武産通信

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五味田聖二師範(2)

2012年01月28日 | Weblog
 合気ニュース [会見] 五味田聖二 田辺道場長に聞く

昭和28年に合気道を始め、田辺道場長として後進の指導にあたる五味田聖二師範。
昭和20年代から度々田辺を訪れた開祖から指導を受けた五味田師範が合気道開祖 植芝盛平を語る。

取材/編集部  2002年8月3日 田辺道場にて


―― 開祖の初めての印象といいますと。

五味田  ものすごくほがらかな人なんですよ。見た感じは、当時70代だったでしょ。怖いという感じではなかったですね。当時、鈴木新五郎さんという相撲をしている人がいて年は大先生より若くてごつい大きな人だったんですが開祖に掛かっていったと思ったらタンタンと投げ飛ばされたと聞いています。開祖は、晩年田辺に来ると、よくその人たちの所に行ってましたね。

――当時はどんな稽古でしたか。

五味田  力を目一杯入れた稽古をしましたね。流す稽古はほとんどしませんでした。廣田先生は戦前のお弟子さんですからきつかったですね。当時は道場等も少なく神社の境内等でもやりましたよ。剣杖をやる時は野外でいいんですけど受けの時の砂利の上は、それは痛かったですよ。夜は真っ暗になるまで稽古をしましたから、つらかったですよ。

それから、廣田先生は内弟子ではいっていましたから、大先生の動きで今何がしたいかまで敏感に悟っておられたと思います。大先生が立ち上がると、何処へ行くか先によんで、障子を開けたりとかそのくらいのことをやっておられました。

―― 廣田先生が剣杖を教えてられたのですか。

五味田  そうです。廣田先生は内弟子時代、大先生の剣や杖の受けをよくされていましたからね。大先生が田辺へ来られたときは、廣田先生が受けをされていました。大先生が来られると、みんなの前で技をされるでしょ、それで、今度はみんなでする。

質問したいのですが、聞きに行くと、「わからんか?そうか!」と言われて、別の技をされるんですよ。ほんまに聞きにくうて(笑)。逆に聞きに行かないと、座り技の一教だったら一教ばっかりやらされるんです(笑)。四方投げだったら四方投げばっかりとか(笑)。もう、そんなことばかりだったのです。

それで、これを覚えておきなさいと言われて、大先生は田辺を去られる。3、4ヶ月くらい経って大先生が来られたとき、その技をやっていると「爺は、そんなことを教えていない」と言われるんですよ(笑)。

――ぜんぜん技が違うんですか。

五味田  違うんです。四方投げでも全部同じなんですけど今日やった技と、明日やるのは技が変わってなかったら進歩がないと、よく大先生に言われたんですよ。だから先輩たちは大先生の言葉を理解するのに苦しんでいました。


<五味田聖二(ごみた せいじ)師範 プロフィール>

昭和15年11月、和歌山県田辺市に生まれる。
昭和28年、合気道を始める。
昭和44年、5段になってから高山寺にあった田辺道場で指導を開始。
昭和56年4月、合気道田辺道場開設。鉄骨造り二階建、百畳敷きの大道場がある。(写真)
田辺道場は稲成本部道場以外に、高山寺道場、目良道場、南部道場、白浜道場、富田道場、日高武道館道場がある。
合気会八段。田辺道場道場長、和歌山県合気道連盟副理事、植芝盛平翁顕彰会理事を兼任。

                                          (どう出版案内より転載させていただきました)

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