武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ハンバーグの巻

2008-12-17 14:29:44 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年7月24日(火)掲載のえ

小さいお家と大きなハンバーグ。ほのぼのムード。

俳優の酒井和歌子さんが小学校の半ばの頃は、まだ洋食が珍しかった時代。酒井和歌子さんのお母様は、細長いお皿とナイフとフォークを買ってきて、手作りのハンバーグに、ご飯を型で固めて、添え物をしてレストランのようにして作ったといいます。物のない時代に、お家でレストランという発想がとても豊かに感じます。

手作りでハンバーグを4ッ作りました。手前のお皿がこの度描いてもらうハンバーグのセット(モチーフ)です。後ろに見えるハンバーグは残り、一つは食べた。熊手はヒロク二さんの愛用品。ヒロク二さんは、レレレのおじさん(赤塚不二夫さんの漫画のキャラクター)みたいに写っている写真もあって傑作な写真も実はある。(また、後々ブログに上げますね。着ている服の組み合わせといい、いつの時代?という感じでユニークなんです。)

物のない時代に作られたハンバーグということでとてもシンプルに作りました。ご飯の型は、メロンをイメージ?ちょっと細長い昔のメロンパンの形したものを昔見かけた記憶があります。今回は、深皿にご飯をつめてひっくり返して丸い形にしました。添え物は、にんじんのグラッセとサヤインゲンの塩茹でとポテトフライにしました。ポテトフライはわざわざ冷凍のギザギザのものを使いました。いつもはジャガイモを皮付きで揚げるのですが、レストランの雰囲気をだすために冷凍品を使うことにしたのです。

さて、物のない時代の手作りハンバーグの雰囲気は出てるでしょうか?

レシピ紹介します。とてもシンプルなハンバーグです。
牛合挽きミンチ肉に250㌘に、牛乳カップ1/4、パン粉、塩、コショウ、たまねぎ(小さいたまねぎ1個を細かく刻ざみ、油で炒めておく)を混ぜ合わせる。パン粉を多くすれば固めのハンバーグになります。そこは好みで加減して下さい。
フライパンを良く熱し、油を引きハンバーグをいれます。中火よりやや弱めで焼き色がつくいたら、ひっくり返します。蓋をして中まで火を通します。竹串でハンバーグを刺してみて肉汁が出てきたら出来上がりです。

わざわざドミグラスソースをかけましたが、ハンバーグを焼いてフライパンに残った油にを再び火にかけ、ウスターソースを入れ煮立てます。ジュワと音がしたらすぐ火を止めて、そのソースをいつもハンバーグにかけてます。

貧乏ハンバーグの作り方
牛肉のミンチ肉に、塩、コショウしてパン粉を入れ混ぜます。水分を入れてないのでゴワゴワした感じがしますが、それを練ります。8㌢の円形で極薄ハンバーグを作ります。フライパンで両面焼きます。火も通りやすくガス代節約です。味はマクドナルドのハンバーグと似ています。買い物がめんどくさい時に発明しました。ヒロク二さんは、とっても好き。イギリスに行った気分になって食べるとOKです。わたしは、イギリスの食生活をバカにしているようでひどい人ですね。

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和紙に描いた絵2

2008-12-15 22:34:26 | Weblog

この絵は日記のようですね。野糞垂れとあるのですが、本当?謎のままにしておきます。

きのう12月14日は神戸に行きました。ヒロク二さんと、いきなり誘ってしまった点子さんとわたしの三人で、ミハル・カニュカ&伊藤ルミさんのクラシックのコンサートに行き、洋食の「あいはら」というお店で食事をして、JAMJAMというジャズ喫茶にいくと、建築家の安藤忠男氏がいきなり居られて目がばったり合ってしまったので「建築はよく拝見いたしております。」と言い、ヒロク二さんの後を追いかけたのでした。講演会の休憩時間だったらしくお客さんになれないので、別のジャズ喫茶で3人で楽しくおしゃべりしてして過ごしました。点子さんとは、お互いのブログを読んでいるうちに話をしてみたいなという思いがかなってとても楽しかった。神戸は、ルミナリエでした。
ピアニストの伊藤ルミさんは、華がある人でいつも素敵な方ですが、今回の演奏は珍しい作曲家が多く、ピアノの音も意識して変えられたのではと思いつつ聴いていました。ショスタコービッチが良かったなァと思いました。わたしが、ショスタコービッチの曲が好きなのかもしれません。


