梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

観ているだけでも楽しかったです

2006年10月15日 | 芝居
昨日は更新できず失礼いたしました。
終演後に、名題下を中心としたサッカー部と、国立劇場のスタッフさん(主に操作盤という部署の方々)とのフットサルの試合がありまして、一観客、および写真班として参加させて頂きました。
永田町の全共連ビルの屋上に、フットサルコートがあるなんてちっとも知りませんでしたが、午後七時から二時間、十分間ずつの試合をほとんど休憩なしでぶっ通し(メンバーの交代はありますよ、もちろん)。皆さん体力がありますね~。私など、中学時代の体育の時間で、他のみんなが三十秒でクリアできる<ジグザグドリブルでのコース往復>に、五分近くかかってしまったくらい、球が苦手、嫌い、恐いものですから、皆さんの鮮やかなボールさばき、連係プレーにはほとんど尊敬に近い感情を抱きました。メンバーには、高校でサッカー部に所属していたなど、こんなのお手のものといった人も多く、ユニフォーム姿もきまってます。実は私もサッカー部の皆さんが、最初のユニフォームを誂えたときに、「君も作ったら」といわれて、部員ではないのにも関わらず、名前入りのを持っておりまして、昨日は折角でしたから着てゆきました。でもどうも私が着るとただの<ネマキ>にしか見えないのが悲しいところでして…。しょせんスポーツのニンではないということでしょう。
勝負は、役者チームの快勝でした。

さて、昨日の公演中に、はやくも来月のかつら合わせがございました。まだ正式に、配役を通知する手紙が送られておりませんので、ここにお役を発表することは控えさせて頂きますが、衣裳さん床山さん鬘屋さんに、総配役を記した<附帳>が渡されるのは、我々への通知より先になります(なにしろ<仕込み>作業をすぐにでも行わなければなりませんからね)から、実は、かつら合わせで自分のお役を知ることも多いのです。しかしながら、急遽の変更、追加もままございますから、あくまで正式な通知があるまでは、自分のお役は決定されていないということは、ご了承下さいませ。

本日<中日>! ついに折り返しです。なかなか緊張との付き合い方がうまくなりませんが、ほんの少し、ゆとりもできてきたかなというところです。言いにくかったところも、何度も繰り返してきたので、口が慣れてきました。かえって、これまで気がつかなかった語句に課題も見つかったりします。とはいえ、悩みながら、考えながら台詞は喋れませんから、勢いと集中力で乗り切らなくては! 

今晩は友人と遊びに行くので夜の更新ができないと思い、ちょっと早起きできた朝のうちに、この記事を書きました。

出どころは様々

2006年10月13日 | 芝居
今月の『元禄忠臣蔵』をご覧になった方は、お気づきかと存じますが、今回の上演では、三味線音楽が一切使われません。というより、<鳴物>さんたちしか、黒御簾の中にいないと考えてくださってもかまわないというくらいで、新歌舞伎だから、といってしまえばそうなのかもしれませんが、非常に珍しいことだと思います。<鳴物>にしても、「第二の使者」での<鐘>と、「最後の大評定」での<時の太鼓>ぐらいなもの。笛方さんは朝の開場時の<着到>、各幕の終幕での<シャギリ>のためだけに出勤くださっているのですよ。

かわって各場で多用されているのが、音響さんの操作による録音された効果音。侍たちの騒ぎ声、小坊主の触れ声、時計の音、フクロウやトンビの鳴き声、などなど。あえてリアルな音を使うことで、臨場感や下座音楽では出しにくい雰囲気を作り出しております。
面白いのは、録音ではない生音による効果音も、いくつか使われていることで、例えば「最後の大評定」の<大石内蔵助屋敷玄関>での、ピチチチチ…という小鳥のさえずりや、<赤穂城大手御門外>で、門扉が開くときのギギギギギーッという音は、それぞれ専用の道具を使って、舞台裏で人の手によって作り出しております。
国立劇場の本公演では、こうした生音の効果音も、基本的に国立劇場の音響さんが担当いたします(歌舞伎座や他劇場では役者(多くは主演者の弟子)の仕事)が、こうして下座、録音、生音と、用途に応じて使い分けているのが、面白いですね。

