昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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南九州旅行No.29 「サンメッセ日南」でモアイ見物

2012年11月07日 | 九州の旅
南九州旅行3日目(2012/5/9)、宮崎県日南市「鵜戸神宮」参拝の次は、鵜戸崎の北に隣接するテーマパーク「サンメッセ日南」で、モアイ像の見物です。



「サンメッセ日南」モアイ広場入口付近の風景です。

「サンメッセ日南」は、広い山の斜面に造られたモアイ像を中心とするテーマパークですが、実物に近い複製と知り訪れたものです。

「モアイ」は、太平洋に浮かぶ絶海の孤島「イースター島」に造られた謎の石像群で、南米チリ領ですが、東南アジアから太平洋に広がったポリネシア文化圏に含まれるようです。



「サンメッセ日南」の入場券(上)と、パンフレットに掲載の園内案内図です。

日南海岸の斜面に「サンメッセ日南」が広がり、海岸に沿った国道220号から園内への坂道を進んで行きます。

モアイ広場は南(図左)にあり、斜面の下にはヤギのいる牧場、斜面の上には「地球感謝の鐘」などの施設があります。



料金所や、駐車場に近い「ウエルカムプラザ」の風景です。

「ウエルカムプラザ」は、ショップ・レストラン・貸カートなどがあり、園内散策の起点となる施設で、モアイをモチーフにした「みらいちゃん」「イキール君」のかわいらしいマスコットキャラが出迎えてくれました。

右手には東国原前県知事のモアイスタイルの像が立ち、「長い間お世話になりました」の丁重なメッセジも添えられていますが、こちらはキモキャラに分類されそうです。



モアイ広場からウエルカムプラザなどのある北の方向を振り返った風景です。

斜面下にはヤギなどを飼育する牧場が広がり、貸カートに乗って走る人も見られました。

モアイ広場から太平洋を見下ろす風景に気持ちが安らぎます。



モアイ広場に立つモアイ像です。

モアイ像は、アフと呼ばれる石積みの祭壇に立ち、中央にはただ一つの階段があります。

これらの石像は、イースター島のモアイ像の中でも代表的な「アフ・アキビ」7体の復刻像で、足元の案内板ではイースター島の長老から同意を得て復刻されたことが書かれています。

■モアイの案内板がありました。
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この岬に立つと、太平洋は眼前に大きく広がりまるくさえ見えます。早朝の日の出を拝みますと、海の果て黒潮海流の流れ行く先々には何があるのかとロマンを誘います。そのような思いの中からイースター島のモアイ像が浮かんできました。
一燈圃生活の創始者西田天香さんを師と仰ぎ、モアイの修復に参加された高松の多田野弘氏、そしてモアイ修復委員会の奈良国立文化財研究所及び飛島建設株式会社、又イースター島の考古学者クラウディオ.クリスティノ.フェランド氏も参加し、学術的鑑修と卓越した技術によって、更にイースター島長老会と島民の人々のご理解によって代表的なモアイ、アフ・アキビ7体の完全復元模刻が完成しました。
世界で初めて、そしておそらく唯一であろうモアイの完全復刻がこの地に許されたのは、太陽からのメッセージ(日向・ヒムカの国)でありモアイ修復チームの功績の賜であり、又、西田天香さんの遺徳によるものと感謝いたします。
地球の平和、そしてイースター島と日南市の友好の絆の深まることを願って、ここにそのいきさつを後世に書き残しておきます。
1996年4月12日   京都 一燈園当番 西田 多戈止 合掌
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環太平洋の両端から、隈想に耽るモアイ立ち、両者の間には数百年、おそらく約20世代近い歳月が流れている。赤道を挟んで、過去と現代が話しているのだろう。ひょっとしたら、テレパシーで会話する寡黙な石人たちだろうか。無限に広がる紺碧の海、モアイがこれ程似合う環境はない。ラパヌイの人々が長い歴史にわたって大切にしたように、私たちも、異国の神々を次の世代に伝えたい。ラパヌイと日南の友好のために。
  1996年4月12日  モアイ修復委員会
         猪熊兼勝
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この記念碑はラバヌイ島のアキビ祭壇(アフ)が素晴らしく再現されたもので、私は技術アドバイザーとして参加できたことを大変光栄に思っています。この記念碑が遠方離れた弘達の島と日本の間の友好と親睦を深めることを期待しています。
  1996年2月9日  チリ大学付属イースター島研究所
         考古学者・トンガリキ再建プロジェクト
               クラウディオ・クリスチーノ
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ラパヌイ(イースター島)にあるアフアキビを復刻したものを日南市に置くことを、市長として、また長老会の一員として賛同します。
今後継続して交流がなされることを願っています。
  1996年2月12日     ヘドロ・エドモンド市長
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案内板に描かれた「イースター島」(現地では「ラパ・ヌイ」の名で呼ばれる)の地図です。