CDを買ってきてご機嫌だったヒロク二さんは、買ってきたクレパスを取り出すなりクレヨンで、ちゃぶ台に絵を描き始めアッという間に上の写真の状態に。止める時間がなかったのです。しかし、わたしは怒らない。「まあ、すごいわね。」と言いデジタルカメラを取り出し、ブログに書いてやると心の中で思うのさ。

ヒロク二さんは天気みたいな人で雲行きが悪い、つまり機嫌が悪いとわたしが決まってすることがある。「マッサージしましょ。」と言っていつも肩とかをもんであげる。すると効果ありで機嫌が良くなることが多い。猿のように怒りだしたり、ブチブチと機嫌が悪い状態を見てみぬふりする忍耐をするより、効果アリ。いい方法ではあるが、わたしをもんでくれる人はいないので、時に1000円札をつかみ、近所の良心的なマッサージ師の所へ駆け込んで、お話を聞いてもらいながら20分肩こりをほぐしてもらう。1000円で20分の時間の間、わたしの話をその間ズーと聞かないといけない。1500円の日は30分聞かないといけない。大量の話を聞きながら、肩もほぐしてくれるような方はあんまりいないと思うのだけれど、いつもにこやかに向かえてくださる。とても奇特な方だと思い、その方がいなくなったらどうしようとよく思います。

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和紙にかいた絵1

2008-12-13 23:24:52 | Weblog

ヒロク二さんが、和紙にただただ描きつけていた絵。その日、その日、にただ描いた絵。題も何もありません。いい絵を描こうという欲もなく、なにげなく描かれた絵です。

今日は京都に行っていて、たくさん書けません。お休みです。
お休みする日は、和紙の作品をこれからブログに上げようと思いました。
絵をボーと眺めてくださいね。よろしく。

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赤飯の巻

2008-12-12 16:23:05 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年12月9日(火)掲載のえ

まっ赤な赤飯。赤飯が熱いゾ。

俳優でタレントの毒蝮三太夫さんは、終戦で焼け出され神奈川の戸塚に疎開した。小学校に持っていく弁当は、麦とコーリャンを混ぜて炊いた飯だった。意地の悪いガキが「お前、赤飯じゃねえか。きょうはなんかめでていのか。」「ずっと赤飯だろ。」とはやしたてるのに頭にきた毒蝮さんは、その代わり、さも美味しそうに食べて見せた。これが最初の名演技といいます。それで悪ガキとも仲良くなったと語ります。また、後から食べた赤飯がひとしお美味しく感じると言います。

嘘をつくのは悪い事とされているが、リアリティをもった嘘というのは人を感動させる。毒蝮さんの嘘は、まずいものをいかにもおいしいそうに食べるという名演技。悪ガキどももその姿に感服したのだろう。いい小説にもそれはあてはまると思う。フィクションも素晴らしければリアリティに近づいてくる。フィクションの中のリアリティにやはり感動する。最近は、太宰治の「走れメロス」なんか日常にせまってくるときハラハラする。待つ身が辛いか、待たせるのが辛いか。すべてはヒロク二さんが原因。1人で外出するとヒロク二さんがご飯を食べてるか気になりる。また1人にして置くと機嫌が悪い。待たせる辛さです。ヒロク二さんは待つ身が辛い人になる。それが反対だと、わたしは1人で過ごす楽しい時間となり、ヒロク二さんは外出するとマメに電話を入れてくれる。家にわたしがいて電話をとる人がいるというので安心するようだ。ちょっと買い物で留守にしていると、わたしが事故にあったのではないか心配する。ヒロク二さんはとても寂しがりやでとても困った人。わたしは、家では、空耳が聞こえ、「なんか呼んだ?」とヒロク二さんによく聞く。呼んでないと言われ「あっそう。」と用事の続きをするのです。ちなみにわたしの書く文章は、ノンフィクションですので、よろしくお願いします。