これからご覧になる方は、是非是非聴き比べて下さいね。


折り返しまであと少し

2006年10月12日 | 芝居
昨日の記事に関しまして、少し補足をさせて頂きます。
出番の直前に楽屋以外の場所で着付けをするのは、<長袴>に限りません。傾城役の<打掛>や、平安風俗の<十二単>なども、舞台上や舞台裏で着ることがほとんどです。ようは、先に着てしまうと移動が困難になるような衣裳が、後回しになると考えてください。
また、着付け作業をする場所は、当然ながら汚れていてはいけません。じかの舞台はどうしてもホコリなどの汚れがついてしまっているので衣裳を汚しかねませんから、<上敷(じょうしき)>と呼ばれる長いゴザ状のものを敷いて、その上で作業をいたします。ただし、舞台装置として既に上敷が敷かれている場面(御殿、屋敷内など)、あるいは<地がすり>という、地面を表す灰色の布が敷いてあるときは、わざわざ拵え用に敷くことはございません。今月の内匠頭でいえば、開演前、舞台裏にすでに設営された第二場の装置の中で長袴をはくのですが、この場は一面に<上敷>が敷かれているので、何も準備する必要はなし。むしろいったん上手に引っ込んでからの着替え作業のために、この場の書き割りの裏に<上敷>を敷き、姿見を置いて<拵え場>を作っているというわけです。

…さて、今月の踊りの稽古も今日で終了。『浮かれ坊主』は<チョボクレ>のくだりを終え、次なる<混ぜこぜ踊り>の冒頭まで進んでひと区切りをつけました。これからは大間でゆったり、そして味わいたっぷりに見せなくてはならない箇所となりますので、今までとはまた違った苦労をしなくてはなりませんが、とりあえずは、来月のお稽古までに、覚えた振りを行方不明にしないよう気をつけねば…。

お陰様で、申し次ぎ役もだんだんと落ち着いてまいりました。過度の緊張はやっぱりよくありませんね。いい意味で開き直って、<伝える>ことを第一に、冷静に取り組んでいければ一番よいのですが…。散り花のために<簀の子>に上がり、キッカケを待つ間も、ついつい台詞を喰ってしまう(確認する)小心者でございます。

松の廊下と言えば…?

2006年10月11日 | 芝居
『元禄忠臣蔵』の第一作目となる「江戸城の刃傷」では、京都よりの勅使饗応の日が舞台となっているということもあり、<長裃>や<大紋>という、いわゆる<礼服>を着た者が多く登場いたします。
<長裃>は、普通の裃装束の、袴の丈が長くなったもの、<大紋>は、上半身が広袖になり、大きく自家の家紋を染め抜いたもので(これが大紋の名称の由来)、やはり袴は丈長となります。
このように、いずれも<長袴>を着用するのが共通点ですが、その丈は六尺余もありましょうか。歌舞伎では、見た目をよくするため、史実よりかはいくぶん長めになっているようです。いずれにしても、儀式性を重視した、ある意味機能性を無視した作りとなっております。

さて、どんな演目でも、衣裳の着付けは楽屋で行うのが通例ですが、長袴を着る俳優は、着付け終了後は自分の部屋から舞台まで、長袴をズルズル引きずって移動しているのでしょうか? いえいえ、決してそうではございません。楽屋廊下、あるいは舞台裏などは、けっして塵ひとつ落ちていない綺麗な環境というわけではございませんから、そのままに歩いてしまうと、大切な衣裳を汚したり、ともすれば破ってしまったりするおそれがあります。そこで、長袴をはいた役者は、出番前には自分の手で袴の裾をグイグイたくし上げて、足を出して移動いたします。これが以外と手間のかかる作業でして、引きずらないように裾をたくすと、ずいぶんとカサが張りますし、裾を持つだけで両手が塞がってしまい自由が利きません。まだしも出番前なら余裕をもって準備できますが、出番を終えてひっこんだ後などは、追い立てられるようにまくし上げて立ち去らねばならず、なんともせわしないものです。

