昔に出会う旅

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南九州旅行No.30 「青島神社 元宮」のビロウ樹の参道

2012年11月16日 | 九州の旅
南九州旅行3日目(2012/5/9)、宮崎県日南市「サンメッセ日南」のモアイ見物の後、国道220号を北上して「青島神社」へ参拝しました。

途中、雄大な日南海岸の風景を見下ろす「道の駅フェニックス」にも立ち寄り、天候に恵まれて最高の風景を楽しむことができました。



海に架かる小さな「弥生橋」の向うに「鬼の洗濯板」の海岸に囲まれた「青島」が見えてきました。

「青島」は、周囲1.5Km(宮崎市観光協会資料より)、標高最高地点が約6mの小さな島です。

JR青島駅前広場の南側に面した無料駐車場を利用しましたが、意外に空いていました。



「弥生橋」から見た「青島」の海岸の風景です。

間近に見える珍しい「鬼の洗濯板」に目を奪われます。



「青島」周辺の空中写真です。

社殿の方角や、「鬼の洗濯板」の伸びている方角が気になり、国土地理院の地図サイトから拝借したものです。

「鬼の洗濯板」の地層が東に傾いているのはフィリピン海プレートによって押された方向によるものでしょうか。

「青島神社」の参道は、島の南の浜から北西方向に伸び、社殿はその奥に建っていました。



島に入ると「青島神社」の赤い鳥居が見えてきました。

「鬼の洗濯板」の海岸が続き、気持ちが和む潮騒の参道は、「青島神社」ならではの雰囲気です。

■島の入口にあった案内板です。
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種別 特別天然記念物
名称 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正十年三月三日
特別指定 昭和二十七年三月二十九日 国指定
青島は、陸地に近い島で、島内には、本土にくらべて特異な植物が繁殖し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
自生地植物は、一九七種で、熱帯及び亜熱帯性植物二七種を算し、その代表植物ビロウの成木は約四三〇〇本で、ビロウ純朴は群落地の六分の一を占める 最高樹齢は三〇〇年、来歴は古来の遺存と推定される。

種別 天然記念物
名称 青島の隆起海床と奇形波蝕痕
指定年月日 昭和九年五月一日国指定
周辺の岩盤は、新第三紀(三千万年から百万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的互層が傾き(走向北三十度東、傾斜二〇度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。
岩盤上には、ひびや断層が多く壇かい浸蝕による蜂窩がみられる。
 平成元年八月二十二日
  宮崎市教育委員会
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参道が海岸から左に折れ、島の中に入って行く入口付近の風景です。

右手の社務所を過ぎると、左手に「日向神話館」がありましたが、おなじみの神話の場面や、巨人長嶋名誉監督の蝋人形が展示されているようです。(パスしました)



島の中に進んで行くと、正面に神門、左手に手水舎が見えてきました。

案内板によると昔、青島は一般の人々の立入が禁止された神聖な島だったようで、自由に参拝できるようになったのは江戸時代からのことだったようです。

同様の例で、広島県の宮島でも山頂の「弥山」を対岸の地御前神社(北の海岸にあり、弥山が左右対称の美しい姿に見える場所)から遥拝していたようです。(山陽自動車道下り線 宮島SAからもほぼ同様の山の姿が見えます)

宮島の厳島神社の社殿は、美しい姿の弥山を遥拝する線上にあるものの社殿は南の弥山ではなく、南東方向への礼拝となっており、長い神仏習合時代に古代信仰の一部が忘れられたのかも知れません。

