昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

神風で、国難を救った内宮「風日祈宮」

2009年08月14日 | 近畿地方の旅
「荒祭宮」[あらまつりのみや]の参拝の後、別宮「風日祈宮」[かざひのみのみや]へ向かいました。



参道脇の立派な門をのぞくと、「神楽殿」の立派な建物がありました。

玄関の上に曲線の「唐破風屋根」[からはふやね]が二つ並んでいる珍しい建物です。

神楽殿では私祈祷の神楽が行なわれているそうです。



神楽殿の隣に「授与所」[じゅよしょ]があり、次々と、御守等を買う人がやってきます。

母や、知人へのお土産に、お守りを数個買いました。



神楽殿の向かいに「風日祈宮」[かざひのみのみや] へ入る参道がありました。

「風日祈宮」へ向かう道を進むと「島路川」に架かる「風日祈宮橋」が見えてきます。

「島路川」は「五十鈴川」の支流で、御手洗場の100m上流で合流しています。



「風日祈宮橋」から「島路川」の美しい清流が見えます。

この「風日祈宮」の参道に横たわる「島路川」と、「風日祈宮橋」は、あたかも内宮正殿の「五十鈴川」と、「宇治橋」のミニチュア版のように造られたように思えます。

外宮の「風宮」でも書きましたが、元寇の時に吹いた「神風」で、二階級特進で「別宮」の社格まで上りつめたようです。



「風日祈宮」[かざひのみのみや]の社殿です。

祭神は、風の神様、「級長津彦命」[しなつひこのみこと]と「級長戸辺命」[しなとべのみこと]が祀られているそうです。

■矢野憲一著「伊勢神宮―知られざる杜のうち」 (角川選書) の一節です
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鎌倉時代、蒙古(元)の大軍が襲来した時、朝廷は公卿勅使を神宮に派遣し、風の神に祈話した。
風社の社殿が鳴動して、赤い雲が立ち上り、天地を照らし大風が石や砂を巻き上げて巨木を倒して、西の方に駆け抜け、九州の博多湾では猛風が起こり、怒涛天を衝き、来襲する敵艦は沈没、十万の元兵はたちまち全滅した。それが二度もあった。
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しかし、鎌倉時代、蒙古(元)の大軍が襲来した時、この神様に「神風」を吹かせて下さいと祈り、それが実現したとは信じられません。

おそらく、台風で蒙古の大軍が壊滅し、その後造られた話ではないでしょうか。

日本が元によって征服されようとする最大の国難に、二度にもわたり奇跡的に助かったことは、決して偶然とは思えなかったものと思われます。



「参集殿」で放映されていた「風日祈宮」の神事の様子です。

今でも風の神様に感謝をし、天候の無事を祈っているようです。



上段の写真と同様、「参集殿」でビデオ放映されていた「風日祈宮」の5月の神事に「蓑と笠」お供えした場面です。

「風日祈祭」の昔の祝詞に「雨甘[あめあま]く、風和[かぜやわらか]にして」という一節があるそうで、適当な量の雨と、風を神様にお祈りしているそうです。

蓑・笠の材料は、菅[すげ]だそうで、「笠縫内人」[かさぬいうちんど]という専門の人によって造られているそうです。

「笠縫」[かさぬい]は、古代に天照大御神を祀っていた土地の名前でもあります。

万葉の時代から「神風の伊勢」と言うように「伊勢」の枕詞は「神風」です。

「神風」の本来の意味は、鎌倉時代の蒙古襲来の時に吹いた奇跡の「神風」ではないようです。

「伊勢神宮―知られざる杜のうち」 の本の一節には「神威が強い国という意味があろう・・・」とあります。