とはいえ、こうした事例は、名題部屋、名題下部屋の場合のみでございます。幹部俳優さんは、それぞれ個別に担当する衣裳方さんがいらっしゃいますから、長袴以外の衣裳を楽屋で着付け、残る袴は開幕前の舞台上とか、出番直前の舞台裏ですとか、登場する場面にごく近い場所で、別個に着付けをすることがほとんどなんです。衣裳を必要以上に汚さない、たくし上げて移動する手間を省く工夫なわけですが、名題俳優さんや名題下俳優は、個人個人で担当して頂く衣裳方をもちませんから(常に数人で、部屋全体の着付け作業をして頂いております)、そうした作業は不可能なのですね。

今月師匠も、<江戸城内松の御廊下>第二場で<大紋>姿で登場しますが、やはり開幕直前に、舞台裏で長袴をはいております。また、同じ場面でいったん引っ込み、<長裃>に装束を改めて出てきますが、これは舞台上手に<拵え場>をつくって、短時間での着替えをしております。

ちなみに<長袴>は、慣れないうちは歩くのも難しいです。ともすれば裾を自分で踏んでしまったり、引っ掛かったり、袴の中で足が突っ張ってしまい、思うように進めないんです。<足を前方へ蹴り出すように>歩くといいといわれておりますが、まあやってみなくてはわからない世界です。私は<歌舞伎フォーラム公演>での『棒しばり』大名役で、いきなり長袴で踊るという経験をさせていただいたものですから、そのあとの勉強会での『十種香』武田勝頼役での裾さばきが、だいぶ楽でした。普段ひんぱんに着るというものではございませんから、着ることができた時は、是非とも動き方の稽古をしておきたい、<勉強になる>衣裳でございます。

男、裸でなァ…

2006年10月10日 | 芝居
踊りのお稽古も三日目。『浮かれ坊主』は最初の見せ場<チョボクレ>の中途まで進みました。
おどけた振りが多く、稽古させて頂いていても、とっても面白いのですが、その日はじめて教わるところを覚えるのが、どうにも大変。勘十郎師が前に立って踊ってくださるのについていくわけですが、手の動きばかり見ていると足さばきがわからなくなるし、足もとに気を取られているうちに手振りがアヤシくなってしまいます。三味線にあてるところ、間拍子、顔、体の向き…。いっぺんに覚えなくてはならないことが多いのでついついカッカカッカ、興奮してしまいますが、勘十郎師はすっかりお見通しで、連日「落ち着いて~」と言われております。ウーム、ここが一番辛抱どころ、冷や汗脂汗をかかないで踊れるまでにはまだまだ数をこなさねばなりません! でもやっぱり踊りは楽しいな。運動が苦手な分、踊りで体を動かすのが、私にとっては大切な時間です。余計なことを考えずに、ぐっと集中できますし、変な話ですが、イヤなこと辛いこと、悩みや不安も解消できるんですよね…。
来月もお稽古に通えると思うので、どれだけ先へ進めるか、ひとつ頑張ってみようと思います。

今日はごくごく短文にて失礼いたします。


運命の時に臨んで

2006年10月09日 | 芝居
当月の『元禄忠臣蔵 第一部』の大詰「最後の大評定」の<赤穂城内黒書院の場>は、城明け渡しの刻限を間近に控え、おのれの進退を問う藩士大勢と、大石内蔵助との切迫したやりとりが見どころとなります。
大石の本心が打ち明けられるまでは、「あくまで篭城」「殿(内匠頭)のあとを追って殉死」「吉良への復讐を」と、諸士たちの考えは未だまとまってはおりませんが、実は、銘々の衣裳に、いずれもがすでに<死>を覚悟していることが、表現されているんです。

