瀬崎祐の本棚

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詩誌「カルバート」 7号 (2024/06) 群馬

2024-06-14 18:26:56 | 「か行」で始まる詩誌
樋口武二がオープン参加の寄稿者とともに発行している詩誌。97頁。

特集は「AIを使ってみた。Ⅱ」である。

高橋馨「生成AIの詩的能力を探ってみた」は、詩から絵を作成するという試みについて述べられていた。
高橋がミロの絵を見て書いた詩がある、これをAIに見せて絵を作成させているのだ。その絵は詩の中の言葉を組み合わせた「シュールな画像」となっていた。
ここまでのものをAIが描くのかと感心もする。もちろん、高橋が詩を描く契機となったミロの絵とは通じるところはまったくない。
高橋は「生成AIの生成は、使用者との対話の意味であり、その両者の間隙には、迎合や強要でなく、偶然あるいはランダムが介在する余地を残す。」として、さらにその「偶然は、詩の素地」であるとしている。

樋口武二も「試行錯誤の先に何があるのか。」で、文字入力による画像作成を検証していた。
樋口が書いたあるフレーズ、あるいは詩の一節をAIに入力すると、10秒ほどの作業時間で絵を描いたという。そのカラー図版も掲載されていたが、その完成度の高さにはいささか驚いた。こんな絵を即座に描いてくるのか。恐るべしAIと思わされる。

次に、「雨に濡れて泣いている女とサラダという詩を書いて」と入力してAIの反応をみている。
すると4行4連の詩が出てきている。取り立てての面白みには乏しい詩だがそれなりの体裁は保たれている。
樋口も「このまま進化すれば、表現の方法も多彩になり、月並み感から脱した作品もやがては書けるようにもなるのだろう」と考えている。

問題はそれらの“作品”をどのように考えるかということになる。
樋口は「精神性、内面性に踏み込んだ作品でなければ、すでにAIは簡単に作製することが出来る」のであり、「表現ということだけで考えれば、言葉(文字)の関係性によって生じる面白さでは人よりも先を行くのであろう。」としている。
しかし、「AIには、情も、人のもつ心というものも存在しない」、「AIは偶然性と概念生でなりたつ便利な道具でしかない」、「道具が意味を生みだすのではなく、精神行為が詩を作るのだ」と結論づけている。

私(瀬崎)にとっては生成AIはまったく未知のものなので、このような論考は大変に興味深く面白く読んだ。
それにしても根本的なところで、おのれの肉体から離れてしまった創作意欲というものがあるのだろうか、あるとすればそれは意味を持つのだろうかといったことを考えさせられた。
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