ドラファンの視聴者にはたまりません。

6月6日(金)のゲストは室井滋さん。「花子とアン」でヒロイン安藤はな(吉高由里子)の母親役を熱演しています。しかもこの日の放送は、室井さんの見せ場がとても多い日でした。「あさイチ」なのに、これでもか、これでもか、と「花子とアン」の映像が流れます。前半45分はほぼ室井さんのトークと「花子とアン」の映像でした。

3つ目は、扱うトピックです。「セックスレス」「オンナの股関節ケア」「我慢の限界! 夫との会話」など、特集部分は完全に女性目線で番組が作られています。そのほかの部分は、地方中継や料理など、けっこう前番組から踏襲していますから、圧倒的に刷新されたのがこの特集部分です。番組へ寄せられるファックスはほとんどが女性からで、女性視聴者の囲い込みに成功しているのがわかります。

■本気のダイバーシティが、テレビを変える
徹底した顧客主義を成功させたのが、この番組を立ち上げた制作スタッフのダイバーシティ戦略です。この番組のスタッフの半数は女性であり、民放出身の制作会社のスタッフも多くいると聞きます。

どうやったら視聴率を上げられるのか。その目標に向かって多彩な意見を取り入れた結果が、「あさイチ」の成功につながっているのです。女性スタッフが興味がないと言ったトピックは取り上げないし、演出のテイストが明るく華やかになったのは、外部スタッフの意見を積極的に取り入れたからだとのことです。

「あさイチ」の改革は、アメリカのABC放送の番組改革ととても似ています。アメリカの朝のモーニングショーはABC、NBC、CBSという3大ネットワークがしのぎを削っていましたが、16年間にわたってずっとNBCが視聴者数1位でした。

ABCは女性のアン・スウィーニー氏が2004年にトップに就任してから、編成と制作の大改革を進めてきましたが、朝の“グッドモーニングアメリカ”をはじめ、ニュース・情報番組では苦戦していました。そこで、スウィーニー氏が2010年に、エグゼクティブ・プロデューサーだったベン・シャーウッド氏をABCニュースのトップに抜擢し、モーニングショー改革を行ったところ視聴者数が増えつづけ、その年にNBCを逆転しました。

ABCが徹底的に重視したのも女性目線。視聴者を完全に女性に絞り、番組を刷新したことによって今では“グッドモーニングアメリカ”はNBCの“トゥデイ”を抜いて、視聴率・視聴者数ともにトップを独走しています。

ダイバーシティ、ダイバーシティと連呼される昨今、「あさイチ」は最もわかりやすいダイバーシティ戦略の成功例だと言えます。民放の情報番組の多くは男性目線で作られていますから、「あさイチ」に女性視聴者を持っていかれるのは必然なのかもしれません。もちろん、ダイバーシティ戦略を成功させるには、女性を重要なポジションに登用する「男性」が必要なのは、言うまでもありません。

「体が勝手に電車に飛び込もうと…」周りからわかりにくい「仮面ひきこもり」の特徴

2014-06-16 15:39:01 | ダイバーシティ
(以下、BusinessJournalから転載)
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「体が勝手に電車に飛び込もうと…」周りからわかりにくい「仮面ひきこもり」の特徴


※画像:『仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」』(服部雄一/著、角川書店/刊)

 日本の社会問題の一つとなっている「ひきこもり」。
 それに対して、「仮面ひきこもり」という言葉があるのを知っているだろうか?
 「仮面ひきこもり」とは、社会生活を営んでいるのに、実は「ひきこもり」と同じような心のメカニズムを持つ人たちのこと。そんな「仮面ひきこもり」について解説しているのが、『仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」』(服部雄一/著、角川書店/刊)だ。
 「仮面ひきこもり」の人間は、一般にいう「ひきこもり」と違って、会社に勤務しているなど社会生活を送っているが、内面では「ひきこもり」と同じように対人恐怖と不信感、孤独感を抱えている。そして、異性と親しくなれない、自分の子どもを愛せない、本当のことを言うのが怖い、などといった問題に悩まされているという。
 ここでは本書から、「仮面ひきこもり」の一症例を取り上げ、「仮面ひきこもり」について紹介したい。
 Aさんは31歳、独身、大手企業のエリート社員である。会社では人気者で、周囲の信頼も厚い。
 そんなAさんだが、ある朝、プラットホームに立っていると、体が勝手に動いて電車に飛び込もうとしたという。そのときは駅の柱にしがみつき、事なきを得たAさんだったが、以来、プラットホームの前のほうに立つのが怖くなった。
 それからしばらくたったある日曜日。ドライブしていたAさんは、海岸線のカーブで突然ハンドルを右に切り、ガードレールを越えて海に飛び込もうとした。車はもう少しで海に落ちるところだったが、必死にハンドルを反対にきったので助かった。
 最近はこのような状態ばかりが続いているが、Aさんには死にたい理由が思い当たらないという。普段は明るく、笑顔の絶えないAさん。だが、カウンセリングしてみると、Aさんには誰にも見せない「暗いウラの自分」があることが分かった。本当は緊張感が強く、心の底では強い孤独感を抱えていたのである。
 これは本書の17ページから18ページのエピソードを要約したものだ。Aさんのように、「仮面ひきこもり」の人は、働いていたり、主婦だったりして、一見「普通」の人に見える。だが、心のメカニズムは、実は「ひきこもり」と全く同じ。人格に二重性があり、人間不信、対人恐怖、感情マヒなどといった症状を抱えているという。
 著者はこの「ひきこもり」のメカニズムは、幼少期の親との関係性に関係するのではないかと指摘する。「仮面ひきこもり」という言葉は、一見何の問題もなく社会生活を送っている人のなかにも、実は深い悩みや苦しみを抱えて生きている人がいることを示唆している。
 「仮面ひきこもり」の特徴として著者が挙げるのは、「笑顔や何気ないフリで隠しているが本当は人が怖い」「その場しのぎをするクセがある」「決断できない。自分で判断できない」「人には二面性があると思う」「自己主張の強い人や外国人が苦手である」などといった項目。
 あなたは当てはまるだろうか?
(新刊JP編集部)