まず目につきますのは、水浅葱の無紋の裃(水裃と呼んでおります)、白小袖という拵えの者数名の存在。これなどはいわゆる<死装束>ですから、(ああ、この人たちは殉死する覚悟なんだな)とご想像がつくでしょう。真山氏のト書きでも、この拵えの者は「中に気早なるもの」と表現されています。
しかし、大半の諸士は、普段通りの麻裃に、色みのある羽二重地の着物の者ばかり。では彼らのどこに死の覚悟が? ということになりますが、実は銘々の<襦袢>が純白のものになっており、ことあらば着物を肌脱ぎして、いつでも潔く死ぬことができるようになっているというわけです。
普通諸士の襦袢は納戸色や紺色、かつ色(青)の襟、袖色となるところ。今月上演の他の場面では皆そのようになっております。この場に限って白襟、白袖のものにしているということは、お客様からはすぐにはわからないかもしれませんが、襟もとにご注目頂ければ、ご確認できると思います。

<白>という色に対して古人が抱いた清浄、神聖、無垢といったイメージは、今も私たちの意識に浸透していると思いますが、私など、今月はたまたま<死装束組み>の一員なので水裃を着ておりますけれど、変な表現かもしれませんが、心がひきしまるというか、何かが起こる…! という気持ちがわいてくるから不思議です。
ちなみに水裃を着たときは、足袋ははかないのがお決まりですので、素足で出ております。普通の麻裃の面々は白足袋をはいております。

こんな一日があっても

2006年10月08日 | 芝居
今日から五日間、日本舞踊のお稽古です。春以来、出番の都合で時間がとれなかったり、私事が重なったこともあり、ずいぶんご無沙汰をしてしまいました。今月は久々に松濤のお稽古場通いができるので嬉しいです。
『景清』は無事あげることができましたので、今日からは清元『浮かれ坊主』を教えて頂くことになりました。度々拝見しているものですし、大好きな曲でしたので、勉強できるのが本当に有難いのですが、のっけからトントン運んでゆく振りが続くので、ついてゆくのが大変でした。早く勘を取り戻さなくては!

稽古後は、思い立って浅草へ出ました。侮りがたいネタの新鮮さと、活気あるお店の雰囲気が楽しい「日向丸」で食事をし、浅草演芸ホールの上席夜の部、最後の一時間を飛び込みで拝見。寄席も久しぶりです。…CDの売れ行きも好調な、俗曲界の新星、桧山うめ吉さんの唄を初めて聴きましたが、なんとも綺麗な歌声で品も良く、容姿も日本髪がよく似合う、若手には珍しい独特の雰囲気の持ち主。味とかハリが加わってくれば恐いものなしでしょう。これから注目です。落語は三遊亭遊三師匠の『酔っぱらい』に三遊亭遊吉師匠の『井戸の茶碗』。遊吉師匠のすっとぼけた話し振り、軽みと洒落っ気に引き込まれました。
寄席がはねた後は、ぶらぶら西浅草を探索しながら歩いて帰宅。あちこちに縄のれん、赤提灯を見つけて、思わず「ごめんください」と扉を開けそうになることしばしばでした。

このところ、日本酒を呑むことが多くなりました。とくに福島の「奈良萬」冷やおろし。その風味にはすっかり惚れ込んでしまいました。「獺祭(だっさい)」も個性的な味ですよね。おすすめの銘柄、是非是非お教え下さいませ。

武家奉公もいろいろ

2006年10月07日 | 芝居
『元禄忠臣蔵』第四幕第三場で、私は<大石の若党>を勤めさせて頂いております。
自らの屋敷から、登城するために出立する大石内蔵助に付き従い、荷物を持って出てくるというお役です。同じように内蔵助に従うお役で<大石の中間(ちゅうげん)>も二人出てまいりますが、ついこの前、「<若党>って、結局ナンなの?」という仲間からの疑問の声がございました。そういえば歌舞伎の諸狂言に出てくる役名として<若党><中間><近習><小姓><諸士>といったものがございますが、それぞれが一体どのような身分のものなのか知らないままに打ち過ごして来てしまったことに気がつかされました。そこでにわかに資料をあさり、調べた結果を、不十分かもしれませんが、ご報告させて頂きます。