赤飯を圧力鍋で作りました。
もち米2.5カップ。普通の米0.5カップ。小豆1/3カップ。ごま塩少々用意します。
米は、洗い10~12時間たっぷりの水につけておきます。夜寝る前にしました。

10~12時間水につけた米をざるに上げおいておきます。


小豆をきれいに洗い、鍋に水2カップを入れ強火で沸騰させます。沸騰すればゆで汁をすてザルに取り出します。


出来上がりの写真

圧力鍋に水を480ccと、さっと茹でたあくを抜いた小豆を入れ、強火にかけ、沸騰すれば弱火で3分煮て火を止めます。圧力鍋のつまみをゆるめすぐに圧を抜きます。ふたを開け、ざるに上げた米を入れ、圧力鍋を廻すようにゆすり、底の小豆が米の上面にくるようにします。
圧力鍋を再びセットして、沸騰すれば中火で4分炊き火を止めます。圧力のつまみをゆるめて自然放置し圧力を抜きます。木杓子で小豆を潰さないように赤飯をおこします。ごま塩をかけていただきます。
※ごまは、切りごまでなく炒りごまにしてください。赤飯には、切りごまは縁起が悪いそうです。「切る」というのが、お祝い事には良くない。

この度は、赤飯をセット致しました。ヒロク二さんに「盛り方を考えて。」といわれて。高さがあるほうが面白いかもと思い、お皿に、こんもりと盛り上げて重量感を持たせたモチーフセットにしました。南天の葉はいらないと言われてなしにしました。


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信州そばの巻

2008-12-11 15:58:07 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2007年9月18日(火)掲載のえ

信州そばが、わっせと盛られている。赤、水色、黒の雲が不思議。夕暮れです。

元主相。民主党最高顧問の羽田孜さんは、365日そばを食べてるというくらいそば好きです。JRにある立ち食いそばにはじまり、記者諸君との懇談もそば屋。政治革命論議華やかなりしころ、後藤田正春さんや伊藤正義さんらと議論したのも、そばをすすりながらといいます。いろんなそばを試したところ、川上村のそばが一番おいしいのではと語ります。

ヒロク二さん手作りのそばのためのセット。「原始人じゃあるまいし。」と、内心穏やかな気持ちになれないが、文句を言うと怒り出すから「すごい思いつきね。」と笑顔で応対します。「早く写真を撮れ。」と言われるままに写真を撮る。

「横から接地が解かるように撮れ。」と言われて撮る。
木切れはいつも溜めてあるので、これでも選んだ木。

横から撮るとますます悲惨な状態に思える。アクリル絵の具がバックにあるので色を対比させて見ていたのだろう。
しかし、人を退屈させない人だ。また、退屈が苦手な人とも言える。
食べ物の絵は、毎回、新鮮な気持ちにならないと描けないらしい。また、慣れるということがないようでいつも新鮮な気持ちにならざるを得ないみたいです。
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作品紹介5

