9/30 、トルコ旅行2日目、イスタンブールのバザール2ヶ所の観光を終え、海岸のレストランで名物料理の昼食です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/bb/ca5fbc5cd8afb53eb56d471d10ec784e.jpg)
昼食で利用したレストラン「Sur Balik」です。
食べた料理はトルコ名物「ドネルケバブ」でしたが、トルコのアイスクリームもおいしいと案内されたお店です。
道路脇の看板には「Sur Balik」、その下に「Fish Restaurant」と書かれてあり、魚料理が売りのシーサイドレストランといったところでしょうか。
写真左上は看板の上部に描かれたお店のマークで、船の舵のイラストの中に魚がデザインされたオシャレなものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5d/0b2cfd4d8fca3988f8b5407f0d3f29df.jpg)
ボスフォラス海峡の両側に広がるイスタンブール市街地の地図です。(Excelのオブジェクトで自作したものです)
赤い丸印がレストラン「Sur Balik」で、南にはマルマラ海が広がり、東はボスフォラス海峡の入口です。
マルマラ海は、北のボスフォラス海峡の先にある黒海と、南のダーダネルス海峡の先のエーゲ海の間に横たわる海で、この小さな海域まで正式な海の名がつけられることに感心しました。
青い丸印のAが最初に訪れたグランド・バザール、Bが次に訪れたエジプシャン・バザールです。
又、近くには旅行最終日に訪れたC.ブルーモスク、D.アヤソフィア、E.トプカプ宮殿なども見られます。
赤い破線は、2013年10月29日に開通した海底トンネル地下鉄「マルマライ」で、アジア側の2駅と、ヨーロッパ側の3駅を結ぶ全長13.6Kmの路線だそうです。
トルコ人ガイドさんによると、海底下60mと、世界一深いトンネルだそうで、日本の資金協力や、重要な海底トンネル部分を日本の大成建設の技術で造られており、開通式には安倍首相が出席されたことも報じられたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/16/06aa1127bc24981abb16f63735154a05.jpg)
レストラン「Sur Balik」の前から東を見た風景です。
海の向こうに見えるのはアジアサイドの街並みで、ボスフォラス海峡を通る多くの船舶が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/b0/3db8041f93654e90b9dd276d41fef254.jpg)
レストラン「Sur Balik」の前から西を見た風景です。
前の道路は、海岸線に沿って続いており、オスマン帝国時代以前の城壁と、海岸との間を走っています。
この先、約15Km西にはアタテュルク国際空港があり、更に進むとギリシア国境です。
トルコ人ガイドさんの話では、トルコが最も仲が悪い国は、ギリシアだそうで、隣国との問題はいずこも同じようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/26/1b1ffe458cb9d4188397da094986b2f4.jpg)
レストラン「Sur Balik」の建物に入り、左手にトルコのアイスクリーム「ドンドゥルマ」の売店がありました。
店に入ると、さっそく店員のおじさんが後ろの植込み台に上がり、長く伸ばしたアイスクリームで、前を通る私たちの気を引こうとしている場面です。
トルコアイス「ドンドゥルマ」は、羊乳と砂糖にラン科の植物「サーレップ」の根から採取したデンプン質の粉を合わせて煮詰め、水分を抜いた後、冷却するとあります。
更に冷やしながら長時間練ることにより粘りを出して長く伸びるようになるようです。
この独特の製法の目的は、品温が上がってもトロけないようにするものと思われ、「ドンドゥルマ」は、トルコの風土から生まれたアイスクリームと言えるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/21/05cd6c8f2fb0ccb8a201bd5dd902ea17.jpg)
写真は、トルコアイス「ドンドゥルマ」を、を注文し、受け取ろうとする場面です。
店員は、アイスクリームを渡すふりをして様々なパフォーマンスで、客をだまして渡してくれません。
写真(1)は、普通にアイスを渡そうとする場面で、写真(2)は、二重の三角コーンの下側だけ持たされ、アイスを入れた三角コーンを抜き取った場面です。
写真(3)は、アイスの上下にくっつけた三角コーンの下側を持たされた場面で、写真(4)は、アイスが三角コーンの上側にくっついて渡してもらえなかった場面です。
写真(5)は、さんざんじらされた後に、やっと笑顔で渡してくれた場面ですが、周囲は笑い声の連続でした。
この後、私も買いましたが、繰り返される同じようなパフォーマンスでは、感動が薄れてしまい、笑いながらのおつき合いでした。
