瀬崎祐の本棚

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詩集「彼女は待たずに先に行く」 諸加たよこ (2023/12) 書肆侃侃房

2024-02-02 20:03:59 | 詩集
92頁に36編を収める。

脱力系という言葉を目にすることがあるが、この詩集の雰囲気は好い意味でちょうどそんな感じであった。気魄とか努力とか緊張とか、いわんや嫉妬とかとはまったく無縁の地点に作者は立っている。それは希望とか絶望とかいったものからも解き放たれた地点であり、大変に爽やかであるのだ。

たとえば冒頭の「眠れるソファ」。「ねえこのソファ ちょうだい」と言う人がいるのだが、その人はソファで眠って、「いいよ、と言っているのに」そのまま帰ってしまうのだ。

   このソファがなくなったら
   どうなるかな

このソファは家族も座れば眠ってしまうのだ。最終行は「いいよ 持っていってください」。ただそれだけの作品である。この座れば平穏に眠れるソファが何の暗喩なのか、それを欲しがるのに持ち帰らないことにはどんな意味があるのか、それを差しだす気持ちには何があるのか。そんなことを考えはじめると、とたんにこの作品はつまらなくなってしまう。「このソファ ちょうだい」「いいよ」ただそれだけの作品であるところが好いのだ。

「天気雨 AM」は、お湯を沸かそうとしたのにいつまでたっても沸かない作品。「見たら火は点いていなくて/換気扇がついていた」のである。

   窓ごしにびわの葉が笑ってた
   そんなこともあるよって
   びわはカーテンに影を落として
   影はもうひとつ
   窓の向こうの光の中に

何も付け加える必要がないところで作品は書かれている。こんな事だけで詩になるのかというような内容でもある。気をつけておきたいのは、どの作品においても話者への思い入れがいっさい書かれていないことである。作者は話者からは離れた位置にいて作品を成立させている。そのために話者はまるで脱力した自然体でいるかのように感じられるのだ。

そんな中で異色なのが作品「嫌いなことを排除していたら嫌いな自分が残った」だろう。ここでは、絵本作家である「マリーホールエッツはお墓の中にいる自分を想像して描いたのではないか」と語る話者のすぐ背後に作者の気配が感じられる。いささか不気味な脱力なのだった。
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