昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

石垣島の「底原ダム」がたたえる「世果報の水」

2007年07月06日 | 沖縄の旅
石垣島の最高峰「於茂登岳」の東を南北に縦断する県道87号線沿いに「底原(すくばる)ダム」があり、立ち寄ってみました。



「於茂登トンネル」の北の入り口です。
全長1,174mで、沖縄では最長のトンネルだそうです。
入口の上にはシーサーが描かれ、ヤシの木も南の島を演出しています。


「於茂登トンネル」を南に抜けた(地図①)左手に「底原ダム」が見えてきます。
東西に走る堤防の道は、地図上で測ると約1.5Kmもありました。(地図②⇔③)
等高線を見ると堤防と、その下の高低差があまりないようです。
ダム湖は、非常に広いものの、水深が浅いようです。


ダムの西から東の堤防を見た景色です。(地図②から③の方向)
長い直線の堤防が続いています。
1992年に完成した「底原ダム」は、宮良川水系の底原川に造られています。
宮良川の河口は石垣島の南、宮良湾に注いでいます。


石碑に「世果報の水」とあります。
「世果報」は、「ゆがふ」と読むそうで、沖縄方言の母音変化「え(e)」→「い(i)」、「お(o)」→「う(u)」を考慮すると読み方が分かります。
「果報」は、辞書で「運のよいこと。また、幸せなさま」とあります。
「果報な世の水」と読み替えると意味が、少し判ってくるような気がします。
沖縄では弥勒(ミルク)信仰があり、ニライカナイから訪れるミルクが「世果報(ゆがふ)」をもたらせてくれると考えられているようです。


ダムの堤防の道に入る入口で、左右の門柱の上にシーサーがいます。
車は進入禁止になっています。


なかなか面構えの良いシーサーですが、ちょっと肥満体なところに親近感がわきます。
後ろに見えるダム湖は、実に広々としています。


案内板にあった「底原ダム」の全景写真です。


ダムの堤防から西を見た風景です。(地図②の辺り)
正面の突き当りから進入してきました。


ダムの堤防の上の道です。
とにかく長い直線道路ですが、なにやら袋が落ちています。
牧場付近で見かける干草の袋のようです。


「底原ダム」の堤防から南東方向を見た景色です。(地図④の辺り)
土手の下には田んぼや、畑がたくさん見え、その向うにカーラ岳が見えています。(向かって一番左の山)
約500年前、石垣島の英雄「オヤケアカハチ」が琉球王朝との戦いで、最後を遂げたのがこのダムの辺りと言われています。
かって、オヤケアカハチが宮良湾に面した大浜に拠点(フルスト原遺跡)を持ち、強い勢力を保持していたのはこの広い宮良川流域の農業だったのではと推察しています。


堤防の西の端にある水の落ちる所で、ダムの高さが高くないことが分かります。
見た目より貯水量は、かなり少ないようです。
かって、この島には深刻な渇水の歴史があり、水の不足がいつ発生するか分かりません。
観光旅行者も水を使う量を少しでも少なくするよう工夫をしたいものです。