平等を重んじると差別が生まれる?

2014-06-16 15:38:36 | ダイバーシティ
(以下、SocialNewsNetworkから転載)
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平等を重んじると差別が生まれる?

●[対談]乙武洋匡×木村草太「憲法を考える」(2)


乙武: 日本国憲法第14条では「法の下の平等」が規定されていますが、僕は3年間の教員経験のなかで、ずっと違和感を持っていたことがあるんです。それは、公教育は「平等」を建前としながら、実際には平等な教育を実現できていないのではないか、ということでした。

木村: それはどういうことでしょう?

乙武: たとえば、クラス全員にTシャツを配るとします。でも、子供たちは同じ年齢でもそれぞれ体の大きさが異なりますよね。僕の感覚では、各自の体に合ったサイズのTシャツを配布するのが平等なのですが、今の公教育というのは、全員にMサイズのTシャツを配布することをもって平等としているフシがある。

木村: ああ、なるほど。真ん中ぐらいの子に合わせて作られた型を、全員に押し付ける感じですね。私が常々考えているのは、「平等」とはあまり重視しすぎてはいけない価値観である、ということなんです。たとえばアメリカでは昔、表向きには人種差別を撤廃しようとしながらも、“この地域の土地は◯エーカー未満に区切って販売してはいけない”というルールを設けることで、実質的に貧しい黒人の人々が住めないようにしていたことがありました。これを差別として訴えようにも、平等権では手出しができないんですね。

乙武: たしかに、結果的には富裕層以外を排除しているけれど、同じルールが適用されるという点では万人に平等な状況ですものね。

木村: そう。つまり平等について価値を認め過ぎると、このケースのように実質的な不平等を助長することになりかねないわけです。乙武さんのいう、Tシャツの例も同様でしょう。これが平等権の難しいところです。

乙武: 木村さんのような憲法学の専門家が、平等を重視しすぎてはいけないと語るのは非常に興味深いです。では、実質的な不平等を減らすためには、僕らは何をすべきなのでしょうか?

木村: 公教育の話でいえば、教育の目的をどこに置くかを話し合うことが重要だと思います。たとえば、最近はクラスに外国人の子供がいることも珍しくありませんが、ネイティブの子供は英語の授業をどうするのか、という問題が生じます。英語教育の目的が純粋に英語力の向上を目指すのであれば、能力に応じたクラス編成を行うべきです。しかし、英語という文化を介したコミュニケーションが目的なら、現状のままでいいわけです。

乙武: たしかにそうですね。個人的にはその場合、英語は話せるけど日本語はまだ不十分という子であるなら、みんなが英語の授業を受けている間、日本語の授業を受けられたらいいと思うんです。でも、そういう柔軟な対応をしてくれる学校がどれだけあるか…。公教育では、どうしてもみんな一緒であることが第一に考えられてしまうんです。

木村: そうですね。「教育目的は教科の習得である」と考えているのだとすれば、みんなに同じ教え方をするというのは、目的実現のために合理的な手段とはいえません。そうなると、もっと効率的に目的を実現するため、つまり成績を良くするために、学習塾に通って学習内容を先取りするという、抜け駆けを推奨してしまう可能性があります。これがあまりに進むと、最後には学校での勉強は意味がない、ということにもなりかねません。

乙武: ルールを平等に適用することに縛られてしまって、そもそもの目的から遠のいてしまう。これは教育現場に限らず、起こりがちなことかもしれません。

木村: ちなみに法学の世界では、こういう状況を「法命題を見て帰結を見ない」と表現します。つまり、“◯◯罪なら懲役◯年”といったルール(命題)の部分だけを見るのではなく、こういうルールが設定されることで人はどう動くのか(帰結)を、本来は考えなければならないんです。法制度の目的は、あくまで正義に適った行動に人を導くことなわけですから。

乙武: なるほど。平等を保障するためにルールを作る。でも、そのルールを遵守することに固執してしまうと、実は本来の目的である平等が保たれないこともある、ということですよね。法を運用する際には、その法が作られた目的をしっかり考えることが重要なのだと再確認しました。

(構成:友清 哲)

