梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

松の廊下と言えば…?

2006年10月11日 | 芝居
『元禄忠臣蔵』の第一作目となる「江戸城の刃傷」では、京都よりの勅使饗応の日が舞台となっているということもあり、<長裃>や<大紋>という、いわゆる<礼服>を着た者が多く登場いたします。
<長裃>は、普通の裃装束の、袴の丈が長くなったもの、<大紋>は、上半身が広袖になり、大きく自家の家紋を染め抜いたもので(これが大紋の名称の由来)、やはり袴は丈長となります。
このように、いずれも<長袴>を着用するのが共通点ですが、その丈は六尺余もありましょうか。歌舞伎では、見た目をよくするため、史実よりかはいくぶん長めになっているようです。いずれにしても、儀式性を重視した、ある意味機能性を無視した作りとなっております。

さて、どんな演目でも、衣裳の着付けは楽屋で行うのが通例ですが、長袴を着る俳優は、着付け終了後は自分の部屋から舞台まで、長袴をズルズル引きずって移動しているのでしょうか? いえいえ、決してそうではございません。楽屋廊下、あるいは舞台裏などは、けっして塵ひとつ落ちていない綺麗な環境というわけではございませんから、そのままに歩いてしまうと、大切な衣裳を汚したり、ともすれば破ってしまったりするおそれがあります。そこで、長袴をはいた役者は、出番前には自分の手で袴の裾をグイグイたくし上げて、足を出して移動いたします。これが以外と手間のかかる作業でして、引きずらないように裾をたくすと、ずいぶんとカサが張りますし、裾を持つだけで両手が塞がってしまい自由が利きません。まだしも出番前なら余裕をもって準備できますが、出番を終えてひっこんだ後などは、追い立てられるようにまくし上げて立ち去らねばならず、なんともせわしないものです。

とはいえ、こうした事例は、名題部屋、名題下部屋の場合のみでございます。幹部俳優さんは、それぞれ個別に担当する衣裳方さんがいらっしゃいますから、長袴以外の衣裳を楽屋で着付け、残る袴は開幕前の舞台上とか、出番直前の舞台裏ですとか、登場する場面にごく近い場所で、別個に着付けをすることがほとんどなんです。衣裳を必要以上に汚さない、たくし上げて移動する手間を省く工夫なわけですが、名題俳優さんや名題下俳優は、個人個人で担当して頂く衣裳方をもちませんから(常に数人で、部屋全体の着付け作業をして頂いております)、そうした作業は不可能なのですね。

今月師匠も、<江戸城内松の御廊下>第二場で<大紋>姿で登場しますが、やはり開幕直前に、舞台裏で長袴をはいております。また、同じ場面でいったん引っ込み、<長裃>に装束を改めて出てきますが、これは舞台上手に<拵え場>をつくって、短時間での着替えをしております。

ちなみに<長袴>は、慣れないうちは歩くのも難しいです。ともすれば裾を自分で踏んでしまったり、引っ掛かったり、袴の中で足が突っ張ってしまい、思うように進めないんです。<足を前方へ蹴り出すように>歩くといいといわれておりますが、まあやってみなくてはわからない世界です。私は<歌舞伎フォーラム公演>での『棒しばり』大名役で、いきなり長袴で踊るという経験をさせていただいたものですから、そのあとの勉強会での『十種香』武田勝頼役での裾さばきが、だいぶ楽でした。普段ひんぱんに着るというものではございませんから、着ることができた時は、是非とも動き方の稽古をしておきたい、<勉強になる>衣裳でございます。