昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」 №2

2009年01月07日 | 日記
1月3日、三次市の奥田元宋・小由女美術館で見た「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」の続きです。



階段の踊り場から第二・第三会場の入口を見た写真です。

第二会場は、地下一階にあり、展示内容は、7世紀前後に活躍した「突厥族」と、10世紀の初め「遼」を建国した「契丹族」です。

下の第三会場は、地下二階にあり、チンギス・ハーンの時代以降の展示です。

美術館は、山の斜面に沿って造られた建物で、一階玄関が、斜面の高い側にあります。



奇跡的に盗掘されていなかった墓から発見された黄金マスクです。

黄金マスクには銀のネットが取り付けられ、頭に固定していたそうです。

遼(10世紀初頭~12世紀初頭)の王の娘婿の顔にかぶせられていたもので、並んで埋葬されていた奥さんの顔にも黄金マスクが、かぶせられていました。

発見当時、ツタンカーメンの王墓から発掘された黄金のマスクに匹敵するニュースだったようです。

会場での説明では、この時代、貴族の結婚では嫁入り道具と合わせて墓へ副葬する品物も持参する習慣があったということです。



地下二階の第三会場の入口で、学芸員の方が移動式の建物について説明されている様子です。

手に持ったアジア大陸の東部の地図で熱心な説明をして頂きました。

この建物は、展示用に縮小されたサイズになっているようですが、日本では「神社」のようなものと説明されていました。

ここからチンギス・ハーンの時代以降の展示です。



チンギス・ハーンが、戦闘で使った馬の鞍だそうです。

狩りの時に乗った鞍も展示されていましたが、こちらの方が立派な感じです。

すぐ横にチンギス・ハーンの顔が描かれた絵がありました。

歴史的な英雄チンギス・ハーンが愛用していた鞍が目の前にあることになかなか実感が湧いてきませんでした。

しかし、このような品物が保存されていたことも奇跡的で、それを見ることができたことも奇跡的なことだと考えてみたら、展示会のすばらしさが次第にわかってきました。



元代の「イスラム教徒の石棺の蓋」です。

石棺の写真に向かって左端の中央部分にアラビア文字が刻まれていました。

説明書きには「アラーは、唯一の神で、モハメッドはアラーの使者である」のような意味の文章となっていたと記憶しています。

アラビア数字はいつも見慣れていますが、他の「アラビア文字」は、初めて見るもので、とても興味深く眺めていました。

元王朝は、世界を征服する過程で様々な宗教に出会い、寛容に対応したようです。

それが多くの民族を征服する技術の一つだったのかも知れませんが、多様な宗教が混在する国家の矛盾が拡大し、崩壊の要因ともなったようです。

改めて世界平和の困難さを感じます。