昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

遠野と早池峰山信仰

2008年02月12日 | 東北地方の旅

遠野市博物館の見学で、「早池峰山信仰」のパネルがありました。
パネルの写真には壊れた鳥居の間から早池峰山が見えています。

■パネルの説明文を転記します。
「遠野と早池峰信仰」
遠野の信仰・学問・文化の中心は早池峰山妙泉寺でした。平安時代初期に創設され、絶えず上方との交流を保ち、近世に入っては長谷寺・御室御所・嵯峨御所等の学問寺や門跡寺院への留学などで、京都から持ちかえった文化を積み重ねてきました。
また、遠野盆地の人びとは早池峰から流れ出る水のおかげで生産ができ、死ぬとこの山にいくのだと信じていました。
この山岳信仰と高い文化は、遠野の歴史や伝統を貫き、「遠野物語」を生む背景となりました。



早池峰神社を中心とした、早池峰山付近の図です。
伝説では、大同元年(806)来内村(現遠野市)の猟師「四角藤蔵」がクマを追って早池峰山の山頂で十一面観音に出合い、早池峰山頂にほこらを建立したのが始まりだそうです。
斉衡年間(854~857)慈覚大師が、早池峰山持福院妙泉寺建立し、明治の神仏分離令により、「早池峰神社」と改称したようです。

このブログ「角磐山 大山寺」で、鳥取県の大山寺縁起でも似た話がありました。
猟師が金色の狼を見つけ、大山まで追いつめたところ地蔵菩薩が現れたという話です。
しかも「慈覚大師」により天台宗の寺とされた点も共通しています。

又、平泉で「中尊寺」と並ぶ大きな寺院「毛越寺」でも同じような「白鹿伝説」がありました。
「慈覚大師」がその地を旅で歩いていた時、霧の中で白鹿と遭遇、やがて「薬師如来」の化身である老人が現れ、堂宇を建立するよう告げられ、寺を建立した話しです。
この類似した伝説に「慈覚大師」による布教目的の意図的なにおいも感じます。



早池峰山、薬師岳、早池峰神社が、一直線でつながるようです。
更に、この下の地図で確認できますが、遠野市役所が、この線上にあります。
二つの山を結ぶ線上に神社と、街を造ったかも知れません。
しかし、そうであったとしてもなぜ直線で結んだのかは謎です。



■山伏についてのパネルがありましたので転記します。
「人の一生と山伏」
山伏は修行をつみ、霊感による呪力を身につけ、村びとの依頼に応じてその病苦や災難を解くための祈祷をしました。
出産のさいは安産を、病気がちの子には取り子名をつけて無事を祈り、15歳になった男子の遠野三山へのお山がけの先達をつとめ、女子の帯解きの日には息災の祈祷、結婚にあたっては夫婦和合の符を与えるなど、病気・厄年・死後のお祓いと、人の一生の通過儀礼や年中行事と深いかかわりあいをもっていました。

「山伏の宇宙観」
密教では宇宙と自分は同一で、その宇宙に自分がなりきったとき行者は仏になるのだと教えています。山伏が超人的な力を出すいわれもこれにもとづいています。
広大な宇宙を、地・水・火・風・空の5つの要素に単純化し、これを手で5つの印に象徴化して結び、真言をとなえ、心に念じると、山伏は仏になり、宇宙になりきったおのれを駆使し、祈祷を通じて人びとの災いをなくして利益をもたらすことができると信じ、つとめてきました。


遠野三山は、地図に赤い山の印をしています。
遠野をはさむように早池峰山(標高1914m)、六角牛山(標高1294m)、石上山(標高1038m)と三つの山がそびえています。

「遠野物語 神の始」に次の物語がありました。
大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原(遠野)に来り、今の来内(らいない)村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華(れいか)降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃(ひそか)に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛(ろっこうし)と石神(いしがみ)とを得たり。若き三人の女神各(おのおの)三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬(そのねたみ)を畏(おそ)れて今も此山には遊ばずと云へり。

遠野には本当に沢山の物語が語り継がれ、訪れる者を不思議な世界に誘ってくれます。