昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」№1

2009年01月05日 | 日記
1月3日、三次市の奥田元宋・小由女美術館で、「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」がに行きました。

福山市の図書館にあったパンフレットでこの展覧会を知り、当日11:00から学芸員の方によるギャラリートークがあることで思い立ちました。

展示品は、予想外にたくさんあり、常設展と合わせて3時間半ゆっくりとみせて頂きました。

展示内容は、歴史に沿って3段階に分かれ、第1段階は、紀元前4世紀頃からチンギス・ハーンが登場するまでの中国北方の遊牧民族関係の展示でした。

第2段階で、チンギス・ハーンの時代、第3段階で、明・清時代のモンゴル高原の遊牧民族関係の展示でした。

今日は、第1段階の「東胡族・匈奴族・鮮卑族」が展示されている第一会場の様子を掲載します。



1階にあった第一会場の入口です。
ここでは、モンゴル高原で活躍した民族、東胡族・匈奴族・鮮卑族が紹介されています。

個人的にはこの古い時代の展示が、一番印象に残りました。



最初の東胡族のコーナーに展示されていた「許季姜青銅簋」で、頂いたパンフレットに掲載されていた写真です。(戦国時代)

学芸員の方の説明では、許季姜[きょききょう]」は、この青銅器の作者で、青銅簋[き]」とは、青銅の食器だそうで、両側の把手には外側に向いた動物(説明ではヒツジだったか?)の顔がデザインされています。

内側の底に、確か「宝物として末長く大切にするように?」と言うような意味の決まり文句が刻まれているようです。

この青銅器の横に壺のような青銅器が展示されていました。

両側に把手があり、その先端には「螭[ち]」という架空の動物の頭が付いていました。

説明では「螭[ち]」とは大蛇が龍になる中間段階の動物だそうで、キリンのような先端が丸くなった二本の角が付いていました。

漢民族の文明に育った龍など架空動物が、遊牧民族に伝わったものと説明されていました。

東胡族は、中国を統一した秦の時代までモンゴル高原の東部に住んでいた民族のようです。

匈奴族は、東胡の西に住んでいた民族で、この後の漢の時代に勢力を拡大したと言われています。



匈奴族のコーナーにあった金の王冠で、パンフレットにあった写真です。(戦国時代)

説明によるとこの鷲の飾りの付いた金の冠は、展覧会一番の展示品だそうです。

冠の一番下段には、遊牧民が大切にしている家畜、羊と、馬が向かい合って伏せています。
その上段に同じように伏しているのが虎だそうです。(学芸員の方も、虎には見えないと言われていました)

羊が描かれた台の上の頂点には大鷲が載り、匈奴の人々は、世界の王者は大鷲だと考えていたことが、この王冠に表現されているようです。(モンゴル相撲で、鷲の舞が勝者により舞われることを思い出しました)

鷲の鮮やかな青の部分は、確かメノウで、モンゴル高原に住む大鷲は、羊をつかみ空に飛び立つなどの説明がありました。



鮮卑族のコーナーにあった「金製鹿頭形冠飾り」で、これもパンフレットにあった写真です。

説明では匈奴族に圧迫された東胡族の一部が、鮮卑山に逃れて生き延びたのが鮮卑族だそうです。(4世紀頃?)

貴族が冠に着けて歩き、揺れて金属音がすることが高貴さをアピールすることになるとの説明だったと思います。

学芸員の方も後で類似の事例として説明されましたが、奈良県明日香村の藤の木古墳でも同じようなハート型の飾りが出土したことを直感的に思い出しました。

古代から広いエリアで民族の接触が行われ、それにより人類の文明が発展したことが分かります。

ミトコンドリアDNAの研究で、人類の先祖がアフリカの1人の女性である説が有力とされています。

人類は、アフリカから地球全体に広がり、それぞれの民族に分かれた歴史がある一方、最近では地球規模で人類が移動しています。

出かけると、大抵外国人と出会うようになったこの時代の次に、どんな社会になって行くのでしょうか。