紀州田辺の旅
田辺は植芝盛平、大先生の生誕の地である。そしてまた現在、大先生はこの田辺の高山寺に眠っておられる。
田辺駅に到着、早速その高山寺を訪ねた。当地で合気道の道場を開いておられる五味田聖二師範が私たち一行を迎えてくれた。
私たちは大先生のお墓に案内された。大先生のお墓は正面の一番奥にあった。 お墓の右隣に「植芝盛平翁之碑」と刻まれた石碑が建っていた。それは2メート ルはあった。
卒塔婆を立て、私たちは持参の花束を供えて、一人ひとり線香を上げた。大先生のお墓を前にして、それぞれの胸に去来したものは何だったろうか。
その後、高山寺の境内にある道場で大先生のフィルムを観せてもらった。昭和30年頃に岩間の道場、そして旧本部道場で撮ったフィルムであるという。吉祥丸先生や田中万川先生、岩間の合気神社を守っておられる斉藤守弘先生、それに藤平光一先生の顔が見られた。何十年ほども前のフィルムであるからして、皆、 お若い。
大先生の動きは、速い、それがまた不思議な速さである。いつ動いたのか分からないのである。いつの間にやら、剣先が相手の喉元に来ている。
何より印象に残ったのが、大先生の目である。鋭い光が出ている。しかし、人を威圧するような鋭さではない。その光は澄んでいる。
当時の稽古風景にも興味があった。私たちが日頃している稽古と全く同じものが映っていた。それは、何十年ほども前のフィルムであることを忘れさせた。と同時に、自分たちのやっている稽古に確信が持てた。
フィルムを見た後、五味田先生は私たちを市の運動公園に案内してくれた。そこには「合氣道」と刻まれた碑があった。碑を囲むようにして、蘇鉄の木が植えられていた。碑に囲まれている「合氣道」の文字は大先生のそれで、その部分は白く塗られていた。その白さが和歌山の空の青さによく似合った。田辺に着いとき曇っていた空も、いつの間にか晴れていた。
大先生の生家にも案内された。瓦屋根の二階屋で、すぐ後に山が迫っている。 何でも、吉祥丸先生の姉上が生まれたときに改修されて、それが今に残っているという。驚いたことに、現在も人が住んでいる。合気道の創始者の家であるという立札も何も立っていない。知らされなければ、誰も気付かないであろう。ごく普通の家である。それが自然で、よかった。
一通り案内してもらった後で、五味田先生を囲んで、昼食を共にした。五味先生は「いい加減な稽古をしないように」と言われた。つまり、受けをとる者がしっかりと握り、しっかりと正確に打っていくべきであると、これは日頃の稽古でもいわれていることである。いい加減な稽古をしていると、そのいい加減さが身についてしまう。一度身についたものを後で改めるのは難しい。
田辺の道場では週三回、稽古をしているという。そのうち一回は剣と杖をしているとのことであった。
そして、私たちは田辺を後にした。私たちは五味田先生に対する感謝でいっぱいだった。田辺に行ってよかった。そして今度行くときは、是非道着を持って行きたいものだ、という声が誰ともなく出た。
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