瀬崎祐の本棚

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ネビューラ  42号  (2015/04)  岡山

2015-04-25 00:21:12 | 「な行」で始まる詩誌
20人の詩を載せて、A4版、24頁。尾崎博志のカラーの表紙絵がお洒落である。各月刊であることに感嘆する。

 「絵本」下田チマリ。
 古い糸車で糸を紡ぐことだけが私のすべてで、「そのために私の腕は消滅し 足も萎えて無くな」ったのだ。私は冬瓜のように部屋に転がっているのだ。

    転がっているだけの私のからだを たくさ
   んの行列が横切り 自信に溢れたたくさんの
   言葉が突き刺さり たくさんの嬌笑や憐れみ
   が私を沈めていったような気がするのだが (略)

 糸車のある部屋もその部屋に転がっている冬瓜も、私以外の人には存在しないものなのだろう。だからこそ、私には存在しなければならないものなのだろう。

 「石こころ」中尾一郎。
軽妙な寓話風の作品。胸の奥がすうすうするのは、心の片隅が欠けて寂しい風が吹き込んで来たせいだった。失くした欠片を探しに外に出て、拾い上げた石に懐かしい気持ちになるのだ。

   そうか
   僕の心の欠片だった石なんだ
   大切に握りしめたが
   心の中に戻すことはできないので
   川に向かって投げておいた

 最終連は「だから川には石こころが/たくさんある」。実際に”石こころ”という言葉があるのか否かは不明なのだが、”石ころ”と”こころ”からきた作者の造語ではないだろうか。捉えどころのない感情を巧みに可視的なものとして提示している。

 「サヨリ」壺坂輝代。
ラジオでふと聞いたサヨリという言葉から、わたしの中で細長い魚が泳ぎはじめる。サヨリはとにかく口先が尖っているのだ。そして、

   すれ違う人みんなが
   サヨリを
   心の中に飼っているように
   つんつん つんつん突いてくる
   男も女も
   老人も子供も

 容赦ない他人との丁々発止のやりとりを思わせるような、思わず微笑んでしまう戯画を描いていて楽しい。サヨリは身は白いのにその奥の臓腑は真っ黒とのこと。突き合いをするにはその真っ黒さが必要なわけだ。最終部分がいささか人生訓の趣になってしまったのは残念だった。
コメント
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