加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

北の老凧師が旅立ちました

2018年03月01日 | 日々雑感

平成30年2月28日 本日午前中に北海道の猿払凧の会事務局から今朝、「凧の会の元会長が亡くなりました」と訃報の連絡がありました。

猿払凧の会の元会長の越智艮九氏(91才)との出会いは平成11年11月の五十崎での凧揚げ大会であった。
越智さんの奥さんが愛媛県出身であった事から親戚と逢うために愛媛県を訪れ、五十崎の凧揚げに参加しているときでした。私達も平成11年から各地の凧揚げ大会に参加し、五十崎には初めての参加でした。
この時の話で北海道の自然に憧れ、翌12年の7月に猿払の凧揚げに初めて参加しました。
それがきっかけで越智さん御夫婦が内灘の凧揚げにも参加され交流が始まりました。

次にお逢いできたのは5年後で、それ以降は数年おきに北海道へ凧揚げに行きました。
私が定年を迎え毎年のように北海道へ行くたびに越智さんご夫婦を訪問し、自宅に泊めていただくようになりました。
私にとっては父親のような年齢差で、毎晩酒を酌み交わし交流出来たことは心を許し合える年の離れた親友のような存在でもありました。

昨年、内灘から初めて凧の会員が数名猿払の凧揚げに参加しました。
猿払から内灘へ何度も凧揚げに参加していたのですが、昨年初めての訪問と交流が出来たのは越智さんご夫婦の功績だったと感じています。

越智艮九氏の親は内灘出身で猿払の地には内灘出身の方が多くいたそうです。
明治時代には内灘からも多くの漁民の方がホタテ漁に来ていたそうで、今でも子孫の方は交流を深めているそうです。
内灘と猿払の歴史を調べたのが「猿払村と内灘町のつながり」ですがこの小冊子を纏めることが出来たのも越智艮九氏との交流があったから出来たことです。


(自宅横で凧揚げする越智氏)

(自宅横で凧揚げする越智氏)


(自宅前にて奥様と)
ここ数年はお逢いするたびに、これが最後かと別れを惜しんできましたが、訃報に接し寂しさだけが募ります。
お別れに行こうと思っていたのですが、3月1日から爆弾低気圧のためフェリーは欠航、千歳空港は猛吹雪、稚内空港も大荒れ状態。

猿払凧の会の方に電話すると爆弾低気圧が来ているので来ない方が良いとのこと。
今回は香典を送り失礼しました。気候が良くなってからの訪問を考えることにしました。
皆さんに愛された好々爺が安らかに北の大地から旅立っていきました。  合掌

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