【今回の対談相手】
木村草太さん
1980年生まれ。東京大学法学部卒。同大学助手を経て、首都大学東京准教授。著書に『平等なき平等条項論』『憲法の急所』『キヨミズ准教授の法学入門』『憲法の創造力』『テレビが伝えない憲法の話』など。

不器用だけど一生懸命

2014-06-13 19:27:09 | ダイバーシティ
(以下、DIAMONDオンラインから転載)
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不器用だけど一生懸命――沖縄の焼き肉店、キングコングが実践する、ゆがんだ社会や組織を治すヒント

 沖縄に、障がい者と健常者を隔てなく混在させ、相互に良質の影響を与え合う職場づくりによって、従業員使い捨てと他責の文化にまみれた組織風土を一変させた職場がある。株式会社NSP(砂川惠治代表取締役)が経営する「キングコング」である。

「使い捨ての飲食業文化はやめたい」

 NSPとは、ナガイ・ソーシャル・プロジェクトの略で、沖縄で4店舗の居酒屋・飲食店を経営するナガイ産業が母体となり、「企業と福祉とのコラボレーション」を目的として立ち上げた別会社で、焼き肉店「キングコング」を経営している。

 ナガイ産業は8年前、ピーク時に10億円ほどあった年商が3億円にまで落ち込むという経営危機にあった。当然、人件費、材料費などを削減し、生き残りをかけた。このとき、経営者も辛かったが、現場の従業員たちの気持ちもササクレだっていた。洋食の調理師は和食の調理師を責め、厨房は接客(フロア)を責め、従業員は経営者を責めるなど、あちこちで「他責の文化」が職場を支配した。

 当時、ナガイ産業の飲食部門を統括する部長だった砂川さんは、「離職を減らし、安定した人員にしないと企業文化も育たない。使い捨ての飲食業文化はもうやめたい」としみじみ思った。そして、教えること、学ぶことを大事にし、従業員たちの勉強会に力を入れると共に、障がい者雇用も始めることにした。

 砂川さんは、障がい者雇用を真剣に考えるために、幼いころからの親友で作業療法士である仲地宗幸さん(NSPの障がい者就労支援事業サービス管理責任者)と共に、障がい者雇用のための従来の施設をいくつも見学して回った。そこでは、同じような仕事をたんたんとこなしており、楽しんでやっている人はいないように見えた。「社会復帰というより、社会から離れていっているんじゃないか?」と砂川さんは感じた。

 ここから、NSP流の独自の障がい者就労支援への挑戦が始まった。そしてまたこの頃から、キングコングを始めとするナガイ産業の飲食業文化はしだいに変わり始め、従業員の帰属意識と定着率が高まり始めるのである。健常者だけのときには、互いに責任をなすりつけていて、従業員の定着率も低かったというのに、障がい者が混ざることによって人も組織も活性化していった。一体、何が起こったのだろうか?

不器用だけど一生懸命。
“BIメンバー”が職場の文化を揺さぶる

 NSPでは、障がい者のことを「BIメンバー」と呼んでいる。「不器用だけど、一生懸命」の略である。現在、ナガイ産業では4店舗80名の従業員中、11名が病気や障がいのために社会に適応しにくい人たちである。「就労のサポートが難しいとされる統合失調症の方でもいきいきと働ける職場を作ることができれば、他の障がいも含めてユニバーサルに通用すると思っています」と仲地さんは語る。

 BIメンバーの一人、真喜志竜次さんはキングコングに入社したとき、「俺は、洗い場しかできない」と言い張っていたという。親御さんもそう言うので、本人も信じ込んでいるようで、「皿と自分しかない世界」に閉じ籠ろうとしていた。だが、キングコングの大石英吾店長は彼を見ていて「それは違うんじゃないか」と感じ、いろいろな仕事をやってもらった。大石さんには障がい者に関する医学的な専門知識はない。だからこそ常識に凝り固まらずに真喜志さんの可能性を信じ、何でも頼んでみた。真喜志さんはしだいに「人の世界」にも積極的に関わっていくようになり、今ではお客様から大人気の店員となっている。

 ここからが面白い。その様子を見ていた他のBIメンバーが真喜志さんに嫉妬し、より大きな声で接客するようになったのだ。互いに競争するようにして職場に活気と意欲が満ちていった。真喜志さんは最近、大石店長に向かって次のように言ったそうだ。「俺の記録より、組織の記録の方が大事」。そう語る大石さんの目には涙が浮かんでいた。「人の成長に関われることが嬉しい」。

 そんな大石さんでさえ、最初は、障がい者に対する偏見が人一倍強かったと隠さずに話す。だが一緒に仕事をする中で、「良いものは良い」と思えるようになった。「障がい者には裏表がない。仕事に向き合う姿勢が真摯で一途である。労働観についていえば、むしろ私たち健常者の方に疑問を感じる」とさえ言う。

BIメンバーと健常者が一緒になった経営勉強会

 キングコングでは週1回、2時間ほどの経営勉強会を継続的に実施している。店長の大石さんが講師やファシリテーターになり、統合失調症や自閉症の従業員も混ざって、一緒に勉強をする。内容は、お店の経営と実践に関わることや、それぞれの人生や生き方に関わることの2つである。大石さんが丁寧にゆっくりと、極めて本質的なことを従業員たちに伝え、対話している。

