梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

本日中日

2005年04月13日 | 芝居
今日十三日は、一日から始まり二十五日に終わる公演の丁度まん中の日。この日を幕内では「中日(なかび)」と呼び、節目の日となっております。
楽屋内では、舞台稽古の日から着ていた浴衣、単衣の着物を、新しいものに取り替えます。
また中日祝儀といって、衣裳さん、床山さん、狂言作者さん、口番さん(楽屋の玄関に待機し、履物の管理、舞台裏の雑用をしてくれる係)などに、祝儀を渡します。幹部俳優さんは個々に、名題下俳優は「名題下一同」としてまとめていたします。
また我々も、幹部俳優さんに、立ち回りで搦んでいたり、駕篭かき役で駕篭に乗せていたり、舞台上での仕掛けの介錯や、鳥、虫の鳴き声などの擬音を勤めておりましても、関係する幹部俳優さんから祝儀を頂きます。
中日祝儀には「いままでご苦労様。あと半分よろしくね」という意味がこめられているのです。
いよいよ折り返し地点にきました。残り十二日。無事にひと月を終えられるよう、気を引き締めてまいります。

宝物

2005年04月12日 | 芝居
私は小学校五年生から歌舞伎を観ております。
初めて観た舞台は八月納涼歌舞伎の「通し狂言・義経千本桜」でしたが、これですっかり歌舞伎の魅力にとりつかれ、今に至っているわけですが、もう十三年が経とうとしております。
この間に、テレビで放送された歌舞伎関連の番組は、ほとんどVHSに録画しております。舞台中継はもちろん、俳優のドキュメンタリー、入門講座番組など、歌舞伎俳優が出ている番組は、ほとんど残っています。
最近こそ、仕事の忙しさにかまけて、舞台中継以外は録画しなくなりましたが、年々ビデオの本数が増える一方。今や三百本近くなってしまいました。
もう置き場所にも困るありさまなので、現在DVDに移し替えて
いる最中なのですが、高速ダビングが出来ないので時間はかかるし、されど今やらないともっと困ることになるし、現在寸暇を惜しんでダビング作業中です。
しかしながら、昔の映像を改めて拝見する良い機会にもなっています。先代團十郎さん、先先代松緑さん、梅幸さん、歌右衛門の大旦那(私の師、梅玉の養父)……。
映像とはいえ、ひと時代前の、素晴らしい方々の名演を、いつでも見られる私達は幸せですね。

大丈夫でしたか?

2005年04月11日 | 芝居
今朝がたの地震、関東では久しぶりに規模の大きいものでしたね。朝の本震はともかく、三時半頃の余震は、ちょうど「与話情浮名横櫛」の「源氏店の場」の最中。演技している俳優さんは案外気がつかないもの、気がついても動揺してはいられませんから何食わぬ顔で芝居を続けますが、客席にじっとしているお客様の方が敏感で、ザワザワとひそやかな声がおこってしまいます。
舞台にいるときに地震がおこると、何が怖いといって、天井に吊されている書割り、照明機具などが落ちてきはしないか、そればかりが気になってしまいます。頭の上でそれらの物がガチャガチャ音を立てて揺れているのを見てしまうと、早く引っ込んでしまいたい衝動にかられてしまいます。
地震といえば、私には忘れられない思い出があります。平成七年一月十七日、阪神淡路大震災です。私、中学二年生でしたが、当時は家族と共に兵庫県三田(さんだ)市に住んでおり、この地震を体験しているのです。三田市は、神戸からは離れておりましたから、震度は四か五だったのですが、未明の激震、食器が割れたり、本やビデオテープが倒れてきたり、本当にビックリしました。
偶然にも、その前日十六日が、大阪の中座(今はもうありませんね)での初春大歌舞伎で、中村鴈治郎さんの「曾根崎心中」お初役上演一千回目となる記念の日。一日地震が早かったら、公演そのものがなくなっていたかもしれません。さらに偶然ですが、私はその一千回目の舞台を観に行っていたのです!記念のカーテンコール、表彰式を拝見して、タイミングの良い観劇に、大満足に帰宅しての大地震……。
不思議な巡り合わせに、今でも感慨深いものがあります。