まず今月私が演じております<若党>ですが、これはいちおう武士の身分を与えられていたようですが、ごくごく下級の立場で、あくまでも奉公人扱いだったようですね。ときには平民(当時の身分制度としての)からも雇い入れたこともあったようで、そういう場合は一代限りで苗字を名乗らせたそうです。士分とはいいながら、刀の二本差しは許されず、大刀一本のみの帯刀が定められておりました。
職務としては主人の供や行列の先触れ、屋敷の門番、警護など。<足軽>とほぼ同義と考えてよいようです。

<中間>は士分扱いではありません。一奉公人として、主人の草履持ち、槍持ち、駕篭かき、庭掃除に畑仕事などを勤めました。<渡り中間>といって、口入れ屋の差配で、多数の武家を渡り歩いていた者も多かったようです。多くは博打などの遊び好き、素行の悪い者ばかりで、<折助(おりすけ)>とか<さんぴん(「三」両「一」人扶持の給与からきた)>などの蔑称もありました。<小者(こもの)>もほぼ同義の身分です。

<近習>は主人のそば近くに使える立場の者で、純然たる士分です。<小姓>も似たような立場なのですが、<小姓>の方がより細々とした任務を勤めていたそうです。歌舞伎での<小姓>は多く前髪立ちの若い拵えになりますね。

<諸士>は役職名ではないようですね。「侍大勢」といったニュアンスの言葉と考えてください。そういえば、侍が大人数登場する演目のときしか、<諸士>という役名は使われませんね。

この他大名家での<家老>と同じような職分の<用人(ようにん)>、多くは農家の出で、薪割りとか水汲み、飯炊きなどをこなした<下男>などが、歌舞伎の役名としてでてくる名称でしょうか(<下男>も同じ第四幕に登場いたします)。個々の仕事の内容につきましては、時代により、また藩によっても差異があるようですのでご了承下さい。より詳しいことがわかりましたら、その都度ご報告いたします。

こうしたことがわかってから、改めて今回の<若党>の扮装をみてみますと、確かに小道具も脇差し一本のみ。鬘も、武士のものとは<髱(たぼ。後頭部で髪を膨らませた部分)>の形が違い、やや町人のものと近い形状になっていました。衣裳も木綿紬の質素なものですし、紋もついていません。役によって衣裳、鬘が変わるのは歌舞伎の定式ですが、改めて、実に理屈にかなっていることを確認しました。
<中間>がさしている刀も、当時の決まり通り木刀なんです。金具がつけられて、一見普通の刀に見えるかもしれませんが、これはあくまで見せかけ。士分でないものは、帯刀は許されなかったわけです。

ちなみに私は、手に紫の大袱紗で包んだ荷物を携えて登場いたしますが、これは真山青果氏の台本のト書き、「(前略)若党の一人は諸帳簿を入れた手文庫を持つ。」に従っているものです。

心の中で数える<間>

2006年10月06日 | 芝居
今月<散り花>をさせて頂いていることは以前お伝えいたしましたが、舞台装置の都合で、私がいる<簀の子>からは、肝心の師匠演じる浅野内匠頭の演技がまるっきり見えません。舞台稽古以来、お囃子さんの<鐘の音>をキッカケとして降らせることにいたしておりましたが、本日師匠から、もう少し早く降らせてほしいとの注文を頂きました。
細かい話になってしまいますが、舞台上の段取りとしましては、内匠頭が辞世を書き記すため、まず文台にのっている硯で墨をする。すりおわったら紙をとり、続いて筆をとりあげ墨をつける。そしておもむろに空を見上げて思案し、静かに紙と筆を持った両手を膝の上におろし、やがてゆっくりと辞世を書き出す…というものです。鐘の音を聞かせるのは、紙と筆を持った両手を下ろすのがキッカケで、当初はこの鐘を聞いてから散らし始めていたのです。これを新たに、空を見上げたときにはすでに散り始めているようにしたいとのことでございますが、最前申し上げましたように、そうした演者の動きは全く<見えない>のでございます。
師匠も、私の居場所からは動きが全く見えないということはご了解くださっておりましたので、では直前の台詞の言い終わりから、間(ま)をカウントしてやってみようというご指示を頂きました。内匠頭が硯の墨をすり始める前に、兄弟子の梅蔵さん演じます、牟岐(むぎ)平右衛門が「かしこまりました」という台詞を言います。この台詞を言い終わってから、師匠が空を見上げる仕草をするまで、どれくらいの時間がかかるか、師匠ご自身がお考えになって、「ゆっくり十数えたくらいで」降らせれば丁度いいだろうということになりました。

