第6詩集。109頁に32編を収める。
「注意報」は、「坂を下りてきたら/死体を担いだ男と出会った」と、意表を突く状況ではじまる。何事かとわたしは身構えるのだが、あたりは静まりかえっているのだ。「いずれ来るのだろう」とわたしは状況を受け入れてもいるようなのだが、いったい何が来るのだろう。
そのときは
亡霊のようにのろのろ起き上がってきた人々が
通りを埋め
重なり合って見送り
足音高く歩く男女を
テレビが猛々しく報道する
男の死体はいったい何の“注意報”だったのか。報道される映像は軍事行進を思わせるようなものではないか。不気味な社会が私たちのすぐ近くに佇んでいるようだ。
詩集は3章に分かれていて、Ⅱでは戦中、戦後の記憶が作者に落としているものを描いている。
Ⅲに収められている「飛んだのか な」は、老いに直面している自分を独得の感性で、少し突き放してみている。歩行がおぼつかなくなってきたので、念を入れて歩みを確認すると、足の指はワニになっていたのだ。鏡を見れば普通の老婆なのだが、背中は固く鱗も生えているようなのだ、そして肩甲骨のあたりは痛痒く「何かが出てくる」ようなのだ。、
親しかったYさんが
しきりに「寂しい 寂しい」といっていたのは
厚着の下に
生えかけてきた羽を
たたんでいたころかもしれない
Yさんはそのあとどこへ行ってしまったのだろう。いささかの自虐の気持ちも混じっているようだが、はて、飛んでしまったら、わたしはどこへ向かわなければならないのだろうか。
「注意報」は、「坂を下りてきたら/死体を担いだ男と出会った」と、意表を突く状況ではじまる。何事かとわたしは身構えるのだが、あたりは静まりかえっているのだ。「いずれ来るのだろう」とわたしは状況を受け入れてもいるようなのだが、いったい何が来るのだろう。
そのときは
亡霊のようにのろのろ起き上がってきた人々が
通りを埋め
重なり合って見送り
足音高く歩く男女を
テレビが猛々しく報道する
男の死体はいったい何の“注意報”だったのか。報道される映像は軍事行進を思わせるようなものではないか。不気味な社会が私たちのすぐ近くに佇んでいるようだ。
詩集は3章に分かれていて、Ⅱでは戦中、戦後の記憶が作者に落としているものを描いている。
Ⅲに収められている「飛んだのか な」は、老いに直面している自分を独得の感性で、少し突き放してみている。歩行がおぼつかなくなってきたので、念を入れて歩みを確認すると、足の指はワニになっていたのだ。鏡を見れば普通の老婆なのだが、背中は固く鱗も生えているようなのだ、そして肩甲骨のあたりは痛痒く「何かが出てくる」ようなのだ。、
親しかったYさんが
しきりに「寂しい 寂しい」といっていたのは
厚着の下に
生えかけてきた羽を
たたんでいたころかもしれない
Yさんはそのあとどこへ行ってしまったのだろう。いささかの自虐の気持ちも混じっているようだが、はて、飛んでしまったら、わたしはどこへ向かわなければならないのだろうか。
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