昔に出会う旅

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北海道旅行No.27 函館市南茅部「大船遺跡」の巨大住居跡

2011年10月05日 | 北海道の旅

北海道旅行5日目 6/7(火)7時頃、苫小牧のホテルを出発、函館を目指しました。

最初のスポットは、函館市北部にある縄文時代中期の「大船遺跡」と、今年完成した「大船遺跡埋蔵文化財展示館」で、国宝の「中空土偶」の展示(レプリカでした)を知り、訪れたものです。



驚くほど深く大きな竪穴住居跡の写真(上段)です。

大船遺跡現地の案内板にあった写真で、深さ2mを越える竪穴住居跡は、初めて見るものです。

屋根を直接支える柱の他にも、竪穴の底に垂直に立つ太い柱穴が見られ、巨大な住居を支える強い構造に感心しました。

■大船遺跡のパンフレット「大集落 大船遺跡」の説明文です。
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国指定史跡大船遺跡の概要
 大船遺跡は,大船川左岸の海岸段丘(標高42~47m)にあります。遺跡は縄文時代中期(約4,500年前)を中心とした集落跡で,平成8年度に調査した約3,500m2から、92軒の竪穴住居跡と盛土遺構などが発掘されました。遺跡の主体部が西側に広がっていることから,遺跡全体は非常に大規模な集落になると予想され.平成13年8月に,71,832㎡が国の史跡に指定されました。
 遺跡の特徴は,住居の規模が極めて大きいことと,集落の密度が非常に高いことです。
一般的な竪穴住居跡は,探さ0.5m,長さ4~5m程の大きさですが,大船遺跡では,探さ2.4m、長さ8~11mの大型住居も発掘されています。住居の規模から,安定した袖丈の生活が窺えます。
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下段の写真は、遺跡の全景をやはり高い場所から撮った写真で、「大船遺跡埋蔵文化財展示館」に展示されていたものです。

薄い積雪で立体感が演出され、たくさんの住居跡が発掘されている状況が分かります。

■展示館の写真に添えられていた説明文です。
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大船遺跡
縄文前期末から中期の約千年間にわたる集落跡です。これまでの調査で100軒を越える住居跡や大規模な盛土遺構、動物の骨やクリなどが発見されています。縄文時代の生活や文化を解明する上で極めて貴重な遺跡です。
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大船遺跡のある渡島半島付近の地図(上段)です。

北海道旅行後半は、函館を基点に、松前、江刺など渡島半島を回り、積丹半島を経て小樽までのコースを回りました。

函館市の北、森町から国道5号を分かれて海岸線を南下した函館市南茅部地区に大船遺跡があります。

下段の地図は、遺跡現場の案内板にあったもので、地図右下が北方向、緑の部分が遺跡の範囲、下は海です。

遺跡の周囲に密集した等高線が見られ、遺跡は海岸段丘に広がっていました。

南の大船川を溯上する鮭や、海産物などが集落の人々の生活を支えていたものと思われます。



「大船遺跡」の入口付近の風景です。

発掘され、再現された茅葺屋根の住居、木の骨組みだけの住居、竪穴だけの住居跡が見られます。

■遺跡現場入口にあった案内板の説明文です。
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竪穴住居
竪穴住居は、縄文時代につくられた住居の形態です。地面を円形や方形に掘って床とし、柱を立て骨組みを作り、その上に土やヨシなどで屋根をふいた建物で、床には炉が設けられています。
大船遺跡の竪穴住居は規模が大きく、長さ8~11m、深さ2m以上の住居が見つかっています。炉は、床そのものを火床としたものから土器を埋めたもの、石で囲んだ炉へと変化が見られます。この復元遺跡では、発掘調査の結果をもとに、クリの木を使い、竪穴住居の骨組みを再現しています。
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骨組みだけの再現住居の中の様子です。

西側の出入り口から見ると、奥に石で囲まれた炉が造られ、その手前に穴があります。

竪穴の深さは、人の背の高さを越えるもので、大きく深い巨大な竪穴がなぜここで造られたのか興味をそそられます。



少し面積の狭い茅葺屋根が再現されていました。

この住居も入口は、西側のようでした。



再現された茅葺屋根の住居の中の様子です。

竪穴の丸い底の周りに柱が建てられ、竪穴の周囲には木の枝を編んだ壁が作られています。

ここでも奥に石を敷き詰めた炉があり、その手前に床に掘られた穴が見られます。



大船遺跡のパンフレットに掲載されていた発掘調査の写真です。

向かって左は、「石組みのある住居跡」と書かれたもので、時代の違う層の住居跡に石組みの炉が見られます。

向かって右は、「貯蔵穴」と書かれた写真で、穴の底に発掘作業をする赤い服の女性が見られます。



遺跡の地面に重なった住居跡を表示した場所がありました。



上段の写真の場所付近にあった案内板に発掘作業風景の写真がありました。

■発掘現場の写真の説明文です。
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「重なり合う住居」
大船遺跡の特徴として、遺跡内の竪穴住居の密度が非常に高いことがあげられます。大船遺跡では、発掘調査の結果、縄文時代中期(約4,500年前)を中心とした竪穴住居跡が120軒以上発見されています。
この平面表示は、多くの竪穴住居が重なっている状態を示しています。
これは、数百年にわたり定住生活をしていた証であり、その背景にはこの地域が海や山野の豊かな食料資源に恵まれていたためとみられています。
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竪穴住居跡が発掘され、そのまま保存されていました。

竪穴の底の中央付近がさらに深く掘られているのが気になります。

竪穴住居跡が正確に復元されているものと考えると、この二段目の穴も謎のひとつです。

古い時代の住居跡が現れ、一段と深くなった穴だったのでしょうか。



住居跡の北側にあった案内板に「盛土遺構」と紹介された写真です。

穴投げ入れられた貝塚と異なり、地表に積み上げた遺物のようです。

■遺跡の中にあった「盛土遺構」の案内板の説明文です。
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盛土遺構
盛土遺構は、永い期間にわたり大量の土器や石器などが捨てられ、周囲より高く盛り上がった場所です。
火をたいた跡や人骨が発見されることがあることから、単なるゴミ捨て場ではなく、道具や食べ物の魂を送る場所ではないかと考えられています。
大船遺跡の盛土遺構からは、マグロ・サケなどの魚類やクジラ・イルカ・シカなどの哺乳類の骨、クリ・クルミなど植物の残りが見つかっており、当時の人々の食生活がうかがえます。
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遺跡のある海岸丘陵からは船が行く太平洋が見渡せます。

いつの時代でも地震、大津波、台風などの自然災害や、天候異変による食料不足などが襲ってきます。

縄文時代の人々の生活が実に千年もの長い間、この高台で続けられてきたことは奇跡のように思われます。

遺跡から発掘された遺構や、遺物から浮かぶ多くの謎に興味をひかれ、このブログの掲載を放置して調べたり考えたりしていたい気持ちになってしまいます。

次回は、函館市南茅部地区の縄文遺跡が展示されている「大船遺跡埋蔵文化財展示館」の見学です。