この絵は、12センチ×10センチの小さな作品です。
2016年に描かれたものを修正を加えたと言っていました。
風を感じます。
SANNOMiYAと書かれているので、神戸の三ノ宮のことでしょう。
階段が描かれているので、阪急三ノ宮の西口にある階段のことでしょうか?
コロナ以降、一度しか三ノ宮には行っていません。
ヒロクニさんは、「ここまで街に行っていないと、街の絵が描きにくいねぇ~」。と言い、
「やっぱり、身体を街に擦り付けないとねぇ~」。と。
するといつもの「宝塚!この眠った町!お昼ねの町!覇気のない町!」のセリフにつながっていくのです。
私は、近頃、猫のピーちゃんが、毎朝早く起こしてくれるので、
寝不足になってしまい、眠たい毎日なんです。
寝るのは遅くて、AM1:00に寝るのですが、
朝6時前にピピちゃんが私の顔をビンタするのです。
布団を頭に覆うと、その上に鎮座して重しが圧し掛かる。
本当にかまってタイプの猫ちゃんで、以前の猫達と大違い。
抱いて、膝の上にのせると、くったり寝るし、猫らしい猫なのかも?
人は、寝始めてからの3時間を確保していたら、なんとか大丈夫と言う話を聞いたことがあり、
まあ、大丈夫と思っていますが、
冷蔵庫の前に行って、「何しようと思ったんだったけ?」とか、
買い物のメモを見ているのに、買い忘れが多く、
ヒロクニさんから、「ちゃんと見てるのか?」「まさか、呆けていないよなぁ~」。と言われ、
無言で静かにしている私・・・・・・。
静かにというより、ボーとして唖然としている。
↑これが、私の寝不足の元凶。
膝の上に乗って、撫でられ満足のピピ。
頭を撫でられてご満悦状態なんです。
この状態が好きらしくなかなか膝から降りてくれません。
ピピのおかげでお昼ねの私になりそう・・・・・ですが、することはたくさんあるので、堪えています。
話は変わりすぎるぐらい、変わるのですが、哲学の秋ということでこんなことを書きます。
人の心を分析するのに仏教では、「唯識(ゆいしき)」と分野があるのを知った。
知ってから、ヒロクニさんに「仏教について知っているよね。唯識って分かる?」と聞いた。
めんどくさそうに、「簡単に言うと、心ってことだ」。と。
そして、「その心を仏教哲学で論じているわけだけど、哲学だからね。」と。
「私は、きっちり哲学書というのは、ハイデッガーしか読んでないからなんともだけど、
唯識というのは、それに近しいちゃんとした哲学だから。」と。
「私は、大乗起信論が好きだねぇ」。と。
「大乗起信論を和尚から、借りてあげるから、是非読んだらいいよ。」と薦められています。
原文を簡単に読み下しているものであればいいのだけれど、
見ただけで理解できなさそうなものを薦められ予感がして、ギョッとしています。
「唯識(ゆいしき)」に興味をもったのは、明確に人の感覚を八つ、(もしくは九つ)に分けている所。
特に「未那識(まなしき)」「阿頼耶識(あらやしき)」について知りたいと思った。
「阿頼耶識(あらやしき)」のことを、脳内で、「荒れたお屋敷」と思いこんでいたという頓珍漢ぶり。
■「まなしき」というのは、八識のうちの第七識。我に執着して存在の根拠となる心の働き。意識がなくなった状態にも存在し、迷いの根源とされる。
■「あらやしき」八識の第八。宇宙万有の展開の根源とされる心の主体。万有を保って失わないところから無没識、万有を蔵するところから蔵識、万有発生の種子 (しゅじ) を蔵するところから種子識ともいわれる。
こういう意味らしい。
七識の「まなしき」というのは、感情にとても近い感じがして、人間的な要素を感じるし、
「あらやしき」というのは、大いなる宇宙を創っているものにも通じるところがあるし、
そういうものが「人の心にある」ということに興味を持っています。
唯識(ゆいしき)というのは、お説教と違い、ヒロクニさんが西洋の哲学者を引き合いに出したとおり、
分析色が強いものというのは、確かみたいなんです。
ヒロクニさんって、いろんな知識があって、驚くわ。
でも、「悟り」から程遠い所にいる人物と、妻は断言します!!
「悟りなんて、開けるわけがない」。と本人も豪語しています。
秋の庭は里芋の収穫を待つ時期となりました。
↑茎の根元には、丸い芋が付いているのも分かるようになりました。
里芋は、収穫を急がなくてもいい芋で、上部が枯れてもそのまま土の中に埋まっている状態で
置いておいてもいいらしく、土に埋まったまま保存しておくと良いそうです。
ただ、毎年チューリップの球根を植える場所で育ててしまったので、
収穫して、あちこちに配るつもり。
柔らかくほっこりとしていて、とても美味しいのです。
コロッケにしても美味しいのですよ。(作るつもり)
秋なのに、朝顔がよく咲いています。
秋の日差しの為か、色が薄くなって儚い雰囲気を漂わせています。
拝見いたしました。懐かしいです。
しかし、この頃は、年齢は、30代だと思いますが、ガキだったのですね。(私も)
フランシス様も今現在の方が、いい感じだと思いました。
街もそんな感じなのでしょうか。
やはり、絶妙なスペースに文字が描かれていて、絵の一部になっているように感じました。
ピーちゃん、相変わらず、なんて愛らしいのでしょうか!
サビ猫ちゃんは、甘えん坊でいたずらっこ、そしてとってもお利口さんだと聞きます。
ピーちゃんもそんな感じですね。
甘えん坊の猫は、ちょっと面倒だけれど本当に愛らしくて、ぎゅうっと抱きしめたくなります。
唯識を「簡単に言うと、心ってことだ」と説明したヒロクニ先生に驚きました。
確かに、ひとことで言うとそうかも。難しく考えていましたが、とても納得してしまい、驚きました。
ヒロクニ先生の作品は、いろんなことを「簡単にひとことで表現している」というものも内包しているのかも、と新しい発見がありました。
里芋は美味しいですね。
皮をむくのが面倒で、ついつい皮がむかれていてすぐに使える冷凍の里芋を買ってしまいます。
里芋コロッケは、ねっとした重厚さがとっても魅力的です。
緑の野菜と色のある花が、相変わらずすてきです。
三ノ宮は、というか神戸は、全体的に洋風なんです。その在りようがモダンさを醸しています。建物も西洋文化を取り入れた、モダンなものがよく残っています。
ピーちゃんは、ほんと愛らしいという形容が似合います。サビ猫ちゃんは、意外と病気をしないとネットででは意見があります。ともりんの言うように、お利口と言うのもあたっていると思います。食卓にある魚に悪戯しないので、驚いています。顔を近づけて、私がピーにする毎日ですよ。(笑)
ヒロクニさんは、禅寺の和尚さんと親しくて、2人だけで通じる「仏教」の話をしているのを、横から聞いていたことがあります。熱心に自分で学んでいたようで、アトリエには、仏教辞典が部屋に置いててあるんです。急に聞いたから、最大限に、私に分かり易く説明しなくては!と思い答えてくれたのでは?確かに、わかり易い説明だったので、ちょっと感動していました。
ヒロクニ先生(さんではなく尊敬の呼び)は、隠れインテリの異名を持っています。表ではなく、「隠れ」が付くところが味噌みたい。
いつも、コメントありがとうね。
トマトは全滅しましたが、里芋は収穫できそうです。