 もちろん普通の会社の会議のように効率的にはいかない。自分の意見を言う順番が来ても、何もしゃべらない従業員がいる。狭い部屋を静寂が支配するが、みんな、何かを信じているかのようにじっと待っている。目を見ればわかる、何かを考え、しゃべろうとしている。そんな努力の途中に口を挟む人はキングコングの従業員にはいない。

 ひとりひとりがしゃべるのは確かに遅くて、勉強会はゆっくりとしたテンポで進むが、2時間ほどの間に、勉強や課題共有だけに留まらず、それに対する各自の行動計画にまできちんと落とし込まれる。世の中には、2時間やっても誰が何をするのか全く決まらない会議もあるが、一体、どちらが非効率なのだろうか。

 この勉強会、最初はBIメンバーを除き、健常者だけで話し合っていたそうである。自ずと、どうやって障がい者を助けるかといった話し合いが多くなり、「なんだか批評しているみたいな感じ」だったという。そこである時から思い切って、BIメンバーも混ぜて話し合うことにした。すると、むしろ健常者のほうがBIメンバーから学び、影響を受けることのほうが多いことに気付いた。当初抱いていた、教える側、教えられる側という区分も消えていき、健常者も障がい者も、互いに学び、人間的に豊かになっていった。

ひきこもりの経験を跳ね返した若者たち

 BIメンバーと一緒に働き、大きな人間的成長を遂げている若い従業員たち、興那嶺捺美さんと村山雄喜さんに話を聴いた。二人は中学卒業後に働いていて、ひきこもり経験がある。しかしキングコングにはもう3年以上勤めており、まだ二十歳そこそこの年齢であるものの、職場をひっぱるリーダーとなっている。発言内容は2人とも異口同音なので、ここでは興那嶺さんの発言を紹介する。

――BIメンバーと一緒に仕事をするようになって、職場の雰囲気はどう変わりましたか?

「BIメンバーが入ってから、やりやすくなった。勉強会を通じて、それぞれの気持ちや取り組みがわかりあえる。3年前に比べて、職場の空気や人間関係が明るくなった。全員でやっているという空気が生まれている」

――BIメンバーから学んだことは何ですか?

「あたりまえのように継続する力。楽しいと思ったら生き生きと働く元気なところ。素直なところ。まっすぐに突き進むところ。人は仕事に慣れてくると、なあなあになってくるから、そこで成長がストップしてしまう。でもBIメンバーは、うまくいったら、もっとうまくなりたいって感じ。いったんスイッチが入ったら、どんどん上へ行く」

「自分が落ち込んでいる時、店長に何を言われてもダメ(笑)。でもBIメンバーの前向きさを見て、立ち直ることができる」

――最後にひとつ聴きたいのだけど、将来、どんな人になりたい?

「中卒、ひきこもりでも、仕事は楽しいってことを伝えたい」

 とりわけ最後のビジョンは心に響いた。

 大石店長にも、将来の夢を聴いてみた。

「会社を通じて学校を作りたい。障がい者、ひきこもり、二-ト、家庭環境が悪い人などに、寮生活などもセットにして、仕事って楽しいということを教えたい」

 みんなの想いが同じ方向へ向かっていると感じた。

漁船コング丸で海に繰り出す

 翌朝、砂川さん、仲地さんと共に、コング丸で漁へ出た。コング丸とはNSPが所有する船の名前であるが、実はこれもまた、鬱やひきこもりなどの人たちの再生手段として、漁船で海に繰り出すという、今まで聞いたことのない、斬新かつ危険とさえいえる挑戦である。

 ある発達障がいの男性は、失業しており、自暴自棄になっていた。この方は、コング丸での漁を通じて、釣った魚を家に持って帰るようになった。すると今まで、家に帰っても会話なんてなかったのに、自分で釣ってきた魚によって食卓にドラマが生まれた。家族が喜んでくれて、感謝の言葉が返ってくるようになった。この男性はコング丸で漁をするようになってから、自己効力感や自尊心などの生活の質に関わる指標(QOL)が急激な回復を見せ、主治医が驚いたという。

 漁が回復と動機づけの場になったのである。そこには、男や父親としての本質を回復させる何かがあったのだ。「漁師(ウミンチュ)の仕事には、海で漁をする他にも、網や仕掛けを作ったり、船体やエンジンを修繕したり、船を掃除したり、魚をさばいて調理したりなど、幅広い内容が含まれている。だからだろうか、漁師は、自分で何でもやる自信に満ちている人が多い」と仲地さんは語る。

 コング丸は、学校もどうしてよいのか分からずに手を焼く不登校の少年も乗せたことがある。少年の姿は必ずしも本人が求めているものではなかった。本人もしたくてしているわけではなく、集団形成上そういうポジションになっているから、虚勢を張り続けているだけだった。漁に出ることによって、集団の中で着ていた鎧を脱ぎ、自分自身に素直になることができた。