2008-12-10 17:26:48 | Weblog

この作品は、1988年「聖と俗の混沌(カオス)」という手テーマで個展をした時の作品の一つ。色鉛筆の作品。10Fの大きさの紙に描かれている。アルトーハウスのアルトーは、詩人アントナン・アルトーのことだ。破滅的な生活を送った詩人で有名。また、美術学生や、ロック少年にアルトーの詩のファンは本当に多い。ヒロク二さんは、アンドレ・ブルトンの著書も、本に絵の具を塗って大切に手元においてある。その中にお気に入りの項目があり「ナジャ」という女の子が登場する章の話を聞かせてくれた。実在にいたのか、いないのか、はっきりしないのがシュールリアリズムらしくていい。一種のオブセッションのように感じました。美術家にオブセッションは時に大切。「アルトーハウス」という作品にも、それを感じる。現代美術家の草間彌生さんは、オブセッションだけで素晴らしい世界を形成し、見る人を脅迫してくれる。また、そこから感動が湧いたりするから不思議。ヒロク二さんは、この作品を描いたころは、精神的に辛い生活を送っていたようで、守るべきものもなく、荒れた生活をしていたようで、何とかこの絵を仕上げなければ自分がなくなるという恐怖感の中、仕上げた作品といいます。地獄へと三途の川を渡る様子とも見れる。その後、お世話になった、美術研究家の故山本芳樹氏に「先生にヤルヨ。」とあげてしまいました。美術研究家の、山本芳樹先生は気に入っておられたようですぐ貰ってくださいました。
この作品は、山本芳樹先生が存命中にコレクションされていた作品を、信濃デッサン館に寄贈されたので収められている。(無言館の方に)信濃デッサン館は、村山塊多、関根正二、松本俊介等の夭折の画家達のコレクションで有名な美術館です。
また、山本芳樹先生は、日本で一番最初にH・R・ギーガー(映画エイリアンの美術で有名)を紹介された人。その著書は「エロス幻想・わが密室を彩る画家たち」中外書房にて紹介されています。その本の表紙に、ギーガーの絵を使われている。今読んでも、とても面白い。徹底的にエロスなところが先生らしくていいのです。とてもダンディーで精神がおしゃれな方でした。


2008年の個展での作品。題は「Girl Friends」
わたしは、また「おんなの子」かと思っていたのだけれど、ヒロク二センセイに聞くと「女の形をしているけれど、特に女性を意識して描いてるわけじゃない。」という。「銃弾の跡のようなものだ!」「画面に銃弾を撃った跡の形だ。」といいました。二キ・ド・サンファールの初期の作品で、絵の具を銃に詰め、銃弾で撃ちこんだ作品を思い出しました。この頃のニキ・ド・サンファールの作品は、なにか思いつめたような緊迫感を感じる。精神の葛藤を二キ・ド・サンファールは即物的に表現した。ヒロク二センセイは、男なので観念的に表現したのか?と思いました。わたしは、包装紙になったら素敵ではないかと現実的なことを考えた。このアイデアもいいでしょう?

ロックに詳しいヒロク二さんは、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「恐怖の脳内改革」のジャケットの絵が、H・R・ギーガーだったので、山本芳樹先生に見せてあげたそうです。聴くなら「タルカス」というアルバムの方がいいと、わたしに教えてくれました。プログレだそうです。わたしは、昔、ロック通がいく小さいレコード屋に行って、大きな声で「プログレって何ですか?」と聞いて店の中にいた人達が、息を詰めたことがあり、お店の方も一瞬気が遠くなられたようでとても長い説明を受けたけれどあまり理解ができなかったことがある。近年思い出したように、ヒロク二さんに聞くと、CDをかけてくれて「こういうのがプログレ。」と教えてもらいました。やっと理解できた。「こういうの」の説明がとても難しかったのだと納得しました。通のお店では、口にされないような質問を、ついしてしまう鈍感なところがある。わたしは、恥ずかしい人生の汚点のような質問や、間違いをおびただしくしているよう。あからさまにバカにしないで、教えてくださる人はいつもとても親切です。

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ローストビーフの巻

2008-12-08 14:53:29 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年4月15日(火)掲載のえ

タコ糸がついたままの焼き上がりのローストビーフ。喰らえ!!

