9/30 、トルコ旅行2日目、イスタンブールの観光を終え、ツアーのバスは、宿泊地のアンカラを目指して450Km、約6時間の移動でした。

イスタンブールの旧市街からガラタ橋を渡るバス前方の風景です。
金角湾の入口に架かるガラタ橋の歩道には多くの釣りをする人が見られ、ここは釣りのスポットのようです。
ガラタ橋を渡った新市街を北上し、ボスフォラス大橋をアジアサイドに渡って行きます。(前回掲載の地図をご参照下さい)

地図上段は、イスタンブールからアンカラまでの高速道路を赤い線で表示したもので、地図下段はトルコ旅行8日間の旅程を書き込んだものです。
イスタンブールから首都アンカラへ向かうバスの車窓には、珍しい風景が続き、6時間余りの移動も意外に退屈しませんでした。
この地図にはトルコ東部が表示されていませんが、トルコの国土は783,562平方キロメートルで、日本のほぼ2倍だそうです。
又、現在のトルコの人口は、7,700万人で、30年前の160%と増加傾向が続いており、人口減少が始まった日本から見るとうらやましい気持ちになりますが、国境を接しているイラン、イラク、シリアでの紛争対策や、国境を越えて存在し、移動するクルド人問題もあり、良いことばかりではないようです。
トルコ人ガイドさんも徴兵されて、東部国境の防衛部隊の配属となり、クルド武装勢力との戦いで、多くの同僚を失った話を聞き、防衛について再考する必要性を痛感させられたものです。

イスタンブールの新市街に広がる住宅街の風景です。
1戸建ての多い日本と違い、4~5階建ての集合住宅ばかり並んでおり、写真左下にその一つの拡大写真です。
バスの車窓から見えたトルコの住宅は、郊外から田舎の町まで集合住宅が見られました。
トルコ人ガイドさんの話では、かつては所有権のない土地に一夜で造る違法なバラック建築があふれていたそうです。
田舎から都市へ出ていく人口移動の増加と、住宅供給の不足などが背景だったようですが、新たな住宅供給により次第に解消されているようです。
多階層の集合住宅は、土地の有効利用が出来、建築コストも割安となり、発展途上国トルコの知恵が生み出した住宅スタイルだったようです。

ボスフォラス大橋を渡りアジアサイドの郊外の丘の上にひと際そびえる高層建築が見えてきました。
背の低い左右のビルにはパイプで組まれた白いオブジェがかぶさるように飾られており、中央の高層ビルと合わせた複合的な建物風景がデザインされたのかも知れません。
高いビルの上には建設用のクレーンが見られ、発展していくトルコの勢いを感じる風景でした。

アジアサイドの郊外で見たモスクの風景です。
日本の神社、仏閣のようにトルコの各地には様々なモスクが見られ、珍しさもあり、車窓から見えるモスクの写真を撮っていました。
丘の斜面にひしめく建物も集合住宅ばかりで、区画ごとに同じデザインの建物が造られているように思われます。

緑色のドームに4本の小さな飾りの塔が付けられた素敵なモスクが見えてきました。
ボスフォラス大橋から約30分、高速道路の走行時間から考えると広いスタンブールの町のエリアから出た辺りでしょうか。
背後に見える濃い緑の山は、日本で見かける風景とあまり変わらないものでした。

イスタンブールから約2時間、トイレ休憩で立ち寄ったサパンジャ湖畔にある高速道路サービスエリアのスーパーマーケットの風景です。
店舗の軒先に野菜や、果物、加工食品などが大量に陳列されており、物珍しく見物しました。
イスタンブールの南に広がるマルマラ海の東にはイズミトまで長く入込んだイズミト湾があり、サパンジャ湖はその東にあります。
ところで、イズミト湾に橋を架け、イスタンブールと、南にある都市プルサ(地図上段参照)を結ぶ経路を大幅に短縮するイズミット湾横断橋の工事が日本企業IHI(旧石川島播磨重工業)を中心とする企業グループで受注され、2013年1月に着工、完成予定は、わずか3年後の2016年1月で、世界第4位の吊り橋(中央径間1,550m)となるそうです。
イズミト湾には湾に沿って東西に延びる活断層があり、1999年にはイズミトを震源地として推定4万人以上の死者・行方不明者が出たとされる大地震が発生しています。
IHIは、イスタンブールのボスフォラス海峡に架かる「ファティフ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスフォラス大橋)」などでも架橋実績があるようで、阪神淡路大震災の震源地に近い世界第1位の明石海峡大橋(中央径間1,991m)の実績も含めて日本の企業によせるトルコの期待の大きさを感じるものです。

サパンジャ湖から2時間以上走った辺りで見た山村の風景です。
この小さな村にもモスクの白いミナレット(尖塔)が見られ、多くの住宅は1戸建てのようです。
又、内陸に進んで行くと次第に山の緑が少なくなっていきました。

アンカラまで残り1時間余りの付近で見た風景です。
モスクの周囲に工場や、倉庫と思われる建物が見られ、工業団地といっつたところでしょうか。
内陸に入るにしたがって山の緑が少なくなり、この辺りに来ると、平地には緑が見られますが、はげ山の風景が続いていました。
標高約1000mの広大なアナトリアの高地は、年間の最高気温が40度、最低気温がマイナス20度と、厳しい自然環境の中でも産業の育成がなされているようです。

信号待ちのバスから見たアンカラ駅の風景です。
ガイドさんに教えられ撮った写真ですが、人口約440万人の首都にしては意外に小さな駅舎でした。
昼食を食べたイスタンブールのレストランからアンカラのホテルまで約6時間、旅行2日目は終わりです。

