瀬崎祐の本棚

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詩集「空から帽子が降ってくる」 高階杞一+松下育男 (2019/05) 澪標

2019-04-30 21:14:47 | 詩集
 82頁に9編を収めているのだが、その昨品は二人が数行ずつ書いて作り上げたとのこと。高階はこれらの作品を「共同で作るという意から『共詩』と名付け」ている。連詩とは違って、二人の作った部分は完全に溶けあっているようだ。高階に拠れば、今となってはどの部分を自分が書いたのかも定かではなくなっているとのこと。

 「指の続く道」。詩行が柔らかくうねっていくような作品。このうねりが一人ではなく、二人によって生じていることが、読みすすめるスリルのようなものにもなっている。絡み合っているものの滑らかさと同時に、かすかなささくれのようなものも感じることが快感ともなってくる。

   失った人を
   もう一度だけつかめるという 指を
   売っている店に
   ぼくはいつか たどりつけるだろうか
   あっち と
   黒い人差し指は
   曲り角の来るたびに教えてくれはするけれど

 はて、引用部分は一人で書かれているのか、それとも途中での交代があったのか。
 すると、どこまで行ったときに作品は終わる決意をするのだろうか。一人で書いているときでも難しい問題だが、二人でとなると、さらに複雑な要素が絡まってくるだろう。一人にとっての終わりが、他の一人にとっては未だ終わりではないなどということはなかったたのだろうか。

 「川沿いの道」は160行あまりの長い作品。連分けにもなっているのだが、さらに”●”の大きな区切りも連れて誰かへの手紙の形式で詩行が続いていく。結納まで交わしながら去っていった男へ女が書いている手紙、という構図がやがてわかってくる

   あなたは
   いったいどこへ行ったのでしょう
   少しずつ不安がつのり
   立ち上がると
   突然 あけはなたれた扉から風が吹き込んできて
   テーブルの間取り図が飛び去り
   きがつくと
   わたしはアパートの窓辺に立って
   ひとり 夕焼けで赤く染まっていく町を
   眺めていたりするのです

 松下は、詩の展開という「大切な判断が人任せになるということ」が気になったという。そういった判断は「ひとりで詩を書いているときには(それが当たり前なのだが)判断の選択肢には限りがあるし、すべてがかって歩いた道でしかない。陳腐化してしまっている。」しかし、共詩では思わぬ展開を味わえたようなのだ。これは確かに共詩ならではのことなのだろう。共詩を試みる意味の大きな要素であるだろう。
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