知恵を絞って

2005年04月10日 | 芝居
再び「道成寺」のお話を。
一時間以上かかる大曲の「道成寺」。長唄も名曲ですし、踊りとしても、色々の小道具を使いながら女形の魅力をたっぷりみせる、楽しく、飽きさせない一幕でございますが、この一幕の中に、「○○尽くし」というものが何ケ所か出てまいります。
「尽くし」というのは、日本の文学、絵画、紋様などに多数見られる独特の趣向で、共通項を持つものを何種類も集めて書く、あるいは描く、というものです。
「道成寺」では、前半、お坊さんが舞のいわれについて語るセリフに、語尾が「まい」で終わる言葉を続ける「舞い尽くし」が、後半には蛇体となった花子を退治しに来た捕手たちが、やはり語尾が「とう」で終わる言葉をのべる「トウ尽くし」がありますし、長唄の歌詞では、日本全国の遊廓の名前を織り込んだ「廓尽くし」、名山の名前を連ねた「山尽くし」、計四つの「○○尽くし」があるわけですね。
このうち、「廓尽くし」「山尽くし」は、歌詞なわけですから変更はききませんが、「舞い尽くし」「トウ尽くし」は、しゃべる俳優さんのアイディアによって、変更が許されておりまして、これがなかなか頭を悩ませるものなのです。お客様の笑いを誘うような単語を見つけ、さらにその単語を導く前振りのセリフも自作せねばならず、「しらけさせては大変」とばかりに、出番前まで悩みます。「トウ尽くし」の方は、十人の捕手が、一つずつ言うだけなのでまだ良いのですが、「舞い尽くし」は、一人の役者が、五分近くもしゃべり続けなくてはならないので大変です。これはつまり、主役の衣裳替えの時間つなぎになっているわけなのですね。だいたい十数個の「~まい」を言うわけで、シュウマイ、目眩、無洗米はもう定番。暑中見舞いや苫小牧、砂糖は甘い、や世間は狭い、まで飛び出して、もうネタ切れの危機さえ感じられますが、どなたか名案をお持ちではありませんか?

舞台も花ざかり

2005年04月09日 | 芝居
東京は今日明日が桜の盛りのようですね。私も、花見酒はできませんが、三時から四時までのあき時間に、近くの公園に桜を見てまいりました。すでに散りはじめておりましたが、おりからの晴天のもと、しばしの花見を楽しみました。
桜といえば、今月歌舞伎座で上演中の舞踊「京鹿子娘道成寺」も、桜に包まれた春爛漫の紀州道成寺が舞台となっておりますね。同寺に伝わる<安珍・清姫伝説>をモチーフにしたこの舞踊、桜がいたるところにつかわれておりまして、大道具の背景、吊り枝(舞台の上部一面に吊るす枝、季節を表し場面の雰囲気を出す)も桜。大勢登場するお坊さんが手にするのも、桜を張り付けた花傘ですし、もちろん主人公、白拍子花子(名前も桜を連想させますね)の衣裳も、桜の模様になっております。
「道成寺」一幕で、花子の衣裳が何回変わるかすぐ解る方はよほどの通でしょう。演者の好みによってかわりますが、今月の花子役、中村勘三郎さんの場合は、黒、赤、浅葱、朱鷺、藤、白、紫、白となり、さらに今月は、花子が蛇体の本性を出す、いわゆる「後シテ」もついておりますから鱗模様の衣裳も加わり、計九番の衣裳を着ているのです。
後シテと、六つ目の白(ここは紅葉に火焔太鼓の模様)のは別として、あとは全て桜の模様です。さらにいえば七つ目の紫には、桜の花を並べて作った「麻の葉」模様、最初の黒は「枝垂れ桜に糸巻き(桜の花の大きさが、後のに比べて小ぶりになっている)」、あとは全て、「枝垂れ桜に霞」模様の刺繍になっていますが、実は最後の白だけが、ただの「枝垂れ桜」で、霞がないのです。ここでは、それまで使われていた金や朱鷺、緑や赤の糸ではなく、銀糸と薄墨色だけを使うので、霞を描いてもあまり引き立たない、ということなのかもしれませんが、「衣裳の変化が時間の経過を表しており、終盤の衣裳である白の頃はもう夕暮れで、昼間の霞も消えてしまった、ということを表現している」ということを、昔聞いたことがあります。
いずれにしても、豪華絢爛たる「道成寺」の衣裳、是非一度、場面場面での色の変化、模様の違いをじっくり見て頂きたいと存じます。