ほぼ三角形の島で、それぞれの角近くに山があり、下の山は「ラノカウ火山」だそうです。

火山の北に島の人口が集中する「ハンガロア村」があり、その間に飛行場の滑走路が伸びています。

「サンメッセ日南」に造られたモアイ像のオリジナルがある「アフ・アキビ」は、島の北西にあります。

多くのモアイ像は、海岸に内陸を向くように建てられていますが、「アフ・アキビ」は島の内陸部にあり、海を向いて建つ珍しい石像でもあるようです。

島の東にある「ラノララク」は、約1,000体あると言われるモアイ像の大半が切り出された凝灰岩の山で、未完成の像や、放置された像が今でも多く残されているようです。

その東の「アフ・トンガリキ」は後述の「MOAIはこうして日南海岸に建てられた!」の説明文にある日本のクレーンメーカー(株)タダノ・奈良国立文化財研究所・石工の左野氏(飛鳥建設)が現地の協力を得て修復した15体のモアイ像の場所です。

■地図の案内板にあった説明文です。
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ラパ・ヌイ(イースター島)は、南米チリの西方約3800km沖合の南太平洋に位置する島です。隣のタヒチ島まで約4000kmも離れていて、文字どおり南洋に浮かぶ「絶海の孤島」である。
日本から約15000km、太平洋を間にして対峙するラパヌイは周囲60kmの三角形をした小島で、その3つの頂点には300~500mの高さの休火山がある。
島内には川は無く、低い山の斜面から海岸に向けて緩やかに丘陵が広がっている。高い樹木は集落周辺以外には見あたらず、青々とした草原のうねりがどこまでもつづいている。
1722年、オランダ人提督ヤコブ・ロツゲフェーンが西欧人として初めてこの島に上陸。
この日がキリスト教のイースター(復活祭:春分の日以降の満月の次の日曜日)であったため、こう呼ばれた。しかし島の人々は今でも本来の呼び名であるラパ・ヌイ(ポリネシア語で、大きな島の意味)を使っている。
海岸近くに数多く分布する巨石人像・モアイは、西欧人の多大な関心を集め、その謎とともに今日でもなお世界の七不思議のひとつに数えられている。中でもアフアキビの7体は、他と違って海岸から1.6km内陸の丘陵に位置し、伝説とともに特徴的なモアイである。

位置:南緯27度9分・西経109度26分
面積:約16,628ha ※1
地形:三角形状(縦方向12km・横方向24km・外周60km)
国籍:チリ共和国
人口:2,800人 ※2
音語:スペイン語(ラパヌイ語)
時差:日本より15時間遅れ
空港:3000m級滑走路(スペースシャトル緊急避難着陸用)
(イースター島の旅・ランチリ航空会社発行/1995年より)
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★案内板や、パンフレットの内容に違いが見つかり、参考のため記載します。
※1 イースター島の面積は、広場の案内板では「約16,628ha」(約166km2)とあり、 「サンメッセ日南」が配布するパンフレットでは「175km2(香川県小豆島より少し小さい)」と表示され、Wikipediaでは約180km2とそれぞれ違っています。
又、小豆島は、Wikipediaでは153.30km2としており、イースター島の面積が逆に大きくなるようです。
※2 イースター島の人口は、広場の案内板では「2,800人」とありますが、 「サンメッセ日南」が配布するパンフレットでは「現在4,300人」とあり、Wikipediaでは「総計(2005年)3,791人」と記載されており、これにも違いが見られます。