嘉悦大学長、千葉商科名誉学長、慶大名誉教授の加藤寛さんはローストビーフが大好物。それにはやむにやまれぬ事情があった。(第一次石油ショックの頃に)胆のう炎になり、肉を食べようなら七転八倒の苦しみ。過密スケジュールの中で切らずに直すことにしたのはいいものの、肉が食べたくてつらかったそう。ある人から「ローストビーフなら」と試してみたところ痛くならない。また、初めて食べたローストビーフとても美味しかったといいます。ローストビーフについてだけは、グルメに変身して食べ歩き、ロンドンの有名レストランにまで行ったといいます。なんと本場の味が一番まずかったと語ります。

もうすぐクリスマスです。お正月ににもぴったりのローストビーフです。
「フライパンでローストビーフ作ってみました。」
牛もも肉500㌘を室温にして、塩、あらびき黒こしょうを肉の表面全体になじませます。タコ糸で肉汁が出ないよう縛ります。1㍍ぐらいにタコ糸を切って、左手に40㌢くらいもち、左の糸を基本に右のタコ糸をひっかけて縛っていきます。
下の写真は、縛り方を思案していた失敗例。そのうえピンボケですいません。なんとかなる精神で行きましょう。

上の肉を、オリーブオイルひいたフライパンにいれ、中火で表面に焼き色をつけていきます。焼き色がつきにくいところは、はしでもちあげたりして焼き色をしっかりつける。焼きあがったらフライパンからだします。

肉を焼いていたフライパンに、たまねぎの薄切り(1/2個)にんじんの薄切り(1/2本)セロリのざく切り(1本分)を入れ弱火で軽く炒めます。その中に焼いた肉をいれ蓋をして12分~15分蒸し焼きにする。焼けているかどうか不安な方は、竹串をさして肉汁が出てきたらOKです。赤い血が出てきたらもう少し蒸します。

蒸しあがったら、牛肉を取り出してアルミホイルで全体をくるみ、さらに新聞紙にくるみそのまま冷まし、薄く切って器に盛り付けます。

にんじんのグラッセと、ふかしたじゃがいも、クレソンを飾って、グレービーソースをかけていただきます。タコ糸は切るときに取ってください。タコ糸をほどく作業は楽しいよ。
グレービーソースは、レシピどおりにしたがまずかった。煮汁は肉を蒸したときに出る汁に、ウスターソースをいれ、片栗粉でとろみをつけるというのがいい簡単でいいと思います。(他のレシピを参考にしました。)

ローストビーフを描くことがファックスで知らされるやいな、ヒロク二さんは、百貨店を巡って、100㌘の袋を三つ買ってきた。買ってきたローストビーフは薄切りされていてクニャとなり、お皿に取ってみると寂しい。料理の写真を見ると、たいてい肉の塊とともに薄く切られたローストビーフがセットで写っている。料理の知識がないせいかスゴーイ豪華な料理と思っている。それでフランス料理の本を見ている。「あなた、ローストビーフはイギリス料理よ!!」と説明しても、フランス料理の本をながめていて、死んだウサギの写真がのってるページを見て感心していたりする。「たかがイギリス料理そんなにおびえることないさ。」と言っても、フランス料理の本をながめている。「たかがイギリス料理、ローストビーフぐらい作る!!」と言ったら、やっとフランス料理の本から、顔を上げた。作ったローストビーフが焼けるや、ヒロク二センセイは、アルミホイルでつつんだ肉の塊をアトリエに持っていってしまいました。ちゃんと新聞で包みたかったです。

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バナナの巻

2008-12-06 16:30:39 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年12月2日(火)掲載のえ

ちょっとポケッとしたユーモラスなバナナの絵。

元ボクサーで、現在はタレント、俳優として活躍しているガッツ石松さん。小学生2、3年のころ学校から帰り、友だちと遊んでいたら、いいとこのおぼちゃんが、バナナをかじっていたそう。石松さんには、黄色い竹の棒のようにみえたそう。なかから出た白いものを食べてると。あんまりうまそうなので、ぶん取ろうとしたら、おぼっちゃんと奪い合いになり、ぐちゃぐちゃになった手についた破片をおぼちゃんが食べてるので、食べてみると口の中でトローッと溶け、何ともいえない甘さ。「なんだこれは。」と聞くと「バナナだ。」と。これが「バナナ」との初めての出会いだったと語ります。