小さな役づくり

2005年04月08日 | 芝居
さて再び、お芝居のお話をいたしましょう。
度々とりあげておりますが、私が勤めております「与話情浮名横櫛」のおばさん役。衣裳もかつらも、おばさんらしい色調、髪型になっているのは以前にも書きました。
あとは演技でおばさんらしくするわけで、あまりシナをつくらず、落ち着いた(やや枯れた感じの)立ち居ふるまいを心掛けるのですが、さらにおばさんの感じを出すために、手拭を帯にはさんで出ています。昔の女性は、手拭は常に身につけ、農作業や家事をしていましたからね。
手拭。これがその役の「らしさ」を出すのにとても便利な持ち物でして、役に応じてその色、柄、折り方を変えて持つことで、その役の雰囲気を出すわけです。
「与話情~」で申せば、場面は木更津、役は庶民、しかもおばさんですから、派手な色でなく、柄も無地か、控えめなもの、さらにいえば、普段から使い込んでいるような、いわば「汚れた」ような感じを出せばばっちりなわけですね。
しかしながら「汚れた」手拭など売っているわけでもなく、手拭を持つ持たないも役者個人の判断なので、小道具として用意してくれることもありませんから、自前で用意しなくてはなりません。そこで、以前使った浅葱色の手拭を、鍋で紅茶と一緒に煮込み、黒ずんだ色みをつけてみました。
ちょうど良い具合に色もつき、さらに、わざと身の回りの汚れを拭いたりして色ムラもつくりました。三日目の舞台から使っていますが、この先大事にとっておけば、さらに色も褪せてより「らしい」手拭になってくれるでしょう。
手拭のような小さな持ち物でも、こだわろうと思えばいくらでもこだわれます。先輩方にも、本当に素晴らしい「汚れ方」の手拭をお持ちの方もいらっしゃり、うらやましくなります。

銀座でご飯

2005年04月07日 | 芝居
昨晩は役者仲間と、沖縄料理「竹富島」に食べに行きました。そのため更新が間に合わず、失礼をいたしました。
私達歌舞伎俳優は、出番によっても変わりますが、ほぼ半日は劇場におります。ですから昼御飯、ときには晩御飯を外食、あるいは出前ですますことが多く、皆々それぞれに行きつけと申しましょうか、好みのお店があるようです。
とくに歌舞伎座は銀座のど真ん中、グルメの街でもありますから、ジャンルも豊富、「どこに行こうか」と悩むことにもなります。ここでちょっと、私達がお世話になっているお店を挙げてみましょうか。
インドカレー「ナイルレストラン」(ムルギーランチが人気)
喫茶「YOU」(オムライスが濃厚)
中華「蘭州」(ボリュームがすごい)
同 「ヤンヤン」
蕎麦「松月庵」(茶蕎麦。出前のお兄さんが面白い)
同 「宮城野」
などなど…。
これはほんの一部で、この他ラーメン店は激戦地ゆえ数しれず、「吉野家」「なか卯」などチェーン店も林立しておりますから、全く食事には困ることはありませんね。
ちなみに私は……手作り弁当です。