「現代社会は、人と深く関わるということが少なくなっている。また複雑な人間関係の中で、人にどう見られるかを意識し、人からの評価により一喜一憂していて、自分自身(アイデンティティー)が不安定になっている。

 そういう時代において、社会の喧騒から離れ、海に繰り出す意義は大きい。わずか15分岸から離れるだけで、そこは別世界。陸では、自分はどう見られているかということに意識が向いていたが、海では、風や波、雲の動きからその日の海の機嫌を推測する。

 釣り糸を垂らしてからは、海中の様子をイメージしながらひたすら魚のあたりを待つ。日の出、日の入りに自分の生活を重ね、潮の満ち引きに人生を重ねる。海には等身大の自分を教えてくれる機能が備わっている。背伸びしなくてもいい」と仲地さんは話す。

 現在、コング丸には、精神になんらかの障がいがある人たちが5人乗っている。海に落ちたらどうするのだ、海上で発作が起きたらどうするのだ、とリスクを心配する声もある。だが、海では誰もが子どもにかえり無邪気な笑顔が自然に出てくる。みんなで釣った魚をさばいて作る魚汁はことのほか旨い。そんなことが、疲れきってしまった心、塞ぎこんでしまった心に効くのだろう。「魚汁は命薬(ヌチグスイ)」と仲地さんは笑う。

めっぽう腕の立つ自閉症の寿司職人

 コング丸での漁を終え、東京へ戻る前に、もう一ヵ所、砂川社長のお店に寄った。日本でおそらくただ一人の自閉症の寿司職人、津波古郷さんによる心を込めた握りを頂戴するためである。津波古さんが握るシャリの量は正確この上ない、少しだけ含める空気の量も絶妙と言われる。雑念のない集中力、旨いとの噂は本当だった。


彼が握るシャリの量は正確この上ない
 NSPはこれから先、障がい者雇用のみならず、刑余者を含む様々な立場の人を雇用することにも挑戦しようとしている。それも福祉施設のような特別な空間ではなく、普通に町にあるお店でやることが大事だと考えている。

「いつからでも、どこからでもやり直せる、という言葉がありますが、今の日本において一度犯罪を起こしてしまった人は、二度とお天道様の下で働くことができないのが現状です。本当に罪を悔いてもう一度やり直したいと思う方に対して、その機会を提供したい。そしてただ働いてもらうだけではなく、できれば犯罪を犯してしまった当事者だからこそできる社会貢献を企業とともに行っていきたい」と仲地さんは言う。

純粋な思考と行動が、
眠っていた人間性を突き動かす

 この会社は一体何なのだろう? 障がい者と健常者を混ぜた勉強会で企業文化を革新し、発達障がいの人や非行少年をコング丸で漁に連れ出し人間性を回復させ、自閉症の青年を寿司職人に育て上げる。さらには犯罪を犯してしまった人に対しても、その経験を活かした新しい道を作ってみたいと言う。

 NSPは地方の小さい企業に過ぎないが、その挑戦は異色であり、注目に値する。福祉や治療や更生のモデルとしてけっして完成したものではない。むしろ全くの途上と言ってよい。しかしこの取り組みが示している新たな挑戦を、もっと多くの人々に知ってほしいと思う。

 健常者だけの職場の方が効率的なはずなのに、逆に互いに相手を非難し合い、ギスギスした人間関係に陥り、業績も悪化する。他方、障がい者と健常者を混ぜたら非効率でイライラするはずなのに、逆に人間性が豊かになり、職場に意欲や活気がよみがえる。

 これはいわゆる福祉ではない。社会的責任とか、善意とか、助けるとかいう感覚ではない。障がい者が持っている純粋な思考と行動とによって、健常者もまた自分の中に眠っていた人間性が突き動かされ、感動し、自分の勘違いを知り、もっと豊かな生き方を発見し始める。

 健常者が作ってきた社会や経済の歪(ひずみ)を克服するための鍵の一つは、純粋な心や突き抜けた能力を有する障がい者たちが持っているのかもしれない。砂川さん、仲地さん、大石さん他、NSPの皆さんが手探りで挑戦しているのは、人を分け隔てて解決するのではなく、混ぜあわせて豊かになる、そんな社会モデルやビジネスモデルのように思えた。

災害教訓の継承 多様な視点で取り組め

2014-06-13 11:45:58 | ダイバーシティ
(以下、カナロコから転載)
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【社説】災害教訓の継承 多様な視点で取り組め

2014.06.08 10:00:00

 災害を語り継ぐ-。その大切さを社会全体であらためて共有しておきたい。

 日本は地震に限らず、風水害や噴火などが繰り返す「災害大国」である。いつ、どこで何が起きるか分からないだけに、過去の経験や反省に学び、命を守れるようにしたい。そのためにも被害状況や復興の過程を正確に記録し、あらゆる機会を通じて伝えていく努力が欠かせない。

 その役割は、国や自治体、メディアや専門家が果たすのはもちろんだが、一人一人の市民も担っていく必要があろう。

 国レベルで災害の発生頻度が高くても、個人が生涯のうちに遭遇する機会は多くない。親から子、そして孫へと被災体験を語り継ぎ、イメージを共有しておくことは有効な手だてとなる。それは、過去の津波被害を教訓に、率先して逃げる「津波てんでんこ」を東日本大震災時に実践した三陸沿岸の人々の行動に示されている。

