高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

父を尋ねて3000里 1

2007年04月30日 03時58分27秒 | ルーツ探し

我が家では子供が10歳になった時、親父と二人で「男の旅」と題して1週間ほど親父と二人で旅をすることにしている。長男クルムの時は、「私が18歳の時に放浪していた後」を辿って、北海道を旅した。3年後の次男シンラの時には、どこに旅をしようか?と考えた時、何か目的がある旅がしたい!何処へいこうか?「そうだ。我家のルーツを探す旅をしよう!」という事になった。

実は、自分の父親のことをほとんど知らない。私が1歳の時に家を出たまま会った事が無い。10才の時に亡くなったと言う通知だけを聞いた。しかし、見たことも無い人が亡くなったというだけで、悲しくもなかった。ところが、私自身が50歳にもなってくると「いったい自分のルーツは何処だろう?」「私は誰なのだろう?」そんな気持ちが持ち上がって来たのだ。

丁度息子との「男の旅」で我家のルーツ探しをすることにした。

5 2005年8月から準備を始める。手がかりは二つだけ。父親の兄弟(私の叔父さん)二人のお名前と上のお兄さんが高校野球の監督をしていたということだけであった。母親もあまり良い思い出は無い様でほとんど父親の事を聞いた事が無い。私の父親は沖縄出身、名前は高江康吉というが、父親の本名は「高江洲康吉」。徴兵で軍隊に取られてから本土に渡り、終戦後は沖縄に帰っていない。当時はまだ沖縄に対する差別もあったようで、終戦後のバタバタの中で高江に変名していたようだ。

まず、残された手掛りである叔父さんの消息を探すことから始まった。

高校野球の監督をしていたという高江洲康有さん。数少ない沖縄の知り合いに事情を話し聞いてみると「当時有名な高校野球の学校は那覇高校か首里高校だろう」と。今は個人情報がうるさいので、突然私が高校に問い合わせてもなかなか教えてくれないようである。そこでNHKに勤めている知り合いにお願いした。NHKの信用力を使って高校に問い合わせて貰った。運の良い事に最初の問合せ先である那覇高校で当たった。「ビンゴ」。「昭和26年、27年に高江洲康有さんという方が監督をしていた」と判った。       つづく

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