■手水舎の横に神社の案内板がありました。
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青島神社
  宮崎県宮崎市青島
  東経百三十一度二十八分
  北緯 三十一度四十八分
御祭神
 天津日高彦火々出見命
 豊玉姫
 塩筒大神
御祭神譜
 天照大神-天忍穂耳命-瓊々杵命
 彦火々出見命(青島神社御祭神)
 盧茲草葺不合命(鵜戸神宮御祭神)
 神武天皇(宮崎神宮御祭神)
御由緒
 彦火々出見命[ひこほほでみのみこと]が海宮からお帰りのときの御住居の跡として三神をお祀りしたと伝えられている。 初めてお祀りした年代ははっきりしてないが、日向土産という国司巡視記に嵯峨天皇の御宇(約千百七十九年年前)奉崇青島大明神と書いてあったといわれる文亀[糸+亀](室町時代約四百八十八年前)以後は藩主伊東家の崇敬が厚く御社殿の改築や境内の保護に万全を尽くされ、明治以後は国内絶無の熱帯植物繁茂の境内を訪ねる人が多く、縁結び、安産、航海、交通安全の神として、益々神威が輝くようになった。
御境内
 全島(四四九、三アール、一三四七坪)神社所有地
 昔から霊地として一般の入島は許されず 藩の島奉行と神職だけが常に入島し 一般は旧三月十六日島開祭から島止祭(同月末日)まで入島を許されていたが 元文二年(二百五十二年前)当時の宮司長友肥後が一般の参拝者にも入島を許されるよう藩主にお願いして許可され 以後入島が自由になった。
 昔から聖域として保護されたので植物、岩石が自然のまま残り 大正10年3月植物が、昭和九年五月岩石が天然記念物に指定され国の保護を受けることになったのである。
平成元年十一月  青島神社社務所
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南の浜から続く参道の突き当りに建つ「青島神社」本殿です。

平日でしたが、次々と参拝者が続いていました。

本殿前に向かって右を差し「順路 元宮参拝」と書かれた矢印の案内板が掛けられています。

案内板には他に「天の平瓮投げ[あめのひらかなげ] 産霊紙縒[むすひこより] 真砂の貝文 一年安鯛おみくじ」と書かれており、何だか分りませんが右手の「元宮」には珍しいものが色々あるようです。

参拝を済ませ、右手の「本宮」へ進んで行きました。



本殿右に進み、「元宮」への門をくぐった参道の風景です。

真直ぐ伸びた白砂の道を生い茂った緑が囲み、門の近くは絵馬のアーケードの様です。

南の島の雰囲気が漂い、ちょっぴり神秘的な参道に「元宮」への期待が高まります。



5,000本の群落とされるビロウが茂る青島神社元宮の参道脇の風景です。

ビロウは、ヤシ科・ビロウ属の植物で、沖縄ではクバと呼ばれ、御嶽で神木とされているものです。

民俗学者吉野裕子氏によると、日本古来の「扇」の元はビロウだったとし、その変遷過程は、紙で作られた三保神社の長形の扇や、木片で作られた平安宮跡出土の檜扇などに見られるとしています。

「扇」は、庶民生活の冠婚葬祭などから、皇室の儀式に至る様々な場面で使われていましたが、今では伝統芸能や、和装の結婚式などでしか見かけなくなっています。(暑い夏に扇ぐものは除きます)

お祭の行列の先頭で扇を振って露払いをする天狗などからも扇には悪霊や穢れを祓うの神聖な力があると考えられていたようで、元のビロウにも同様の力があったと思われます。

日本書紀に伊弉諾尊が亡き妻伊弉冉尊を追って黄泉の国へ行き、穢れて戻ったとして「筑紫の日向の橘の檍原[あわきはら]」で禊[みそぎ]祓いをされたのは、日向が強い祓いの力を持つビロウが生える地であったためかも知れません。

■境内の案内板
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ビロー樹(国指定特別天然記念物 大正十年三月三日指定)
 一、全島と殆ど覆って繁茂し、その数約五千本である。
 二、最高樹齢は、約三百年と推定される。
 三、春開花し実は晩秋に熟して落ち翌春発芽する。
 四、ビロー樹の成因に次の二説がある。
 (イ)漂流帰化植物説
     南より北に流れる黒潮のためにフィリピン等南方面から漂着した種子又は生木が活着して漸次繁殖したという説。
 (イ)遺存説
     第三紀前日本に繁殖した高温に適する植物が気候、風土環境に恵まれて今日に残存したものであるという説。

その他の植物
島内自生植物は、七四科二二六種、熱帯亜熱帯植物二七種に及ぶ。
その主なものは、次の通りである。
◎くわずいも、さといも科
  当地方では境内にだけ産し有毒植物である。
◎はまゆう(はまおもと)ひがんばな科
  夏季純白の花を開く本邦中部まで分布。宮崎の県花。
◎ひぎり くまつづら科
  初夏より初秋まで真紅の美花を開く島内の貴重植物。
◎しゃりんぱい(はまもっこく)いばら科
  樹皮から網の染料を作る当地方が自生北限の植物。
◎ふうとうかずら こしょう科
  春開花晩秋さんごのような実が多数垂れ美観を呈する。
◎たぶ くす科
  ビローの繁茂前の植物として今日残っており貴重なもの。
 青島神社境内植物   昭和五九年調査
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参道の突き当りの広場に赤い「元宮」の建物がありました。