様々な娯楽があふれる時代、ワンパターンとも思えるこのパフォーマンスを愛し続けるトルコ人の気質に興味がわきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/59/a45791bddcb492af4b2c62b0c8426a43.jpg)
トルコの名物料理「ドネルケバブ」と、フライドポテト、ライス(炒めた?)を食べている私を妻が撮ってくれた写真です。
ご飯党の私には「ドネルケバブ」の横に盛られたご飯がうれしく、パサパサした「ドネルケバブ」(牛肉でした)よりおいしく頂いたことが記憶に残っています。
横に置かれたデザートのムースは、同じようなものを旅行先の数ヶ所で頂いたことからトルコではポピュラーな料理と思われます。
又、左のビールの商品名は、トルコで有名な「エフェス(エフェソス)」で、さっぱりとした味が気に入り、これもトルコの各地で飲みました。
「エフェス」は、トルコ西部のエーゲ海に面した都市の名で、旅行6日目、古代ローマ帝国時代の大きな遺跡を見物した町です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/53/99cfa2845424194f21e4080bb48f0568.jpg)
イスタンブールの街中で見たテイクアウトの「ドネルケバブ」のお店です。
バスの車窓から見えたお店で、写真右端は、「ドネルケバブ」の串刺し部分を拡大したものです。
店頭のカウンターに「ドネルケバブ」を置き、注文に応じて削ぎ取るように見えますが、加熱装置が見えないことから店内で焼いているものと思われます。
「ドネルケバブ」の調理方法は、スライスした肉を重ねて大きな串に刺し、回転させながら周囲から焼き、火の通った部分を切り取って食べるもので、世界各地に伝わっているようです。
スライスした肉をフライパンや、網で焼いたものは、広い表面に直接高熱が当たり、油分が出て、水分が減って濃厚なうまみが出てくるように思われますが、この調理法の場合は、蒸した感じになるのかも知れません。
トルコでは「ドネルケバブ」の他、焼き鳥のように串に刺した「シシケバブ」があり、トルコ旅行7日目、再びイスタンブールに戻った夜、ベリーダンスや、民族舞踊を見ながら食べたのを思い出します。
「ケバブ」は、トルコ民族が遊牧民だったことに由来すると考えられ、この料理法が生まれた歴史など知りたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b1/4fac3edcc07b66a079244a1fccbaf9d0.jpg)
食事を終え、海岸を西へ約150m歩き、バスのいる駐車場へ近づいた風景です。
左手にはマルマラ海が広がり、道路右側には長い歴史を感じさせられる、かつての城壁がそびえています。
駐車場に見える数台のバスは、レストラン「Sur Balik」で食事をする別のツアーのバスで、この駐車場のお陰で、レストランが繁盛しているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a3/afc96425d76fc930ce091d1801dbabbe.jpg)
道路右手にそびえる城壁の風景です。
上部には比較的小さな扁平な石が積まれ、下部には方形に整えられた少し大きめな石が規則正しく積まれているようです。
写真には見えませんが、城壁の上に家屋が見られ、城壁は丘の斜面を保護する石垣の様にも思われます。
この城壁は、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス大帝(在位 306~337年)が330年にこの地に遷都した頃に造られたものと思われ、興味深く眺めました。
上の地図に「コンスタンティヌス大帝の城壁」と表示した破線と、そこから東の海岸線に沿ったラインがローマ帝国から、オスマン帝国の時代まで続く帝都の城壁の始まりとされ、左の「テオドシウス2世の城壁」と表示した破線は、東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世(在位 408~450年)により西側へ拡張された城壁です。
又、ローマ帝国の遷都以前は、ギリシャの都市「ビュザンティオン」があったとされ、この辺りからガラタ橋を結ぶラインと、その東の海岸線が城壁となっていたようで、この城壁の石の一部も4世紀以前の古代都市の城壁の石だったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/41/d2e1a0beba085e2cf5b886f7e356557c.jpg)
城壁に円形の石を見つけて撮った写真です。
規則正しく石が積まれた城壁の右側には不規則に積まれた石積みが見られ、補修された跡のように思われます。
赤い矢印で示した円形の石は、石臼でしょうか、赤い丸印の石も再利用された石と思われ、壊れた城壁を急いで補修した様子が浮かんできます。
1500年以上前からの様々な歴史がこの城壁に刻み込まれているかも知れないと、崩れかけた城壁に化石でも見つけるかのように城壁を見つめていました。