案内板に描かれたイースター島の地図の下に「モアイの種類」と題する図がありました。

モアイ像は、年代と共に大型化していったとされ、石像の形は、図の左から右へ時代変化したものと思われます。

日本の弥生時代、祭祀に使われたとされる銅鐸が次第に大型化し、終焉を迎えた歴史を彷彿とします。

書籍「イースター島の謎」ではイースター島の考古学年表で、以下の時代区分をしています。
 1.古代(400~1000)入植と発展の時期 モアイ像は700年以前に始まる?
 2.中期(1000~1680)発展期、アフとモアイ像の時代 1500年以降には像の頭に凝灰岩製の赤い被り物(プカオ)が現れる。
 3.後期(1680~1722)衰退期、フリ・モアイの時代 モアイ像を祭壇アフに作ることが終わり、半ピラミッド状のアフを墓とする。
 4.原史期(1722~1868)欧州人との接触で島に様々な変化があり、この時代末期にはキリスト教への改宗が進んだ。
 5.歴史期(1868~)ペルーの奴隷狩り、疫病などで1877年には島の人口が激減、1800年の9,600人から111人となった。

資料:「イースター島の謎」(カテリーヌ・オルリアック/ミッシェル・オルリアック 共著、藤崎京子 訳、創元社発行)

■案内板「モアイの種類」の図の説明文です。
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モアイの種類
 A:Moai Escoria Roja(Tahai)
 B:Moai Ahu Vai(Tahai)
 C:Moai Tuturi(Rano Raraku)
 D:Moai KoTe Riku(Tahai)
 E:Moai Ahu Tongariki(Hotu lti)
 F:Moai Paro(Ahu Te Pito Kura)
 G:Moai Rano Raraku(Termi Nal)
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「サンメッセ日南」に並ぶ石像7体の内、左から三番目の最も背が高いと思われるモアイ像です。

説明図などから像の高さは4m余り、人の高さと比較した上段の「モアイの種類」の図ではCタイプに近いようです。

足がどこにあるのかよく分りませんが、しゃがんだ姿勢とされるモアイ像にはどことなく親しみを感じます。

しかし、このくぼんだ目の部分には白い珊瑚の白目と、中心に黒い瞳がはめられていたとされ、元々は目に強い印象を受ける顔だちだったと思われます。

かつて最盛期には10部族に分かれていたとされるイースター島では、亡くなった部族の長の像を競って彫り、の祭壇アフへ建てる時に目をはめたとされ、その時点で像に神聖さが宿るものとしていたようです。

巨大な石像を十数キロ離れたまで運搬した方法や、島で採れない珊瑚の入手ルートなどは、現代に残る謎のようです。



案内板にあったイースター島の「アフ・アキビ」7体の写真です。

かなり風化が進み、頭の一部が欠けている像もありますが、「サンメッセ日南」での復刻は、破損や、風化する前の石像をイメージして復刻されたようです。

下の説明文では、かつてほとんどのモアイ像が倒されていたとされ、「アフ・アキビ」も発掘されて、再建された歴史があったことには驚きました。

■「アフ・アキビ」の説明文です。
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アフ・アキビ
環太平洋の島々には色んなポーズで石人がしやがんでいる。その代表者がラパヌイのモアイである。数百年前、島には10の部族があった。彼らは部族毎にモアイ(石人)を作りアフと呼ぶ祭壇に祀った。部族の祖先の偶像であったが、アフの上では数個体のモアイが並んだ。面長の顔に長い耳、胴長の単調な姿で、細い腕に親指がピンと反る。アフ毎に同じ顔、形は制作集団の技の特徴か、時代の形か。巨大なモアイを好んだ最盛期、部族抗争で、モアイ信仰派は敗れる。600体のモアイは顔を下に倒された。島の西北アキビのアフでも7体のモアイが倒された。1960年よりラパヌイ考古学の父W・マロイとチリ考古学の長老G・フィゲロアによって発掘され、ラパヌイの好き日の姿に再建された。多くのモアイが内陸を見詰めるなかで、アキビのモアイは毎日、美しい海の彼方の夕焼けを望む。日南モアイはアキビをイメージして復刻された。

■アフ・アキビの伝説■
伝説によると、ある時ヒバの国にハウマカという賢者が夢を見た。彼の魂は夢の中で、彼の元を去り、日の出づる方向に新たな大地を求めて旅に出た。やがて彼の魂は、マタ・キ・テ・ランギ(イースター島の古名、天を見つめる日)という名の島にたどり着き、島中を調べ廻った後、美しいアナケナ海岸にやって来た。“この地こそが、我が王が民を率いて上陸するに適した場所だ”と叫んで、魂は再びハウマカの身体に戻っていった。
目覚めたハウマカの話を聞いたホツ・マツア王は、本当かどうか7人の使者を航海に送り、やがて5人がとヒバへ帰り着くと王はついに決心をし、民を率いて長い航海の末、この島へたどり着いたという。
アフ・アキビのモアイは、年に2度、春分・秋分には太陽の沈む地点を見つめるという方向性を持っているといわれる。夕陽に映えるモアイたちは遥か故柵、伝説の島々に思いをはせているのかも知れない。
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案内板に「アフ・アキビ復刻」と書かれた図が並んでいました。