古代祭祀の遺物が出土したとされ、かつてはここで礼拝が行われたものと思われます。

本殿では北西方向に礼拝し、元宮では北東方向に礼拝するのは宮島の厳島神社にも似た変遷があったのかも知れません。

■境内の案内板
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元宮
常若の霊木ビロウ樹にかこまれるように鎮座する元宮は、ちょうど青島の中央に位置する。
この地は悠久の昔、古代祭祀に使われたとされる勾玉・土器・獣骨・貝殻等が多数出土しており、古代祭祀跡地に大元の社殿が在った事から、その御霊の安寧を祈り「元宮」が再建された。古くから病気平癒や婦人病に霊験あらたかとされ、元宮に髪を結び帰るという信仰があった。
大正天皇のお成り以降、多くの御皇族に御参拝戴き、現在でも参詣が絶えることは無い。
 元宮は古代信仰の聖地としてその面影を今に残し、訪れる人すべてに安らぎを与えている。
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写真左側は、「元宮」の後方にある「磐境[いわさか]」とする場所だそうで、社殿の無かった神社の古代の姿と思われ、沖縄の御嶽の奥で、低い石垣に囲まれたイビを彷彿とします。

御嶽のイビは、祭祀で神様(祖霊)に降臨して頂くための最も神聖な場所とされ、民俗学者吉野裕子氏によると、石垣の形は母の胎内を現わし、そこに生える枝のないクバの木は男根の象徴ではないかとし、死後の魂は胎内へ戻り、再びこの世に生まれる考え方が背景となっているようです。

写真左側は、柵に掛けられていた「天の平瓮投げ[あめのひらかなげ]」の案内板で、近くでは「平瓮」と呼ばれる素焼きの小皿(1枚200円)が売られていました。

■「天の平瓮投げ」の案内板です。
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天の平瓮投げ
素焼きの平瓮を投げ枠内入れば願いが叶い、割れると開運厄除

天の平瓮投げ 作法
一、磐境[いわさか]に二礼
二、平瓮に小声で願い事を唱える
三、磐境に向け平瓮を投ずる
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これは、玉鵜戸神宮の亀石の穴に運玉を投げ入れるゲーム感覚の運試しにも似ていますが、御幣が立つ「磐境」に小皿を投げ、散乱している様子にはいささか抵抗を感じます。



奥宮の横に円形に積まれた石にしめ縄が掛けられ、その上に貝殻が盛られていました。

横の案内板では「真砂の貝文」と題して、「神社前の浜辺にて、真砂(青島神社ではタカラガイを指す)を探し、自身の想いと願いを込めてこの波状岩にお供えください」とあり、この場所は「波状岩」と名付けられているようです。(一般的に「波状岩」は「鬼の洗濯板」を指すようですが・・・)

初めての参拝者がこの案内板を読み、神社前の浜で「タカラガイ」を探して、再び長い参道をここまで戻って置くとはあまり考えられず、長い歴史を演出する飾りにも思われます。

■境内の案内板
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真砂の貝文[まさごのかいぶみ]
ここ青島は、二千四百万年前の隆起海床に貝殻が堆積してできた島である。
従って青島の別名を「真砂島」とも云う。
古代万葉の人々は、和歌の中で「濱の真砂」と詠み、数多い貝殻の中から自分の心情に合った貝を探し、それに想いと願いを込めたのである。
青島では、貝の中でも特に下の「タカラガイ」が真砂と呼ばれ大切にされてきた。
神社前の浜辺にて、真砂を探し、自身の想いと願いを込めてこの波状岩にお供えください。
悠久の時を刻み続けるこの元宮の地で、あなたの想いは静かに息づくことでしょう。
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青島神社参拝の想い出は、古代から続くビロウの群落の中を歩く元宮の参道でした。

願わくば古代祭祀跡が発掘された場所に、かつての古代祭祀場が再現され、当時の祭祀の様子を「日向神話館」で見たかったものです。

参考文献 扇―「性」と古代信仰の秘密を物語る「扇」の謎(吉野裕子著、学生社発行)


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