旅行2日目、最初の観光地イスタンブールを後にして、トルコの首都アンカラのホテルまで約6時間のバス移動となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/bb/ca5fbc5cd8afb53eb56d471d10ec784e.jpg)
昼食で利用したレストラン「Sur Balik」です。
食べた料理はトルコ名物「ドネルケバブ」でしたが、トルコのアイスクリームもおいしいと案内されたお店です。
道路脇の看板には「Sur Balik」、その下に「Fish Restaurant」と書かれてあり、魚料理が売りのシーサイドレストランといったところでしょうか。
写真左上は看板の上部に描かれたお店のマークで、船の舵のイラストの中に魚がデザインされたオシャレなものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5d/0b2cfd4d8fca3988f8b5407f0d3f29df.jpg)
ボスフォラス海峡の両側に広がるイスタンブール市街地の地図です。(Excelのオブジェクトで自作したものです)
赤い丸印がレストラン「Sur Balik」で、南にはマルマラ海が広がり、東はボスフォラス海峡の入口です。
マルマラ海は、北のボスフォラス海峡の先にある黒海と、南のダーダネルス海峡の先のエーゲ海の間に横たわる海で、この小さな海域まで正式な海の名がつけられることに感心しました。
青い丸印のAが最初に訪れたグランド・バザール、Bが次に訪れたエジプシャン・バザールです。
又、近くには旅行最終日に訪れたC.ブルーモスク、D.アヤソフィア、E.トプカプ宮殿なども見られます。
赤い破線は、2013年10月29日に開通した海底トンネル地下鉄「マルマライ」で、アジア側の2駅と、ヨーロッパ側の3駅を結ぶ全長13.6Kmの路線だそうです。
トルコ人ガイドさんによると、海底下60mと、世界一深いトンネルだそうで、日本の資金協力や、重要な海底トンネル部分を日本の大成建設の技術で造られており、開通式には安倍首相が出席されたことも報じられたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/16/06aa1127bc24981abb16f63735154a05.jpg)
レストラン「Sur Balik」の前から東を見た風景です。
海の向こうに見えるのはアジアサイドの街並みで、ボスフォラス海峡を通る多くの船舶が見られます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/b0/3db8041f93654e90b9dd276d41fef254.jpg)
レストラン「Sur Balik」の前から西を見た風景です。
前の道路は、海岸線に沿って続いており、オスマン帝国時代以前の城壁と、海岸との間を走っています。
この先、約15Km西にはアタテュルク国際空港があり、更に進むとギリシア国境です。
トルコ人ガイドさんの話では、トルコが最も仲が悪い国は、ギリシアだそうで、隣国との問題はいずこも同じようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/26/1b1ffe458cb9d4188397da094986b2f4.jpg)
レストラン「Sur Balik」の建物に入り、左手にトルコのアイスクリーム「ドンドゥルマ」の売店がありました。
店に入ると、さっそく店員のおじさんが後ろの植込み台に上がり、長く伸ばしたアイスクリームで、前を通る私たちの気を引こうとしている場面です。
トルコアイス「ドンドゥルマ」は、羊乳と砂糖にラン科の植物「サーレップ」の根から採取したデンプン質の粉を合わせて煮詰め、水分を抜いた後、冷却するとあります。
更に冷やしながら長時間練ることにより粘りを出して長く伸びるようになるようです。
この独特の製法の目的は、品温が上がってもトロけないようにするものと思われ、「ドンドゥルマ」は、トルコの風土から生まれたアイスクリームと言えるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/21/05cd6c8f2fb0ccb8a201bd5dd902ea17.jpg)
写真は、トルコアイス「ドンドゥルマ」を、を注文し、受け取ろうとする場面です。
店員は、アイスクリームを渡すふりをして様々なパフォーマンスで、客をだまして渡してくれません。
写真(1)は、普通にアイスを渡そうとする場面で、写真(2)は、二重の三角コーンの下側だけ持たされ、アイスを入れた三角コーンを抜き取った場面です。
写真(3)は、アイスの上下にくっつけた三角コーンの下側を持たされた場面で、写真(4)は、アイスが三角コーンの上側にくっついて渡してもらえなかった場面です。
写真(5)は、さんざんじらされた後に、やっと笑顔で渡してくれた場面ですが、周囲は笑い声の連続でした。
この後、私も買いましたが、繰り返される同じようなパフォーマンスでは、感動が薄れてしまい、笑いながらのおつき合いでした。