 昨年9月に発生から90年の節目を迎えた関東大震災についても、教訓を掘り起こす動きが広がった。その経験を踏まえ、展示や講演などに携わった専門家や学芸員らが今春、専門分野を超えて集い、共同研究を視野に模索を始めたのは大きな一歩と言えよう。

 高まった人々の関心を一過性のもので終わらせず、より多様な視点で過去の災禍を見つめ直そうとの試みだ。時宜にかなったものであり、着実な取り組みを期待したい。

 詳細な調査報告書や数々の写真、体験者の手記など豊富な資料が残る関東大震災は、その被害の大きさから、いまだに全容が解明されていない。実相に迫るには、歴史学者と地震学者らが垣根を越えて手を携える「文理融合」が不可欠だ。

 理念や必要性について研究者の意見は一致しているが、これまでに実例はないとされる。手探りで進めざるを得ないが、むしろ今後のベースをつくり上げていくという気概を持って取り組んでもらいたい。

 そして研究成果を広く社会に、特に教育現場に還元する視点を持つべきだ。折しも中教審では、防災教育の教科化を念頭に置いた検討が進んでいる。災害教訓を継承する意義を訴えていく必要もあろう。

 私たちは災害大国に生きている。命を守る大切さを伝える取り組みに終わりはない。

【神奈川新聞】

多様化と均質化が同時に進行してしまうネット社会

2014-06-10 10:13:16 | ダイバーシティ
(以下、livwdoorニュースから転載)
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多様化と均質化が同時に進行してしまうネット社会


メチャクチャマイナーな存在まで入手可能にするネット

インターネットの普及は膨大な量と種類の情報を一般大衆のレベルにまで入手可能なインフラを作り上げた。かなりマニアックなことでもGoogleでチョコっと文字列を入力すれば、一気にその情報を誰でもがカンタンに引き出すことが出来る。一例を挙げてみよう。僕の趣味のひとつはワインだが、現在ハマっているのがまだあまり知られていないポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデという弱発泡系の早摘みワイン。最近はかなりあちこちで見られるようになったが、そのほとんどは白かロゼ。赤を市場で見ることはない。というのも現地ポルトガルでも赤はマイナーな部類で、主にヴィーニョ・ヴェルデ産地のポルトガル北部で楽しまれているといった具合だからだ。でも、手に入れることが出来る。それは赤を輸入している業者がたったの一つだが存在しているからだ。輸入しているのは「崖の上」というネット販売業者だが、こんなマニアックで「マイナーの中のマイナー」なワインをこの業者が輸入販売している理由は簡単。販売業者のオーナーがこのワインの熱狂的なマニアなのだ。つまり本来は繋がることがないマニアックなワイン業者とマニアックな僕というきわめてどマイナーなマニア=オタク同士がネットを介して繋がってしまっているのだ。これはおそらくネットというインフラがなければ絶対に不可能だろう。

ネット社会は多様化を生む?

こういったエピソードが象徴するのは、要するにネット社会が個々のトリビアでマニアックな嗜好に対応しているということ。そして多くのネットユーザーたちがこの恩恵にあずかっているということ。だがネットユーザーとは、もはや日本人のほとんど。ということは、それぞれがそれぞれの細分化された好みに応じてネット上で情報を検索し、その結果それぞれの嗜好が満たされ、どんどん嗜好が細分化されていくということになる。つまりネットは嗜好や価値観を徹底的に細分化・多様化していくのだ。

ということは、われわれはこれからどんどん多様化して、いつかは接点を失ってしまうのではないのか?と考えたくもなる。確かにそうだ。ネットで自らのトリビアな嗜好を満足させ続けていれば、近隣で、つまり対面的な場で同好の士を見つけることなど限りなく難しくなるのだから。その内みんなバラバラになるに違いない?(で、同好の士は専らネットを使ってのみ探し出すなんてことになるんだろう)。

いや、実はそうではない。多様化というのは、実は均質化と必ず同時進行するのだ。このことを社会学者の故中野収は「超管理社会化」という言葉を用いて、なんと二十年以上も前に予測していた。じゃ、多様化と均質化の同時進行とはいったいどういうことなのか。

多様化に伴う均質化1:ポータルによるネタの入手
情報化、ネット化がもたらす均質化の側面については二側面が考えられる。

一つはポータル・サイトへの依存だ。あなたはパソコンでブラウザを開くとき、どのサイトを最初のページにしているだろうか?つまり、ポータルサイトにしているだろうか?あるいはスマホでブラウザを開くときメインにしているブックマークはどれだろうか?おそらくその多くがYahoo!JapanのホームページかGoogleの初期画面あたりではなかろうか。またスマホだったらブラウザ以外に、やはりこのYahoo!のアプリやGunosyあたりをブックマークしチェックするのではなかろうか。これらポータルや情報をチェックするアプリの頻用、実はインターネットが押し進める多様化・細分化と一対になっていると考えられる。

