梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

運命の時に臨んで

2006年10月09日 | 芝居
当月の『元禄忠臣蔵 第一部』の大詰「最後の大評定」の<赤穂城内黒書院の場>は、城明け渡しの刻限を間近に控え、おのれの進退を問う藩士大勢と、大石内蔵助との切迫したやりとりが見どころとなります。
大石の本心が打ち明けられるまでは、「あくまで篭城」「殿(内匠頭)のあとを追って殉死」「吉良への復讐を」と、諸士たちの考えは未だまとまってはおりませんが、実は、銘々の衣裳に、いずれもがすでに<死>を覚悟していることが、表現されているんです。

まず目につきますのは、水浅葱の無紋の裃(水裃と呼んでおります)、白小袖という拵えの者数名の存在。これなどはいわゆる<死装束>ですから、(ああ、この人たちは殉死する覚悟なんだな)とご想像がつくでしょう。真山氏のト書きでも、この拵えの者は「中に気早なるもの」と表現されています。
しかし、大半の諸士は、普段通りの麻裃に、色みのある羽二重地の着物の者ばかり。では彼らのどこに死の覚悟が? ということになりますが、実は銘々の<襦袢>が純白のものになっており、ことあらば着物を肌脱ぎして、いつでも潔く死ぬことができるようになっているというわけです。
普通諸士の襦袢は納戸色や紺色、かつ色(青)の襟、袖色となるところ。今月上演の他の場面では皆そのようになっております。この場に限って白襟、白袖のものにしているということは、お客様からはすぐにはわからないかもしれませんが、襟もとにご注目頂ければ、ご確認できると思います。

<白>という色に対して古人が抱いた清浄、神聖、無垢といったイメージは、今も私たちの意識に浸透していると思いますが、私など、今月はたまたま<死装束組み>の一員なので水裃を着ておりますけれど、変な表現かもしれませんが、心がひきしまるというか、何かが起こる…! という気持ちがわいてくるから不思議です。
ちなみに水裃を着たときは、足袋ははかないのがお決まりですので、素足で出ております。普通の麻裃の面々は白足袋をはいております。