いざ本番となりまして、師匠のおっしゃった通りに、ゆっくり十数えて、チラチラチラ…。ストップウォッチで計るわけでなし、師匠の考える十と、私の十は違うかもしれない。カウントが正しいのか否かは、恐ろしいことにその場では確かめられないのです。(大丈夫だったかな)と不安になりながらの作業となりましたが、終演後お伺いいたしましたら、問題なしとのことで、ホッと一安心いたしましたが、感覚一つで勝負することになってしまいましたので、やや難しい仕事になってしまいましたね。
幕切れ近く、もう一回花を降らせる場面がございますが、このときは師匠が屋体内から縁先に出ていらっしゃいますので、お召しになっている袴の裾がわずかながら見えますし、相対する片岡源五右衛門役の萬屋(信二郎)さんが庭先にいらっしゃり、こちらのお姿はしっかりと見えますので、萬屋さんの動きや表情でも、おおよそのキッカケがつかめるので、それほど難儀はいたしません。

内匠頭に、あの「風さそう 花よりもなお…」の歌を詠ませるキッカケとなる落花ですので、<絵心>に降らせるよう気をつけております。ハラハラと散るのか、チラチラと降るのか、そんなニュアンスの違いも、場面にあわせて表現しわけることができたらいいのですが。



今夜は渋谷で

2006年10月05日 | 芝居
今日は仲間たちと渋谷で食事をしてきましたので、更新が遅くなりました。
全員が揃うまでの腹つなぎ、というわけでもありませんが、NHKホールのそばの、ガレットとクレープのお店<オ・タン・ジャディス>にはじめて入りましたが、具の新鮮さ、素朴な味わいもさることながら、生地のうまさをしっかりと感じさせる、まさに手作りのクレープにはいっぺんで惚れ込んでしまいました。お店の雰囲気といい、メニューの豊富さ、あたたかなもてなし。素敵な時間を過ごすことができて嬉しかったです。
藤間御宗家稽古場と、渋谷駅との間以外の行き来はめったにしない私ですが、今日はずいぶん初めての道を歩きました。色々発見があって、面白かったですが、やはりあの人出には参ります…。

舞台の方は本日も大入り。申し次ぎの台詞も昨日よりテンポを落とすことができました。この調子で油断せず頑張ります。
今日はごく短文で失礼いたしますが、明日からは、『元禄忠臣蔵』あれこれ、お伝えいたしたいと思います。しかしこと新歌舞伎に限りましては、これぞ歌舞伎、というようなエピソードがなかなか見つかりませんもので…。皆様からのご質問にお答えする場(私の立場で返答できる範囲で)も、もうけたいと考えております。お尋ねになりたいことなどございましたら、なんなりと当方まで。

まずは無事に

2006年10月04日 | 芝居
本日『元禄忠臣蔵 第一部』の初日。お客様の入りも大変良く、反応も上々。好スタートを切りました。
三ヶ月連続公演の第一弾ではございますが、今月上演の三編は、ある意味非常に<男くさい>内容で、決して派手さはございません。それでも、播磨屋(吉右衛門)さん演ずる大石内蔵助はじめ、大勢の赤穂の藩士たちの、忠義、信念、覚悟が、真山青果氏独特の熱い文体で語られる全六幕十二場が、舞台と客席双方の心地よい緊張感を保ちながら、最終幕『最後の大評定』へと向かって徐々にボルテージを上げてゆく様子は、三役に出演させて頂く中でひしと感じることができました。