それぞれが、それぞれの嗜好に応じて情報にアクセスすれば、個人の情報に対する欲望を十分に満たせるようになる反面、前述したように相互の関心はバラバラになる。だが、こういったシチュエーションはわれわれを困った状況に陥れる。一般社会に暮らす限り、われわれは多くの人間と関わり合う。その際、当然コミュニケーションを成立させるためのメディア=ネタが必要だ。仕事であれば仕事のやりとりで交わす内容がコミュニケーション・メディアとなるが、通常、そういった利害関係のない人間との関わりの中では仕事の話はもちろんしない。また、細分化した嗜好を持ちだすこともしない。関心が全く異なるので、ネット仕込みによって細分化された情報は「ネタ」にならないのだ(やれば「空気が読めていない」と、気持ち悪がられるか呆れられるのがオチだ)。だから、当たり障りのない話をコミュニケーションのネタ=潤滑剤として持ち込まなければならない。で、共有するネタの源がこういったポータルやとりまとめアプリが担うのだ。

そして、こういった「当たり障りのないネタ」は、細分化が進めば進むほどナマのコミュニケーションの場において、かえって重要になってくる。時事ネタ、政治ネタ、芸能ネタなんてのは、まさしくこういった「実質的にはネタ的にコミュニケーションの接点のない人間同士」をつなぎ合わせる重要なツール=メディアとして機能しているわけだ。だから僕らはヤフーのポータルをひっきりなしにチェックする。

ちなみに、こういった機能はもはやオールド・メディアと化しつつあるテレビも同様で、テレビも報道や情報についてのプログラムを増やしているのは、おそらくこういった事情によるのではなかろうか。もはやドラマをやってもさしたる視聴率はとれない(「半沢直樹」や「あまちゃん」のように、これらがいわば「時事ネタ」としてネット上にまで賑わいを見せるということになれば話は別だが)。ただし、それでもやっぱり、われわれはテレビを見る。その理由は、言うまでもなく、こういった当たり障りのないネタを狩猟するためだ。それが佐村河内であり、小保方であり、橋元であり、石原であり、中国問題であり、韓国問題であるというわけだ。これらはコミュニケーションにとっては格好の潤滑剤、いやガソリンなのだ。

ちなみにこれは概念的に説明するとプル・メディアとプッシュ・メディアと言うことで説明が付く。嗜好が細分化された情報はいわば「プル・メディア」、つまりこちらが情報を積極的にアクセス(探しに)に行く情報。当該情報に対する強いモチベーションが必要で、いいかえると好みが分かれるわけで、その情報に強いモチベーションを抱く同好の士はきわめて少ない。だからコミュニケーションの地平をほんの一部しか開かない。一方、ポータルやテレビの報道は「プッシュ・メディア」。サイネージのように、いわば多くの人間に向けて垂れ流し的に情報を流し続ける。だから、プル=とりに行く、ということをしなくてもスイッチ一つで勝手に入ってくる。だから、みんなが見ていて、だから、ネタになる。

だが、それは翻って、「当たり障りのないネタ」については、どんどんと認識の均質化が進むと言うことでもある。心理的な側面から考えれば、あまりに細分化されたい領域に入り込んでしまったため、他者とコミュニケーションがとれない。そこで、強迫神経症的にポータルとしているサイトにアクセスし、この情報を他者とやはり強迫神経症的にやりとりすることで、自分が対面的なコミュニケーションの場面においても他者と繋がっていることを確認するのである。つまり細分化が均質化を同時進行させる。

多様化に伴う均質化2:システム化=超管理社会化が、あなたの身体的動きを均質化する
もう一つの均質化は、この細分化・多様化を徹底的に推進するネット=情報化社会のフォーマット=インターフェイスの一元化に伴う行動一般の均質化といった現象だ。メディアは原則的には情報を伝達するための手段=媒体だが、メディア自体も情報を備えている(これを「メディアのメッセージ性」と呼ぶ)。それはメディアの持っている特性=クセで、そのメディアを利用することで、利用者であるわれわれはそのメディア特性=クセを身につける。そして、それが結果としてわれわれの情報行動、思考スタイルを知らず知らずのうちに規定してしまうという側面を備えている。

おそらくその中で、近年、最もドラスティックにわれわれの様々なライフスタイルを変容させてしまっているのがスマホだろう。スマホはそれまでパソコンの中に閉じ込められていたインターネット環境を持ち歩く、つまり身につけてウェアラブルなものにすることを可能にした。そして、われわれは朝から晩までスマホの小さな液晶画面と睨めっこすることになったのだ。スマホのアラームに起こされ、朝食をとりながら電車の発車・乗り換え時刻を確認し、音楽を聴きながらニュースをブラウズして通勤し、その間にスケジューラーで今日の仕事を確認する。で、メールをチェックし、SNSを眺めて一言つぶやきなんてことをやっていると、今度は電話がかかってくる。ちょっと疲れたらヒマつぶしにゲームに興じ、楽天やAmazonに入って気に入った商品をポチる。家に帰ってきても同様だ。最後は寝床でスマホをいじりながら眠りにつき……そして翌朝スマホに起こされる。おそらくスマホ所有者の多くがこういったスマホ利用をやっているだろう。もはや日常生活には欠かせないわけで、紛失したり、壊れたりした場合には2日としないうちに修理するか、新しいものを購入する。