上の7体の図は、頭が破損した像もあり、元の「アフ・アキビ」の石像と思われます。

中段の図は、祭壇アフの断面図のようで、これは現地のものを再現しているようです。

下の図は1辺が25cmで、高さ4.5m、幅1.5mのマス目に各石像のイメージが描かれ、石造の大きさが分かります。



モアイ広場から斜面の上を見上げた風景です。

広場の端に沿ってユネスコの世界遺産を紹介するたくさんのパネルが並んでいました。

「サンメッセ日南」の園内案内図にあった「太陽の階段」や、「地球感謝の鐘」「蝶の楽園」等は、はるか上にあり、900円の貸カートを借りてまで見たい気にもならず、結局、広場だけの見物でした。

「サンメッセ日南」のパンフレットに「アフ・アキビ」のモアイ像が日南で復刻された経緯に日本の企業や、研究機関、宗教団体が関係している事が紹介されていました。

イースターの東部「アフ・トンガリキ」に高さ5m以上ある15体のモアイが日本人の力によって復刻された事が記されています。

■パンフレットより
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MOAIはこうして日南海岸に建てられた!
 * 3つの「OnIy One」*
なぜ、日南海岸に唯一イースター島のMOAIが完全復刻されたのか?
この地は、昭和44年に京都の財団法人「一燈園」の青年達が牧場を作って和牛の生産を行っていましたが、昭和62年に閉牧しました。しかし地元の村おこしの要請を受けて平成8年4月、村おこしと地球の平和を願って、サンメッセ日南を設立した。

イースター島のモアイ(アフ・トンガリキ15体)
日本のチームが5年かけて修復平成3年某TV局が、世界七不思議の一つと言われているモアイを紹介、昔々の部族間の争いと、昭和35年のチリ大地震で倒壊したモアイを放映し、このように荒廃している世界の文化財の修復こそ平和に貢献する日本の役割ではないか、と訴えた。
そこで立ち上がったのが四国のクレーンメーカー(株)タダノ・奈良国立文化財研究所・石工の左野氏(飛鳥建設)の三者でモアイ修復委員会を結成、チリ大学イースター島博物館の協力も得て、部族間の争いや地震で倒されていたモアイを平成2年より約5年間かけてアフ・トンガリキ15体を完全修復、このモアイ修復委員会の努力によりイースター島は「ラパヌイ国立公園」としてユネスコ世界遺産に登録することができた。

サンメッセ日南のモアイ(アフ・アキピ)復刻作業
イースター島の長老会は修復チームの希望に応え、初めてモアイを日本で復刻することを許可した。また、㈱タダノは長年、一燈園が開催している智徳研修会の参加メンバーであるのと日南海岸はモアイ建立に相応しい景観であるところから、石工の左野勝司氏はモアイ、アフ・アキビ7体を精魂込めて彫りあげ、サンメッセ日南の地に建立した。

サンメッセ日南に建てられたモアイは、アフアキビ7体の完全復刻として極めて貴重なものである。
(イースター島の石は持出し禁止のため、福島県白川村の同じ凝灰岩で作られた)
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最後にモアイ広場の端にある板張りのステージから見たモアイ像です。

ほとんどのモアイ像は、海を背に部族の集落を見守るように建てられたとされ、太平洋を背にするこの風景はイースター島のイメージに似ているのかも知れません。

絶海の孤島イースター島で、700~1700年頃まで最大約千年続いたと思われるモアイ像造りは、溶岩が固まって出来た玄武岩や、黒曜石の石器で、火山灰が堆積して出来た比較的柔らかい凝灰岩を彫ったものだそうです。

海底火山が島に成長し、やがて動植物が繁殖し、そこに人類の文化が花開く歴史が見えてくるようです。

謎に満ちた「イースター島」をチョッピリ体感したような「サンメッセ日南」のモアイ見物でした。