イスタンブールの旧市街からガラタ橋を渡るバス前方の風景です。
金角湾の入口に架かるガラタ橋の歩道には多くの釣りをする人が見られ、ここは釣りのスポットのようです。
ガラタ橋を渡った新市街を北上し、ボスフォラス大橋をアジアサイドに渡って行きます。(前回掲載の地図をご参照下さい)

地図上段は、イスタンブールからアンカラまでの高速道路を赤い線で表示したもので、地図下段はトルコ旅行8日間の旅程を書き込んだものです。
イスタンブールから首都アンカラへ向かうバスの車窓には、珍しい風景が続き、6時間余りの移動も意外に退屈しませんでした。
この地図にはトルコ東部が表示されていませんが、トルコの国土は783,562平方キロメートルで、日本のほぼ2倍だそうです。
又、現在のトルコの人口は、7,700万人で、30年前の160%と増加傾向が続いており、人口減少が始まった日本から見るとうらやましい気持ちになりますが、国境を接しているイラン、イラク、シリアでの紛争対策や、国境を越えて存在し、移動するクルド人問題もあり、良いことばかりではないようです。
トルコ人ガイドさんも徴兵されて、東部国境の防衛部隊の配属となり、クルド武装勢力との戦いで、多くの同僚を失った話を聞き、防衛について再考する必要性を痛感させられたものです。

イスタンブールの新市街に広がる住宅街の風景です。
1戸建ての多い日本と違い、4~5階建ての集合住宅ばかり並んでおり、写真左下にその一つの拡大写真です。
バスの車窓から見えたトルコの住宅は、郊外から田舎の町まで集合住宅が見られました。
トルコ人ガイドさんの話では、かつては所有権のない土地に一夜で造る違法なバラック建築があふれていたそうです。
田舎から都市へ出ていく人口移動の増加と、住宅供給の不足などが背景だったようですが、新たな住宅供給により次第に解消されているようです。
多階層の集合住宅は、土地の有効利用が出来、建築コストも割安となり、発展途上国トルコの知恵が生み出した住宅スタイルだったようです。

ボスフォラス大橋を渡りアジアサイドの郊外の丘の上にひと際そびえる高層建築が見えてきました。
背の低い左右のビルにはパイプで組まれた白いオブジェがかぶさるように飾られており、中央の高層ビルと合わせた複合的な建物風景がデザインされたのかも知れません。
高いビルの上には建設用のクレーンが見られ、発展していくトルコの勢いを感じる風景でした。

アジアサイドの郊外で見たモスクの風景です。
日本の神社、仏閣のようにトルコの各地には様々なモスクが見られ、珍しさもあり、車窓から見えるモスクの写真を撮っていました。
丘の斜面にひしめく建物も集合住宅ばかりで、区画ごとに同じデザインの建物が造られているように思われます。

緑色のドームに4本の小さな飾りの塔が付けられた素敵なモスクが見えてきました。
ボスフォラス大橋から約30分、高速道路の走行時間から考えると広いスタンブールの町のエリアから出た辺りでしょうか。
背後に見える濃い緑の山は、日本で見かける風景とあまり変わらないものでした。

イスタンブールから約2時間、トイレ休憩で立ち寄ったサパンジャ湖畔にある高速道路サービスエリアのスーパーマーケットの風景です。
店舗の軒先に野菜や、果物、加工食品などが大量に陳列されており、物珍しく見物しました。
イスタンブールの南に広がるマルマラ海の東にはイズミトまで長く入込んだイズミト湾があり、サパンジャ湖はその東にあります。
ところで、イズミト湾に橋を架け、イスタンブールと、南にある都市プルサ(地図上段参照)を結ぶ経路を大幅に短縮するイズミット湾横断橋の工事が日本企業IHI(旧石川島播磨重工業)を中心とする企業グループで受注され、2013年1月に着工、完成予定は、わずか3年後の2016年1月で、世界第4位の吊り橋(中央径間1,550m)となるそうです。
イズミト湾には湾に沿って東西に延びる活断層があり、1999年にはイズミトを震源地として推定4万人以上の死者・行方不明者が出たとされる大地震が発生しています。
IHIは、イスタンブールのボスフォラス海峡に架かる「ファティフ・スルタン・メフメット大橋(第2ボスフォラス大橋)」などでも架橋実績があるようで、阪神淡路大震災の震源地に近い世界第1位の明石海峡大橋(中央径間1,991m)の実績も含めて日本の企業によせるトルコの期待の大きさを感じるものです。

サパンジャ湖から2時間以上走った辺りで見た山村の風景です。
この小さな村にもモスクの白いミナレット(尖塔)が見られ、多くの住宅は1戸建てのようです。
又、内陸に進んで行くと次第に山の緑が少なくなっていきました。

アンカラまで残り1時間余りの付近で見た風景です。
モスクの周囲に工場や、倉庫と思われる建物が見られ、工業団地といっつたところでしょうか。
内陸に入るにしたがって山の緑が少なくなり、この辺りに来ると、平地には緑が見られますが、はげ山の風景が続いていました。
標高約1000mの広大なアナトリアの高地は、年間の最高気温が40度、最低気温がマイナス20度と、厳しい自然環境の中でも産業の育成がなされているようです。

信号待ちのバスから見たアンカラ駅の風景です。
ガイドさんに教えられ撮った写真ですが、人口約440万人の首都にしては意外に小さな駅舎でした。
昼食を食べたイスタンブールのレストランからアンカラのホテルまで約6時間、旅行2日目は終わりです。