で、気がつけば不思議なことが起きている。電車の中にいる人間の半数近くが、あの小さな画面と睨めっこしているのだ。かつてだったら本や雑誌やマンガをよんでいたり、誰かと話をしていたりといった状況に遭遇するのが普通だったが、今やそんなものは駆逐されつつある(そういえば電車の網棚にマンガや新聞が捨てられているというのをとんと見なくなった)。つまり、みんながみんな「スマホライフ」をはじめたのだ。そして、前述したような1日を誰も過ごしている。そう、僕らのライフスタイルはスマホというメディアでフォーマット=均質化されてしまったのだ。

情報化が織りなす均質化した空間と均質化した行動

もちろん、こういった均質化の側面はインターネットとスマホだけが押し進めているのではない。情報化は流通の側面でもかつてから進んでおり、システム化が進展して、今や日本はチェーン店ばかりで構成された街並みが出来上がっている。AEON、TSUTAYA、セブンイレブン、ヤマダ電機、ニトリ、マクドナルド、ユニクロ、松屋・すき家・吉野家、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツ……ひたすらのっぺりとした均質化空間が出来上がっている(三浦展はこれを「ファスト風土化」と読んだ)。

こういった空間の均質化を情報化に伴う流通の合理化が推進したのだとすれば、スマホによるインターネット環境の遍在は、われわれの頭の中の、そして行動の均質化を推進するはずだ。もちろん、同時にものすごい多様化を加速度的に推進しながら。

配偶者控除見直しを考える<中>多様な働き方認めて

2014-06-06 15:40:23 | ダイバーシティ
(以下、西日本新聞から転載)
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【働くカタチ】配偶者控除見直しを考える<中>多様な働き方認めて
2014年05月29日(最終更新 2014年05月29日 11時40分)
レジ業務ではパート従業員が大きな戦力となっている


 配偶者控除の見直しを進める安倍晋三首相の狙いの一つは「女性の就労拡大」。当事者や雇用現場の期待感はどうだろう。
 「問題は『103万円の壁』ではなく、小さな子どもがいても働ける環境があるかどうか」。福岡市の専業主婦(37)は、子育て世代の声をこう代弁する。2人目の子が保育所に入るめどが立ち、年内の再就職を考えている。「パートは十分に稼げないから」と控除の対象外でも正社員として働くつもりだ。
 厚生労働省の実態調査(2011年)では、働く時間をあえて短くするなど「就業調整をしている」というパート従業員は約16%だった。この主婦は「働きたくても育児や介護で103万円を超えられない人もいる。控除がなくなると税負担で困る人の方が多いのでは」と予想する。
 福岡県筑紫野市の女性(44)は両親を在宅介護するため、1年半前に正規雇用の事務職を辞めた。預金を切り崩しながら生活している。「長時間預けられる施設があれば働ける」とも思うが、急に入院することもあり、先が見通せない。「国は在宅介護を進めている。働ける環境が整わないのに介護して仕事もしてって、矛盾していませんか」
 ☆ ☆ 
 雇用する側は、就労拡大効果をどう見ているのか。
 食品スーパーの西鉄ストア(筑紫野市)では、パート従業員約2600人のうち約2千人が103万円の枠内で働いている。総務部長の田辺昇二さんは「控除を廃止しても『130万円の壁』がある。扶養手当の問題もあり、勤務時間を大幅に増やす従業員は限られるのでは」と見込む。
 年収が130万円以上になると扶養から外れ、社会保険料を払うことになる。「年金は25年間納めないと受給できず、50代が負担を増やしてまで働くとは思えない。保険料を折半する企業も負担が増える」。また、田辺さんの言う「扶養手当の問題」とは、一定収入を超えると夫の手当がなくなること。多くの企業が月額で数千~数万円を支給しており、家計に与える影響は大きい。
 一方で、九州北部税理士会調査研究部長の末吉幹久さんは雇用の縮小を警戒する。「1人あたりの給与が増えれば、雇える人数は減る。パートと企業の需給バランスが崩れることになる」と指摘している。
 ☆ ☆ 
 画一的な就労拡大に疑問を投げ掛ける声もある。福岡市のパート事務員の女性(39)は「仕事をセーブしたい人も働き続けられる環境」を求めている。
 昨年までは団体職員だった。仕事が終わるのが午後8~11時ごろで、簡単な夕食で済ませる日々。夫の転勤を機に働く時間を減らし、仕事と家庭のバランスが取れた生活に満足している。「男女問わずいろいろな働き方を認める職場環境になれば、働く女性は増えると思う」。そのために問われるのは、税・社会保障制度のあり方に加えて「意識」なのかもしれない。
 税理士事務所を営む末吉さんは、結婚や出産後の復職を促しても「夫が認めてくれない」と拒む女性を何人も見てきた。「就労拡大のため真に必要なのは『女性が家庭を守る』という社会意識を変えることではないでしょうか」

=2014/05/29付 西日本新聞朝刊=