このお話での、おぼちゃんもなかなかやるなと思いとても面白かった。こういうケンカを現在の子供達が出来たらいいのに、ケンカを通しての友情や、いい思い出とにつながるようなケンカ。メールでいじめとかのニュースをみると「らくしていじめ。」「面と向かっていう勇気がない。」「その上、集団でやってる、だから仲間はずれにされないよう、いじめられている子を助けれない。」すべて、じめじめしていて嫌な気持ちになる。ヒロク二さんに、その話をするといつの時代もあるという。ヒロク二さんは、バカな奴をバカにいつもしていたそう。その恨みを、運動会の騎馬戦でバカにしていた奴らが、はらそうとたくらんでいて騎馬戦の度に、ボコボコにされたそう。落ちたら終りでなくて崩れる間にむちゃくちゃ殴られたそうです。それでも、バカにすることをやめなかったせいで、中学の時は、半分ヤクザの生徒に決闘状を渡され、援軍を頼んで出かけると、相手は日本刀を持っていたのを見て、逃げの一手で逃げ切ったそうです。その環境で、どうやって勉強し、生き延びるかの知恵を働かさなくてはいけなかったといいます。バナナの話が、ケンカの話になってしまいました。ガッツ石松さんは、とても精神が健康な人だなと思っています。ガッツ石松さんの話は、聞いてるとなんか可笑しくなって、勇気が出でくる気がしません?だから人気があると思うのです。


バナナの絵を描いているヒロク二センセイ。寒くなってきたのに、集中しているのか、着ていた服を脱いでいます。制作中は、写真を撮られていても気づかない。制作中は、いつも背中姿しか写せません。色鉛筆とクレヨンを使ってました。

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三色丼の巻

2008-12-02 15:18:28 | Weblog
毎日新聞夕刊(東都都内版)2007年11月27日(火)掲載のえ

青い空と青い海と三色丼。

作家の椎名誠さんの食べた思い出は、伯母様が作った三色丼。とてもカラフルで鮮やか。お花畑のようにきれいな三色丼。食べ盛りの子供だった椎名さんは、わっしわし、わっしわしとかっ込んだといいます。色は、茶色、ピンク色、黄色と、茶色、ピンク色、白色とバリエーションがあったといいます。20代前半のころ、北海道で久しぶりに三色丼食べた時の具は、ウニ、イクラ、カニ。食べるとあざとい気がしたといいます。こんなにすごいものをドカドカのせることないじゃないかと思ったそうです。子供の頃食べた三色丼は、思い出とともにすごく大きい存在と語ります。

わたしは、ウニ(小学校の料理の授業で食べ過ぎて嫌いになった)、イクラ、カニ味噌が大嫌い。寿司屋へいくと値打ちのない人間だとつくづく関心する。お子様が寿司屋にいってるという感じ。
話は変わりますが、ヒロク二さんと家族で、かにを食べにいったときに、メニューを渡され、「なんでも好きなもの言って下さい。」と受け取って、そのメニューを見たとたん、ヒロク二さんは、急に正座して、身体はカチコチ、眉間に皺をよせて黙ってしまいた。そして、わたしに「こんな高いもの食べるのだったら、絵の具代に・・・・。」とうつむきながら言う。いつも貧乏しているわたし達のことを思って父は、チョッと高級なところに連れて行ってくれたのも確か。友好のための宴席が、とにかく食べないから、わたしを含めまわりはものすごく気をつかうことになり食べ終わったらすごくみんな疲れた顔になった。食べなければ、差し引きして絵の具代になると思ったのか?
またまた、父が寿司屋に連れて行ってくれたとき、席に座らない。静かなお寿司屋さんでゆっくりお寿司を味わっていると言う感じのお店の中で、カウンターに沿って行ったり来たり。職人さんも、わたしを含め家族も、お客さんまで、みんな落ち着かなくなった。「とにかく座って。」ときつくいうとまたまた小声で「解からないんだ。」と言う。父達も今回は2度目なので、「これ行きましょうか?」とうまく誘導してくれなんとか無事食べたと言う感じ。これからは、もっと気軽なところへと父に耳打ちした。そして、うどん屋へいった。うどん屋でおにぎり2個だけ注文していたのを知って、「せっかく美味しいうどん屋で、うどんを食べなさい!!」と言った。ヒロク二さんは、質素ながら、創意工夫した手作りの料理が一番好きみたいです。
わたしは、つくづく、気を使いながら食べるのが一番いけないと思いました。


