加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

令和4年 セイモアスキー場付近に水汲みに行ってきました

2022年03月12日 | 日々雑感

令和4年3月12日 今日も晴天で春らしい天気になりました。
2月15日に水汲みに行ってきたのですが、残っている水は5リットルほどになったので水汲みに出かけました。
道路はスキー場まで雪もなく路面は乾いた状態ですが山道の道路脇や人家の屋根には1m位の雪が残っていました。

                   (川にせり出した雪)

セイモアスキー場の駐車場には多くの車が駐車し、スキーやスノーボードを持って歩いていました。
スキー場近くの駐車場は「満車」と書かれた看板が掲げられていて、今日明日と天候が良いので多くのスキー客で賑わうのでしょう。

                  (セイモアスキー場)


                  (雪のミルフィーユ)

水汲み場への道路は道路脇の斜面から雪の壁がずり落ちてきているようで、道路が狭くなっているところもありました。
今日は私たち以外の水汲み客はいなかったのでゆっくりできましたが終わりごろに水汲み客が来たので、終わってラッキーと思いました。

水汲みから帰る途中スキー場へ向かう多くの車と行き違いましたが、この分だと駐車場が満杯になるのも時間の問題かと思いました。
天候が良いので明日も多くのスキー客が出かけるのでしょうか?


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令和4年 東日本大震災から11年(3)

2022年03月11日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和4年3月11日 今日の空は青い空が広がり良い風が吹いています。
昨年までは慰霊の連凧を揚げてきましたが、今年は「鎮魂」と書いた凧を揚げに何時もの広場に行って来ました。
弱風用と強風用の2種類の凧を準備していきましたが、風は6~7m位だったので強風用としました。
尻尾を調整し南西の強風に合わせると東北の方角に向かって青い空へ揚がっていきました。
亡くなられた方々のご冥福を祈り心の中で手を合わせ凧揚げをしました。




2011年のあの日は寒い日で雪が舞う天気でした。これまで慰霊の凧揚げをしてきましたが、吹雪模様のため凧揚げを中止にしたり、強風で連凧が揚がらなかったこともありましたが、今日の日が一番天気に恵まれた日でした。

あの日から11年経ちました。
午後2時46分NHKテレビで現地から追悼の中継をしていました。
テレビを観ながら地震発生時間に合わせ、1分間の黙とうを行いました。

                   (NHKテレビより)

                    (NHKテレビより)

震災から11年経過しても人々の心の中はまだ完全に復興していないと感じた一日でした。

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令和4年 東日本大震災から11年(2)

2022年03月10日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和2年3月10日 明日で東日本大震災から11年となります。
東日本大震災を記録した河北新報社の「3・11大震災」と三陸河北新報社の「大津波襲来・石巻地方の記録」の2冊の本があります。
2011年の震災の年に避難所に住む方々を元気付けるために「仙台凧の会」が全国の凧仲間に呼びかけて凧を募集しました。
私の方も簡単に揚げられる凧をセットにして送りましたところ、そのお礼にと上記の2冊の本が送られてきました。
永く本棚にしまっていたのですが、11年になったので取り出し本のページをめくると生々しい写真に当時の記憶が鮮明に蘇ってきました。


本の中は全てを記録する形で構成されており、今まで報道されていたもののほかに記者の方の目線での写真となっているので、見るたびに心が痛くなるものばかりです。

孫たちは当時小学校3年でこの本を見せたのですが覚えているのだろうか?今は県外の大学へいっているので今度帰省したら記憶に残るように見せようと思っている。

震災から10年経ったころから人々の記憶から薄くなったと思います。
人々の記憶はその時の記録で蘇ることもあると思うのです。
これからも細々と慰霊の凧を揚げていきたいと思い、それが記憶を忘れないことだと思うからです。
明日は震災から11年となる日です。「鎮魂」の凧を揚げて慰霊したいと思っています。

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令和4年 東日本大震災から11年(1)

2022年03月09日 | 3・11 凧絆プロジェクト

令和4年3月9日 凧・絆プロジェクトとして毎年繋いできた連凧も今年はもう繋ぎません。
2011年から仙台凧の会の呼びかけ被災地の子供たちを元気づけようとして始まった「凧・絆プロジェクト」でした。
仙台凧の会では2015年に「スマイルカイトアクション」と名称を変更しましたが、私は初心のまま現在まで「凧・絆プロジェクト」として活動してきました。
昨年までの10年間で110枚の凧をつなぎ東北地方の震災で被災された方々の慰霊したいとの思いで連凧を繋いできましたが、今回10年の節目が終わり慰霊のための連凧揚げを断念することとしました。
慰霊の連凧を作った時から東北の被災地での慰霊の連凧を揚げて御霊を慰霊したいと考え、昨年10年を機会に青森県、岩手県、宮城県、福島県での慰霊の凧揚げを検討したのですが、コロナウイルスの感染拡大で計画倒れとなりました。

10年の思いの詰まった連凧を収納箱から出して、1枚づつ確認しているとその年の出来事が思い出され思わず確認の手が止まってしまいます。

                     (連凧の点検)

                     (連凧を収容)


2011年の年は貼り付けたセロテープが変色し、経年劣化で硬化して剝がれてしまいました。
凧の尻尾に孫たちが書いたメッセージを見て懐かしく、あの時は小学生だった孫たちも今は大学生になっています年月の流れを感じました。
点検を終わった連凧を収容箱に収めましたが、今後連凧を揚げる機会があるのでしょうか?

                      (連凧の収容箱)
世の中でも東日本大震災は10年を境に過去のものとなったように、話題にならなくなりました。
私の中では「阪神淡路大震災」と「東日本大震災」は凧で繋がった仲間とともに忘れられない事柄です。

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令和4年 雪吊りが外れました

2022年03月08日 | 日々雑感

令和4年3月8日 今日は朝から青い空が広がり、気持ちがルンルンする天気です。
午後から庭師さんが来て雪吊りを外していきました。
今年は何度か松の木の枝葉に多くの雪が積もりましたが雪吊りを施していたので安心でした。


雪吊りの縄が外れた松の木は春の日差しの中で大きく背伸びをしているようです。
木の下から空を見ると青い空に木の枝葉がのびのびと大きなあくびをしているように見えました。


昨年の雪吊りを外したのは3月4日でしたが、先週まで冬型で雪が降っていたので今年は少し遅くなったようです。

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