昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

唐桑半島の断崖から見た「巨釜」の絶景

2008年01月06日 | 東北地方の旅

民宿の朝食を早く済ませ、唐桑半島の観光に出発しました。
先ず「巨釜・半造(おおがま・はんぞう)」の見物です。

この辺りの海岸線は、海蝕で出来た非常にたくさんの奇岩が続いています。
奇岩に荒波がぶつかり、迫力のあるしぶきも魅力的です。

上の図は、「巨釜」の駐車場にあった案内板です。(図の上が東方向になります)
向って左の半島、「巨釜」エリアからスタートです。



上の案内図の横にあった唐桑半島全体の案内図です。
唐桑半島の付近が、宮城県の最北端になります。
気仙沼港と、市街地は、向って左の気仙沼湾のいちばん奥付近にあります。

唐桑半島の見物は、「巨釜・半造地区」の後、半島南の「御埼地区」、次に半島北の「大理石海岸地区」の順で廻りました。



駐車場からなだらかな松林の中の遊歩道を歩いて行くと柵があり、断崖の下に雄大な海岸の景色が見えてきます。(北の方角の景色です)

日の出直後の早朝6時過ぎで、遊歩道の所々にに気持ちの良い朝日が差し込んでいました。
遊歩道は、海岸線の柵に沿って「半造」まで続いています。


「巨釜・半造地区」の案内図にもある「水取場」と思われる所です。

■「水取場」の案内板があり、転記します。
美味しい清水が湧いている場所で漁師が沖から漁の帰りに渇いた喉を潤したと云われている。 (清水の湧き口は前の入江の左奥)



見晴しのよい場所から、北の海岸線を見た景色です。
変化に富む奇岩と、その巨大さに感動します。

あまり風がない日でしたが、波しぶきが上がっているのが見えます。



上の景色を少し場所を変えて撮った写真です。
手前のそそり立った岩の巨大さが分ります。

この雄大な海岸の景色を見ていると、なんとなく和歌山の串本辺りの海岸を思い出しました。



遊歩道を進むと「折石(おれいし)」が見えてきました。
日の出の少し後で、逆光の写真になってしまいました。
この辺りでは一番の奇岩です。

下記の説明にあるように2mも短くなってこの高さとは驚きです。
折れる前の「折石」は、どう呼ばれていたのか興味のあるところです。
「折石」の名は痛々しさを感じます。

■折石の案内板を転記します。
前にそびえる石柱は、高さ16m、巾3mの大理石で、明治29年(1896年)三陸大津波の時、先端が2m程折れたことから折石と呼ばれている。



折石の写真です。
この後に行く「唐桑半島ビジターセンター」のパンフレットにあった「折石」の写真を拝借しました。
上の写真とほぼ同じ方角から撮ったものです。

やはりお天気の良い日中に撮影しないときれいに撮れないようです。



折石の写真を撮った場所付近の断崖の様子です。
このような高い断崖の上の柵から見下ろす荒々しい奇岩の海岸は、足がすくむ格別の景色でした。



「八幡岩」です。

■「唐桑半島ビジターセンター」のパンフレットに以下の説明がありました。
大理石の海蝕により奇岩が連続し、前田浜から沖合を見たとき、あたかも大きな釜の中でお湯が煮えたぎつているように見え、また、沖にある「八幡岩」が蓋のようにも見えることから「巨釜」と呼ばれています。

巨釜と、半造の中間にある入江の前田浜から見た景色から「巨釜」の名が付けられたとあります。
前田浜より少し西から撮った写真ですが、どうも煮えたぎっているようには見えません。
潮の満ち引きで湾内が渦巻くことにより、煮えたぎって見えるとも言われていますがいま一つピンときません。


海に浮かぶ大きな「八幡岩」の上にたくさんのウミネコが群れていました。
ウミネコは、チドリ目カモメ科で、中型のカモメだそうです。
猫に似た声ですぐに分ったのでズームで撮ってみました。



巨釜から半造の方向を撮った景色です。
岩の上でよく育った松の木もこの絶景を演出しているようです。

案内図にある「貞任岩」は、手前に見える岩辺りかと思いますがよく分りません。

「八幡岩」「貞任岩」の名は平安時代後期、東北地方で起きた前九年の役(ぜんくねんのえき)」にまつわる伝説から名付けられたようです。

「前九年の役(ぜんくねんのえき)」は、鎮守府将軍源頼義、義家親子が出羽(秋田)の豪族清原氏と組んで、陸奥の豪族安倍氏を滅ぼした12年にわたる事件です。

伝説の内容はよく分りませんが、戦いに敗れた「安倍貞任」がこの地に逃れ、「貞任岩」に隠れていたのを源義家に捕らえたことから名付けられたものと思われます。
又、「八幡岩」は、源義家が、鎌倉幕府を開いた頼朝の曾祖父で、八幡太郎義家の別名で崇められたことからこの名がついたものと思われます。