お陰様で申し次ぎの台詞も失敗なく言うことができました。テンポもまずはセーブが効いたかなとは思いますが、先輩からは「コトバはちゃんとわかったけど、これ以上早くならない方がいいよ」とアドバイスを頂きました。一番緊張する初日でここまで抑えられましたので、明日以降はもっと落ち着いて、<焦っているように聞こえて、はっきりとした台詞>を言えるよう頑張ります。

休憩を含めて四時間四十分という長丁場の舞台ですが、ご覧頂いた皆様、お疲れにはなりませんでしたか? ご意見ご感想など、是非お寄せ下さいますようお願い申し上げます。
…明日からの日々でどれだけ良くなることができるか。自分を信じて楽しく元気に勤められたらと思います。

時雨月稽古場便り 巻の七(終)

2006年10月03日 | 芝居
本日は正午より、扮装なしの<素>にての<舞台稽古>。昨日で段取りがついたので、全体的に非常にスムースに進行いたしました。
私の申し次ぎも、今日は詰まることなく言うことができまして、ホッと一安心です。一度失敗したところが、その後も気になってしまい、かえっておかしくなってしまうこともままあるもの。今日無事に勤められたということが、明日以降の本番での大きな自信につながります。とはいえ、台詞のテンポはどうしても早くなりがちです。役者同士はさんざん台本を読んでいて、各人の台詞も知っているから、多少聞きづらいところがあっても、自分たちの頭の中で補修してしまいますが、お客様はその場で初めて我々の話す言葉を聴くわけです。そうした方々がきちんと理解できるテンポ、リズムを作らねばりませんが、ひと月の公演で、どれだけ改善できるか、前向きに取り組んでまいりますが、くれぐれもロレッたりつかえたりしないように! これは最低限のことですが…。

五時半ごろに全幕終了。その後、私が申し次ぎで出る「赤穂城広間の場」での、演出の変更があったために、再度装置を組んで照明合わせ。私の動きも変更されましたので立ち会いました。

さあ、明日はいよいよ初日! 納得ゆく演技ができるよう、焦らずじっくり腰を据え、誠心誠意、心を込めて勉強させて頂きます。まずは、とにかく落ち着こう! 

時雨月稽古場便り 巻の六

2006年10月02日 | 芝居
本日は正午より『元禄忠臣蔵』の<初日通り舞台稽古>でございました。
今月の公演では、『江戸城の刃傷』『第二の使者』『最後の大評定』の三作。計六幕十二場が上演されますが、師匠は『江戸城の刃傷』のみ、私は『第二の使者』で一役、『最後の大評定』で二役を演じます。
『江戸城の刃傷』では私は黒衣になりまして、師匠の用事に専念いたします。師匠の扮装が、短い上演時間の中で二度変わりますのでその着付け作業と、最後の出番「田村右京太夫邸 小書院の場」では、効果としての<散り花>がございますので、舞台天井近くの<簀の子>からの花降らし。諸々の仕事の段取りをつけながらの今日の稽古では、ちょっとバタバタしてしまいました。
今回はじめて国立劇場大劇場の簀の子に上がりましたが、いや~、その高さのすごいこと。足場も狭く、なかなかのスリルがございました。元来「ナントカの高登り」で、こういう場面には慣れている私ですが、さすがに恐かったです。しかも簀の子の位置と舞台装置の位置の関係で、花びらを降らせるキッカケである、師匠の動きがほとんど見えない! 師匠の動きとほぼ同時に鳴らす、鳴り物さんの本釣り(ゴーンという鐘の音)を目安にすることになりましたが、降らせはじめてからお客様に見えるまでの時間差を計算せねばならず、なかなかの難作業となりそうです。

