昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「知覧武家屋敷群」には鎌倉時代からの伝統があった

2007年01月25日 | 九州の旅
知覧の武家屋敷通りは、二種類の石垣と、手入れの行き届いた生垣が印象的です。石垣は、長方形の石を重ねた石垣と、丸みのある小さめな石を重ねた石垣がありました。小さめの石は、戦の時に崩して投石する目的もあったようです。(写真上)
武家屋敷の7庭園は、国の名勝に指定され、日本庭園の特徴に加え、門の内側にある石塀(ヒンプン)等、琉球・中国の影響も多く見られます。(写真下)
薩摩藩は、島津氏が鎌倉幕府の守護に任じられて以来続き、武士が人口の25%(一般的に5%)と多く、中世の支配体制の特徴を残す「外城制度」を明治維新まで続けていたようです。「外城制度」とは、藩を113に区画してそれぞれに「地頭仮屋」を置き、周辺に武士の集落「麓」(ふもと)を作って統治しており、「麓」の武士の多くは農業を行い、財政を支えていたようです。知覧は、薩摩の小京都と呼ばれ、武家屋敷群は、「麓」の一つです。


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