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武産通信

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京言葉の真相を探る

2018年06月10日 | Weblog
 京言葉はいうまでもなく一方言ではない。公家や町衆そして花街だけの言葉でもない。京言葉の担い手として忘れ去られがちな武家や武士に焦点をあて、日本語の根幹であり、中央語であり続けた京言葉の実像とは。 (京都学園大学教授・丸田博之『京言葉の真相を探る』講演録)

 桓武天皇の平安京遷都から登場する武士。武士とは、もともと朝廷に武芸をもって仕え、滝口の武者のように宮中の警備や貴族の身辺警護、都の警備などをする武官を指していた。かれら武士は、やがて臣籍降下(皇族がその身分を離れて臣下の籍に降りること)により、天皇の血筋を引く桓武平氏(第50代桓武天皇の系統)と清和源氏(第56代清和天皇の系統)を棟梁と仰ぐようになり、その結果、源平両氏は地方武士団を広く組織した武家(軍事貴族)を形成した。
 京の都に東山文化が華開いた室町時代。そして、戦国大名が跋扈し、織田信長、豊臣秀吉が天下取りで京を目指す。その後、江戸幕府が開かれても京の朝廷は変わることなく、京を中心とした歴史を築くこととなる。

 武家の言葉こそ京言葉である。
 巷間知られている武家言葉を、式亭三馬の『狂言田舎操』や、イエズス会版の『日葡辞書』、ジョアン・ロドリゲスの『日本大文典』ほか、源氏物語、観世流『大蔵虎明本』などから読み解く。
 式亭三馬の『狂言田舎操』にある江戸時代後期の京の話し言葉。
   これは又ほんの事たが。何の國でも及ばねへとだ。「然様然者(さようしからば)。如何いたして此様仕(かやうつかまつ)りましてござる。」などといふ所は、志やんとして立派で。はなやかで。實(げに)も吾嬬男(あづまおとこ)はづかしくねへの。京女郎(きゃうぢょらう)と対句になる筈さ。
 イエズス会版の『日葡辞書』から室町時代の京言葉を知ることができる。辞書にはポルトガル語で約32,000語が収録されている。
   Catajiqenai. (かたじけない) 謝意を表する言葉。お礼の言葉。
   Tauake. (たわけ) 愚か者。馬鹿になる。
   Vtcuqe. (うつけ)
   Xexxa. (拙者)
 ジョアン・ロドリゲスの『日本大文典』からは、安土桃山時代から江戸時代初期の京言葉を知ることができる。ロドリゲスは豊臣秀吉や徳川家康の通訳を務める。
   有る、在るの意を示すもの。
     Aru. (ある)
     Vogiaru. (おじゃる)
     Yru. (居る)
     Gozaru. (御座る)
     Naru. (なる)
     Maximasu. (まします)
     Vouaximasu. (おはします)
     Voriaru. (おりゃる)
   であるの意を示すもの。
     Nitearu. (にてある)
     De aru. (である)
     De ogiaru. (でおぢゃる)
     Nite gozaru. (にて御座る)
     De voriaru. (でおりゃる)
     Nite maximasu. (にてまします)
     Nite vouaximasu. (にておはします)
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