私自身のお役では、肝心かなめの申し次ぎ役で、あれほど稽古をいたしましたのに、緊張のせいでしょうか、一瞬台詞につまりかけまして、冷や汗をかきました。いつのまにか無意識で喋るようになっていたのかもしれません。「焦っている感じが出ていてよかった」なんて冷やかしまじりにおっしゃる先輩もいらっしゃいましたが、こんなことはもう二度と無いよう気をつけます!
その他のふた役は、大過なく勤められましたが、段取りなどはまだこなれきれないところもあり、明日もう一度の舞台稽古で、しっかりかためたいと思います。今回の演出でいらっしゃる織田紘二氏が、細かく指示を下さるので、それに従えばよいと思っておりますが、場面によっては、自分自身で<役を作る>ということも要求されておりますので、今日判った舞台面、役々の動きをもとに、明日の演技を工夫いたしたいと存じます。

今回の公演には、現在研修中の第十八期生が実習として出演していることは以前ご紹介したと思いますが、今日一日の舞台稽古で思いましたことは、彼らを含めた、私どもから見れば<後輩>といえる立場の役者たちが、惜しいかな<役にふさわしい化粧>をしきれていないということです。今月は演目が演目だけに<大名>や<武士>などの役ばかりなのですが、そうした役柄を勤める上での眉のひき方、目張りの入れ方に、一先輩として、(?)と思う場面が多々ございました。新人ゆえにまだ知らないことばかりというのもよくわかりますし、もちろん私とてまだまだ弱輩の身。偉そうなことを言えた義理ではないのですが、過去に先輩方から口を酸っぱくして言われた「役によって眉を書き分けられなければ半人前」、「化粧の仕方はまわり(先輩)に合わせること」という言葉を身にしみて覚えている我々から見ますれば、もっとこうすればよいのに、と思うことしきり。かつてさんざん怒られて来た立場として、私も言えることは言い、教えられることは教えましたが、こういうものは、各人が自分の顔の作りを見極めながらつかんでゆくものですので、これからもみんなには気をつけていってもらいたいと思います。もちろん私も、人に言うだけのことは実践してゆく決意です。
…居所合わせ、照明チェック、大道具の修正などをしながらの稽古でしたので、全ての幕場が終了いたしましたのは午後八時過ぎ。いやはや、長い稽古でした。六時間以上化粧しっぱなしなんて人もおりましたよ。

夕食は国立劇場そばの「さわらび」というお蕎麦屋さん。なかなか素敵なお店です。お酒のラインナップもこだわりがあるようですし、一品ものも丁寧な仕事、蕎麦はみずみずしく旨味たっぷり。店員さんの対応も親切で、足繁く通いたくなりました。

時雨月稽古場便り 巻の五

2006年10月01日 | 芝居
本日は『勧進帳』の本番のみでした。
午後二時より『舞囃子 安宅 ~延年之舞~」、引き続いて歌舞伎十八番の内『勧進帳』というプログラム。皇太子殿下のご来駕をあおぎ、華やかに、そしておごそかに開幕をいたしました。

富樫左衛門の後見も、お陰様で大過なく勤めることができましたが、反省も多く残りました。裃を着て、化粧もしての後見というものの動き方は本当に難しゅうございます。これからもしっかりと勉強してまいります。
終演後は、播磨屋(吉右衛門)さん、京屋(芝雀)さん、そして師匠の三人が、貴賓室にて皇太子殿下とご会談なさりました。衣裳を着けたままでということで、師匠はあの富樫の長袴をたくし上げての移動となりました。弟弟子の梅秋が、<お幕>を終えてからスーツに着替えて付き添ったのですが、会談の模様をつぶさに拝見できたそうで、全く羨ましい限りですが、当人は大変緊張したそうです。無理もありませんね。

師匠がお帰りのあとは、私どもは<楽屋の移動>がございました。実は先日の『石橋』、今日の『勧進帳』、そして本公演『元禄忠臣蔵』での、我々名題下の部屋割りが、各公演ごとに総人頭が増減する関係で、毎回違う部屋になっておりました。明日の『元禄~』の<舞台稽古>をひかえて、ようやくしっかりと自分たちの楽屋作りができました。

さあ明日はどんな稽古になるでしょう? 日付がかわる前に、ブログ更新できればよいのですが…。