瀬崎祐の本棚

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ココア共和国  21号  (2017/08)  宮城  

2017-08-29 23:19:09 | 「か行」で始まる詩誌
 今号は巻頭に小特集として佐々木貴子の作品を11編載せている。発行・編集者の秋亜綺羅によれば、彼が昨年選者を担当した「詩と思想」誌の投稿欄への応募者だったとのこと。
 今回の作品はいずれも散文詩。

 「影」。影が無いわたしはみんなと影踏みをして遊べなかった。先生が去年死んだ子の影を貸してくれたので、それを貼り付けてみた。翌朝、わたしは影に引きずられるようになり、影の影になってしまった。わたしの代わりになった影は頭もよく、お母さんもとても喜んだ。わたしはひたすら踏まれ続け、「わたしの血が学校中に滲みた」のだ。

   時々、思い出したように影が下を向いて、ごめんね、と言う。勉強が忙しいの
   で、誰も影踏みをしない。誰一人として影を見ない。今日、影はわたしを細か
   く切り刻んだ。もう、血など一滴も無い。

 これはどうだ。私(瀬崎)は今回初めて佐々木の作品を読んだのだが、その作品世界のどこかあっけらかんと突きぬけたような、それでいて世間から顔を背けたような屈折した心持ちに魅せられて、次から次へと作品を読んでしまった。

 「天狗のB」。校門の前で待っていた天狗と一緒に、ぼくは穴を掘る。穴を掘った後はイチゴパフェを食べ、いろいろなことを話す。天狗は笑いながら「お父さんも天狗なんだから、あなたも天狗になるのよ」と言ったりする。

   先週、穴を掘るぼくの手を天狗が止めた。深い穴の中に冷たくなったお父さん
   がいた。昼休み、うたた寝しているぼくをまみちゃんが覗き込んで、おめでと
   う、天狗さん、と言った。それから毎週木曜日、二人でいっしょに穴を掘る。

 佐々木の作品には愛おしくなるような切なさがある。それは自分を取り囲んでいる世界と対峙している必死さから来るものだろうと思う。学校生活に材をとっている作品も多いので、おそらく作者はまだ若いのだろう。
 この作者に出会ったときに、秋亜綺羅はさぞかし嬉しかったことだろうと思う。私もとにかく紹介したかった。
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