様々な娯楽があふれる時代、ワンパターンとも思えるこのパフォーマンスを愛し続けるトルコ人の気質に興味がわきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/59/a45791bddcb492af4b2c62b0c8426a43.jpg)
トルコの名物料理「ドネルケバブ」と、フライドポテト、ライス(炒めた?)を食べている私を妻が撮ってくれた写真です。
ご飯党の私には「ドネルケバブ」の横に盛られたご飯がうれしく、パサパサした「ドネルケバブ」(牛肉でした)よりおいしく頂いたことが記憶に残っています。
横に置かれたデザートのムースは、同じようなものを旅行先の数ヶ所で頂いたことからトルコではポピュラーな料理と思われます。
又、左のビールの商品名は、トルコで有名な「エフェス(エフェソス)」で、さっぱりとした味が気に入り、これもトルコの各地で飲みました。
「エフェス」は、トルコ西部のエーゲ海に面した都市の名で、旅行6日目、古代ローマ帝国時代の大きな遺跡を見物した町です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/53/99cfa2845424194f21e4080bb48f0568.jpg)
イスタンブールの街中で見たテイクアウトの「ドネルケバブ」のお店です。
バスの車窓から見えたお店で、写真右端は、「ドネルケバブ」の串刺し部分を拡大したものです。
店頭のカウンターに「ドネルケバブ」を置き、注文に応じて削ぎ取るように見えますが、加熱装置が見えないことから店内で焼いているものと思われます。
「ドネルケバブ」の調理方法は、スライスした肉を重ねて大きな串に刺し、回転させながら周囲から焼き、火の通った部分を切り取って食べるもので、世界各地に伝わっているようです。
スライスした肉をフライパンや、網で焼いたものは、広い表面に直接高熱が当たり、油分が出て、水分が減って濃厚なうまみが出てくるように思われますが、この調理法の場合は、蒸した感じになるのかも知れません。
トルコでは「ドネルケバブ」の他、焼き鳥のように串に刺した「シシケバブ」があり、トルコ旅行7日目、再びイスタンブールに戻った夜、ベリーダンスや、民族舞踊を見ながら食べたのを思い出します。
「ケバブ」は、トルコ民族が遊牧民だったことに由来すると考えられ、この料理法が生まれた歴史など知りたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b1/4fac3edcc07b66a079244a1fccbaf9d0.jpg)
食事を終え、海岸を西へ約150m歩き、バスのいる駐車場へ近づいた風景です。
左手にはマルマラ海が広がり、道路右側には長い歴史を感じさせられる、かつての城壁がそびえています。
駐車場に見える数台のバスは、レストラン「Sur Balik」で食事をする別のツアーのバスで、この駐車場のお陰で、レストランが繁盛しているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/a3/afc96425d76fc930ce091d1801dbabbe.jpg)
道路右手にそびえる城壁の風景です。
上部には比較的小さな扁平な石が積まれ、下部には方形に整えられた少し大きめな石が規則正しく積まれているようです。
写真には見えませんが、城壁の上に家屋が見られ、城壁は丘の斜面を保護する石垣の様にも思われます。
この城壁は、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス大帝(在位 306~337年)が330年にこの地に遷都した頃に造られたものと思われ、興味深く眺めました。
上の地図に「コンスタンティヌス大帝の城壁」と表示した破線と、そこから東の海岸線に沿ったラインがローマ帝国から、オスマン帝国の時代まで続く帝都の城壁の始まりとされ、左の「テオドシウス2世の城壁」と表示した破線は、東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世(在位 408~450年)により西側へ拡張された城壁です。
又、ローマ帝国の遷都以前は、ギリシャの都市「ビュザンティオン」があったとされ、この辺りからガラタ橋を結ぶラインと、その東の海岸線が城壁となっていたようで、この城壁の石の一部も4世紀以前の古代都市の城壁の石だったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/41/d2e1a0beba085e2cf5b886f7e356557c.jpg)
城壁に円形の石を見つけて撮った写真です。
規則正しく石が積まれた城壁の右側には不規則に積まれた石積みが見られ、補修された跡のように思われます。
赤い矢印で示した円形の石は、石臼でしょうか、赤い丸印の石も再利用された石と思われ、壊れた城壁を急いで補修した様子が浮かんできます。
1500年以上前からの様々な歴史がこの城壁に刻み込まれているかも知れないと、崩れかけた城壁に化石でも見つけるかのように城壁を見つめていました。
旅行2日目、最初の観光地イスタンブールを後にして、トルコの首都アンカラのホテルまで約6時間のバス移動となりました。