女形の化粧番外・私の悩み

2005年04月05日 | 芝居
女形の化粧は、立役のそれと比べていくぶん繊細。より美しく見せるために苦労もいたしますけれども、私にとっては別のことで、実は大変悩んでおります。
私、顔の部分だけが極端に「乾燥&敏感肌」でして、女形の化粧をすると、ひどい肌荒れがおきてしまうんです。
女形に限らず、白粉を顔に塗る前に、つきをよくするために「びん付け油」という固形の油を、やわらかく伸ばして顔につけておくのですが、これがどうも私には合わないらしいのです。もちろん、この油はもとより、白粉、紅、砥の粉など、舞台化粧品全般は決して体にいいものではありませんから、様々な要因があるのでしょうが、普段の立役の化粧では「びん付け油」はほとんど使っておらず、それほど荒れもしないことから考えれば、この油こそ、私の肌を苦しめる最大の敵といえるでしょう。
もう六年くらい前なのですが、やはり女形をいたしましたとき、ただでさえ荒れているのに、しっかりと化粧を落としきらないまま寝てしまい、翌朝顔がお岩様のように腫れ上がり、目が開かないくらいになってしまったことがありました。すぐさま皮膚科に行き、ステロイドを処方してもらいましたが、そのときのお医者さまのアドバイスによって、今ではクレンジング、スキンローション、洗顔石鹸など、全て完全無添加のものを使用しています。それからは、化粧後の肌荒れもだいぶ軽減されましたが、まだまだかさつき、ひりひり感、かゆみがおこります。
寝ている間に掻きむしるのか、朝起きると顔中傷だらけ、なんて日もままあって、こちらの事情を知らぬ仲間達からは、やれ痴話喧嘩をしたのか、やら、アブない遊びを楽しんだのか、などとからかわれ、ちょっと悲しくなってしまいます。

女形の化粧・その弐

2005年04月04日 | 芝居
さて、その役にふさわしい顔の色を塗りますと、次は目、そして唇、最後に眉を描いてまいります。今書いた順で、どなたも描いておりますね(眉は既婚者の役の場合は描きません。結婚したら眉をそるのが、当時の風習ですね)。
目は、目尻から目の下のふちにかけてを強調するように描きます。これを「目張り」と申しますが、たいていの役では紅を、年増や婆、意地悪い役などは、紅に茶色や黒を混ぜて(茶のみ、黒のみにすることもある)、ふさわしい色みにして使います。
唇は、現代の「口紅」と同じように描きます。使う色も、「目張り」と同様です。
そして「眉」ですが、まず紅で描いてから、その上に黒で描く、ということをします。こうすると、黒の下からうっすら紅が透けて見え、色気、やわらかみが出るのです。
また眉の形も、少女だったら「笹眉」といって、眉尻を丸く終わらせてあどけなさをだしたり、色街の女だったら逆に眉尻を尖るように描いて、シャンとした大人の雰囲気を出すなど、それぞれの役に合わせて形はいろいろです。
この「目張り」「口紅」「眉」の描き方は、個人の顔つきの違い、好みによって百人百様です。ようは自分の目、口の形に合わせ、それをいかした描き方ができればよいわけで(もちろん役柄も考えなくてはいけませんが)、自分の顔にあった化粧法を見つけるまでが大変です。
私はたまにしか女形をしないものですから、毎日毎日「違う顔」です。

女形の化粧・その壱

2005年04月03日 | 芝居
前回書きました通り、昼の部はおばさん役なのですが、夜の部三幕目『籠釣瓶花街酔醒』では、「新造(しんぞう)」という、年季の浅い、新人の遊女役で出演しております。おばさん役と遊女役、役柄が変われば、化粧の仕方にも違いがあります。
何が一番違うかといえば、「顔の色」でしょう。
まずおばさんでいえば、木更津という、江戸時代の感覚でいえば
「田舎」に住む庶民の女ですから、厚化粧をしていたはずはないわけで、したがって、白粉をほとんど使わない、自然な肌色に近い顔色に仕上げます。娘だったとしても、襟元から顎の少し上くらいまでごく薄く白粉を塗り、そこからグラデーションのようにぼかしながら、顔自体をやや白めの肌色に塗って、若さを表すくらいです。
一方遊女となると、これは男の目を惹くためにしっかりとした化粧をしているわけで、襟元から顔全体まで厚く白粉を塗り、目の周りには紅を薄くかけ、陰影と色気を出します。(これを、ぼかし、といいます)
顔の色によって、その役柄「らしく」みせるわけで、これを誤ると、遊女みたいなおばさんや、田舎女のような遊女ができてしまうわけです。
顔の色の調合は、主に白粉と、砥の粉、という茶色い粉末(固形にしたのもある)を、自分で混ぜ合わせて行います。大勢同じ役で出るときは、皆が一様に同じ顔の色をしなくてはならず、化粧に不馴れな新人さんは、よく先輩達に「それじゃ白すぎだよ」とか「そんな赤い顔して!」とダメを出されます。
私もよく怒られました。こればかりは、「人の顔色をうかがう」ようにしなければならないのですね。

