昔に出会う旅

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トルコ旅行 2 イスタンブールでグランド・バザール見物

2014年10月22日 | 海外旅行
9月30日、イスタンブールの観光は、グランド・バザールの見物からスタートしました。

グランド・バザールは、約5000店舗、2000以上の工房などがひしめく市場です。

1453年、オスマン帝国(1299~1922年)の「メフメット2世」(1432~1481年)がコンスタンチノープルを攻略してビザンチン帝国を滅ぼし、グランド・バザールの建築は、その直後に命令されたそうです。

1461年に完成したグランド・バザールは、次第に増築され、現在の規模になっのは1894年とされます。



駐車場から徒歩2~3分で到着したグランド・バザールの東南にある「ヌルオスマニエ門」の風景です。

入口上にトルコ語でKAPALICARSI(カパル・チャルシュ)とあり、ガイドブックによると「屋根のある市場」の意味だそうです。

写真右下の文字は、入口の内側の壁に表示されていたもので、下段左端に「GATE1(ゲート番号1)」とあることや、入口上に飾られた立派な紋章からもグランド・バザールに多くある門の中でも表玄関のような門と思われます。



旅行で持ち歩いた旅行ガイドブック「ワールドガイド イスタンブール・トルコ」(JTBパブリッシング発行)に掲載されていたグランド・バザールの案内図です。

右下(南東)の「ヌルオスマニエ門」から歩いた順路を赤丸印の番号(1)~(7)に記しています。

案内図には、店舗の種類を色分けしてありますが、実際には様々な店舗が混在しているようでした。



写真上段は、「ヌルオスマニエ門」を北側から見た風景です。

横から見ると、「ヌルオスマニエ門」の屋根は、かなり老朽化しているように見えます。

現在の建物は、1954年の火災後に再建されたとされ、既に築後約60年経っているようです。

写真右上は、門の上に飾られた紋章で、調べてみるとオスマン帝国の国章でした。

バザールが開設されたオスマン帝国時代からの歴史がアピールされているようです。

写真右下の赤いテントの下に日本人女性が経営する土産物店があり、写真下段は、お店の正面風景です。

このお店[案内図(2)]が自由行動の後のツアーの集合場所ででした。

グランド・バザール場外にある店舗で、女性店主の日本語の対応に安心して買い物ができます。

ガイドさんの話では、グランド・バザール内の家賃は1平方メートルで100万円/月とのことで、異常に高い家賃は、販売価格に転嫁されることとなり、バザールの安いイメージは幻想だったようです。



写真上段は、日本人女性の土産物店から向かいを見上げた風景です。

そびえている塔は、グランド・バザールの東側の一段高い場所に建つ「ヌルオスマニエ・ジャーミイ(モスク)」です。

グランド・バザールの「ヌルオスマニエ門」の名称は、隣接するこのジャーミイ(モスク)から名づけられたようです。

写真下段は、「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」からグランド・バザールを見た風景です。

東側から見たグランド・バザールは、屋根に小ぶりなドームが連続するレンガ造りの建物でした。



グランド・バザールの案内図(1)から(4)に通じる「カルバクチュラル通り」の風景です。

客の少ない開店直後の時間帯でしたが、様々な商品を陳列する店が並び、客が日本語に達者なトルコ人店員から声がかかってきます。

天井のアーチに描かれた模様が印象的でした。



通りを歩き、ちょっと気になったお店の一つです。

写真下段は、陳列棚の一部を拡大したもので、トルコのイメージを感じさせる商品が並んでいました。



この店舗は、案内図にもあるようにカルバクチュラル通りに多くある金製品のお店の一つです。

写真下段は、陳列棚の一部を拡大したもので、棚の中央には銀製品も陳列されており、案内図の店舗分類と実態は微妙に違っています。



カルバクチュラル通りから右に入る路地の角にあった楽器などを売るお店です。

小型のギターのような楽器、マンドリンに似た楽器、3本弦の素朴なバイオリン風の楽器など民族楽器と思われます。

トルコの音楽についてほとんど知らないことを自覚させられます。



トルコの陶器などを売るお店です。

トルコらしさが感じられ伝統的な手描きの模様の陶器は、魅力的ですが、わずらわしい値段交渉や、持ち帰りの破損対策などを考えると、買う気にはなりませんでした。



案内図(6)の「イチ・ベデステン(オールドバザール)」付近にあったジュータン、カーペットのお店です。

ショーウインドウのガラスが光り、少し汚く写っていますが、実物は美しいものでした。

ガイドさんの話では産地のカッパドキアで売られているジュータンと比較すると、非常に高いそうで、目の保養にながめて帰りました。



カルバクチュラル通りから左の路地の向こうに見えたチャルシュ門[案内図(3)]です。

出口の上に「GATE5(ゲート番号5)」と表示され、入ってきた「ヌルオスマニエ門」の「GATE1」から5番目の門だったようです。

何気なく歩いて来たためか、途中にあった門には気づきませんでした。

この後、ベヤズット門[案内図(4)]まで進んだ後、ここまで引き返し、「イチ・ベデステン(オールドバザール)」[案内図(6・7)]へ進んで行きました。



カルバクチュラル通りを突き当ったベヤズット門[案内図(4)]です。

出口の上に「GATE7(ゲート番号7)」の表示があり、カルバクチュラル通りの南側に沿った7番目の門だったようです。

写真下段は、門を出て外から見た門の風景です。

丸い紋章には複雑なアラビア文字が描かれていました。(左上に紋章の拡大写真)

現代のトルコでは使われなくなったアラビア文字ですが、漢字などと同様に書の芸術的作品としても描かれるようです。



ベヤズット門[案内図(4)]を出て、正面に見えた建物です。

ガイドブックには「ベヤズット・ジャーミイ(モスク)」とあり、コンスタンチノープルを攻略した「メフメット2世」の息子「ベヤズット2世」により1506年に造られた建物だそうです。

オスマン様式の代表的なブルー・モスク(スルタンアメフト・ジャーミイ)が1616年の完成とされますが、この「ベヤズット・ジャーミイ」は、イスタンブールに現存する最古のオスマン様式のモスクになるようです。

この門の名称も門に隣接する「ベヤズット・ジャーミイ(モスク)」にちなんだものと分かりました。



写真上段は、「イチ・ベデステン(オールドバザール)」[案内図(6)]に差し掛かった辺りの風景です。

通りの中央に水道施設のようなものがあり、男性が掃除のモップを洗っているようです。

このエリアは、1461年にグランド・バザールが完成した頃からのものだそうで、当時の建物かどうかは分かりませんが、他のエリアと違い、特に古びた感じでした。

写真下段は、「イチ・ベデステン」の通りの風景で、通路に2列の柱があり、通路が3列に分けられた古風な通りでした。

予定時刻より早くグランド・バザールの見物を終え、集合場所に近い「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」の見物に行きました。


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