三色丼作ってみました。茶色はアミの佃煮、ピンクはでんぶ、しらす入り入り卵。これを、ベンツのマークのようにしたつもりでしたが、ちょっといがんでいます。子供は楽しく食べると思いました。お弁当にもとり入れたらいい感じですネ。シマシマ模様にしてみても面白いなと思いました。


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肉団子鍋

2008-12-01 00:07:04 | Weblog
毎日新聞夕刊(東京都内版)2008年11月25日(火)掲載のえ

お鍋の中は、海?

漫画家の石坂啓さんの母方の親戚は戦前、日本に来た華僑という。お正月も中華料理をたくさん食べると言います。その中でもご馳走だったのは、祖母の作る「肉団子鍋」。何回もトライするうちに、やっと昔たべた祖母の味に近づいてきたと語ります。

ファックスにて、肉団子鍋のメモを受け取る。肉団子鍋は、中国式、揚げた肉団子と白菜、ユリの根、ナマコで作るということで作ってみました。


①まず肉団子を作ります。豚肉のミンチ500㌘に酒と砂糖、ショウガのすりおろしと長ネギのみじん切りを入れ、水を入れる。手でよく練って、加減を見て水を足す。さらに練る。丸めるのに限界かなというくらい柔らかくする。それを、直径5㌢程の団子にする。家では、フライパンで揚げるので直径5㌢のやや平たくした肉団子にしました。


②揚げているところ。低温でゆっくりと揚げる。新聞を読むとさっと揚げるになっていたので、アレレと思う。どっちでもうまくいくということ。揚げた肉団子をつまみ食い。柔らかくてこのまま食べてもいけるという感じ。


③中国式となっていたので、鶏ガラのスープに少し塩を入れ土鍋にうつし、煮えたら白菜、ユリの根、肉団子、最後に茹でたゴーヤを入れました。

ナマコを入手するつもりでしたが、乾燥ナマコというのは、戻すのに1週間~10日かかるらしくすでに時間切れだったので、いろいろ考えた末「ゴーヤ」がナマコに似ていることを思いつき、暫し「わたしって賢い!!」と悦に浸っていたところ、近所の奥さんから「ゴーヤをさっと茹でておくと苦くならないよ。」とアドバイスを頂く。ヒロク二センセイには、ナマコのあらゆる写真10ページぐらい渡し、色は違うけど基本の形は似ているから、「ナマコは黒く、ゴーヤは緑。」とリズムをつけてアドバイス。
ナマコは結婚式に行ったとき、中華料理で食べた記憶がよみがえってきた。クニャクニャした食感で、ナマコを全く知らなかったから食べれたんだと思う。おいいしいなと思ってナマコばかり選んで食べた。20代で若かったせいもあるけれど、珍しい料理がいっぱいあって結婚式より、良く食べた記憶しかない。誰の結婚式だったか思いだせないのです。すいません。
ともかく、ナマコは高価な食べ物なので、この度は、ゴーヤで代替というアイデアは、良かったなと満足してます。

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