木更津のオバサン

2005年04月02日 | 芝居
楽屋も舞台も、落ち着いてまいりました。
昼の部三幕目『与話情浮名横櫛』、第一場「木更津海岸見染めの場」に私は出演しておりまして、役名は「貝拾う浜娘」。同じ役名で十数人が出ます。潮干狩りに来ている土地の女の役なのですが、娘、とは書かれていても、若い女ばかりでは不自然ですから、実際は、おばさんもいれば娘もいる(もちろん「貝拾う浜男」も出てきますし)、とりどりの登場となります。
当然、娘役には、赤や朱鷺色(薄いピンク)の色みをつかった若いめの衣裳が選ばれますし、逆におばさんには鼠色や茶をつかった地味なものになります。かつらにしても、その年に相応の結い方になっております。
実は舞台稽古で、扮装をし終えてみたら、衣裳が娘でカツラがおばさんという、なんともチグハグな格好になってしまいました。
衣裳さんと床山さん(カツラを結う係)との連絡の行き違いでしょうが、カツラは各人の頭に合わせて作られておりますから替えがききません。カツラの方に合わせて、私と逆でカツラが娘で衣裳がおばさんだった人と衣裳を取り替えっこして、めでたく私、「おばさん」になりました。
娘の方が良かったかな、なんていう気も少ししましたけどね。

本日初日

2005年04月01日 | 芝居
今日から「四月大歌舞伎」の始まりです。初日も、以前書きました「千秋楽」と同じくこの世界では大切な日。「おめでとうございます」の御挨拶まわりの声も賑やかに、楽屋は活気に溢れます。むしろ、プログラム通りの順で芝居を上演してゆくのは今日が初めてになりますから、裏方さんも我々も、半ば「混乱」といっていいいくらいの慌ただしさになります。
今月の私は「主なし」ですから、自分の役をこなすだけでよいので、さほど忙しい思いはいたしませんでしたが、久しぶりの女形、思わぬところで苦しい思いをいたしております。
というのも、私が出演している『与話情浮名横櫛』、『籠釣瓶花街酔醒』には、女形がそれぞれ二十人近く出ております。順々に衣裳を着ていかなくてはならないのですが、我々の楽屋に来てくれる衣裳さんは二人だけ。ですから随分早いうちから衣裳を着ていかないと、あとの人が間に合いません。こういう場合は、先輩にゆっくり丁度いい時間に着てもらうために、後輩から先に着てゆくのがしきたりなんです。私は、年季のうえでは少しあとから着てもいいぐらいなんですが、普段が立役ということもあり、不馴れな女形で御迷惑をかけておりますから、一番先に着させて頂くことにいたしました。
そうすると衣裳が着終わってから出番までの時間が長い長い!『与話情~』は四十分、『籠釣瓶~』は一時間十五分(!)。マンジリともせず座っておりました。女形は帯を胸高に締めますから、圧迫感もありますし、あぐらもかけませんから正座となり、なんともつらいのです。さすがにカツラはつけませんでしたが、つけるとなると頭も重くなるしで、まさに三重苦だったでしょう。普段立役の扮装に慣れきっているので、なおさらです。
そうした「苦行」の末の出番が、僅か五分で終わるのですから、ご同情下さいませ。